100年俳句計画12月号(no.205)


100年俳句計画12月号(no.205)

注意
これは視覚障がい者の100年俳句計画年間購読者のためのテキストファイルです。
通常の著作物と同様、許可無く複製/転載することを禁止します。





目次


表紙リレーエッセー
片づけの片づけ 漫歩


特集
選評という名の創作!
選評大賞2014



好評連載


作品

百年百花
 加根兼光/松本だりあ/三津浜わたる/めいおう星


100年俳句計画作品集 100年の旗手
 幸/杉本とらを/てん点


百年琢磨 津川絵理子

新100年への軌跡
 俳句/晶美/堀下翔
 評/都築まとむ/樫の木


選者三名による雑詠俳句計画
関悦史/阪西敦子/加根兼光


へたうま仙人/大塚迷路

自由律俳句計画/きむらけんじ



読み物
Mountain Cabin Dispatch/ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
JAZZ俳句ターンテーブル/蛇頭
愛媛県美術館吟行会/岡田一実
ラクゴキゴ/らくさぶろう
クロヌリハイク/黒田マキ
お芝居観ませんか?/猫正宗
百年歳時記/夏井いつき
近代俳句史超入門/青木亮人
もうひとつの俳句のまちづくり/岐阜県大垣市役所 高田雅章
mhm通信/あねご

読者のページ
俳句ポスト365
一句一遊情報局
100年俳句計画掲示板
魚のアブク
鮎の友釣り
告知
編集後記
次号予告




片づけの片づけ
漫歩

 料理をしては片づけ、出しっ放しの物を片づけ、畑の野菜がもったいないと片づけ。家人の誰かが片づけて放り出した物を片づけ。それでも片づかぬ我が家。
 こうなると病気であろう。一番片づかないのは私の片づけ病。
 片づかないのは心も同じ、過去の悩みにしがみつくあまりに「今を生きていませんね。」と医者に言われる始末。
 心を無くすということは、今を生きていないこと。そのくせ必要な記憶は勝手に片づいていたりする。(笑)
 そんな時にこそ薬箱の中によく効く俳句という薬があったはず。

 冬空や今を生きよという呪文


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選評という名の創作!
選評大賞2014




 毎年恒例の選評大賞も、今回で8回目。連載中の「一〇〇年の旗手」に掲載された360句の中から好きな俳句を選び、20文字×15行(計300文字)の書式の中で、選評という創作に挑む企画である。
 今回の応募総数は13点。審査は、詩人 堀内統義氏、愛媛大学教育学部教員 中西淳氏、俳人 夏井いつきの3名にて行われた。
 応募数は昨年より少ないが、質の高い選評が揃った第8回。審査の様子をお届けする。
(進行は編集長)


 審査の方法

 審査は、各投稿作品に1〜13番までの番号を振り、作者無記名で行った。
 各審査員が事前に推薦する作品を選び、議論によって、入賞作品及び優秀作品を決定した。
(文中、応募者の名前の後にある番号は、審査に使用した番号) 


 入選作品

瑞木 3

 残る客はひとりとひとり冬の雨 鞠月

 資格試験に向けて勉強するため、仕事帰りにこのカフェに通うようになって一週間。テキストが順調に進んで行く。自分の部屋よりカフェのほうが落ち着いて勉強できるのは、近くに人の気配があるからだろうか。そういえば子どもの頃も自分の部屋より台所の母のそばで宿題をすることが多かった。閉店間近のこの時間、客は私の他は一人だけ。白髪の男性が奥の席で本を読んでいる。ページをめくる音。コーヒーカップをテーブルに戻す音。会話はなくても、同じ空間を心地好く共有できる誰かが存在し得るということは、都会で暮らす者の幸せのひとつだろう。昨日までの寒さが少しやわらいだようだ。窓越しの雨が街灯を受けて煌めいている。

編 票が多く入ってるものからいきましょう。まずは3番。三人とも選んでます。
中西 選評の語り方にはいろんなスタイルがあります。最も典型的なのは、表現を一つ一つ押さえながら説明し、解釈を加えていく形。この文章はそうではなくて、個々の語の説明はしない。自分の解釈を述べながらもよく読めば各語の解説になってる、という典型とは逆の形をとってます。特に良かったのは最後の一文。冬の雨を上手に説明してますね。この一文に至るためにこれまでの文章があったのかな、と。文章のまとめ方に加え、季語をどう解釈してるかの説明の仕方がよくて選びました。毎年「最後の一文」については議論にあがるんですが、この作品は最後の一文で季語が活きてきます。
夏井 俳句ってどうしても自分の経験から読んでしまうから、私この句は飲み屋の景を頭の中に描いちゃってたんですよ(笑)。資格試験の勉強をしながら冬の雨の時間と空間を共有してるという把握はいい意味で意外で魅力でした。また、もう一人の客の設定の仕方や、細かな音の描写がとてもリアル。もともと選んだ句をどこまで豊かに展開していくか、という点がとてもよく書けてる。中西先生も仰ってますが最後の一文の着地も丁寧で感じがいいですね。今年の応募作にも最後の一文で「そう来ちゃいましたか……」みたいになる作品がありましたが、この選評はそういうのが一切ない。個人的には一押しの作品です。
堀内 文章全体の良し悪しよりも、作者が感覚として句をどう受け止めたのか?そして、それをどう表現しているか?を僕は重視して選びました。「ひとりとひとり」という言葉が表す感覚を選評の中でうまく探り当てて物語を紡ぎだしてるところが魅力です。
夏井 読み終わったあと、冬の雨ってこんなに綺麗な季語だったのか、と気づかされる喜びがありますね。字面だけなら「残る」「ひとり」しかも「冬の雨」と、マイナスのイメージの言葉ばっかりがあるのに、選評によって美しさへ納得させられる。やっぱりこの選評は力がありますよ。
中西 ただ、表現として「テキストが順調に進んで行く。」は気になりましたけど。「勉強が進む」ことを「テキストが進む」って言うのかな。語りに少し違和感があるような気もします。
夏井 省略のための表現なんでしょうね。私はあんまり気にならなかった。


亜桜みかり 5

 春手袋アンケートには少し嘘 鞠月

 「春手袋」は寒さから手を守るというよりは、お洒落という意味合いが強い。薄手の素材やマカロンのような淡い色合い。手首のフリルや小さなリボンがあしらわれているものもある。
 「春手袋」を外さないままアンケートを記入し始める。性別と年齢……。少しだけ引き算して年齢欄を埋めた。薄い生地の「春手袋」にふわりと指を包まれたまま書く「アンケートには」少し下世話な雰囲気のある「嘘少し」ではない。エレガントな気分で「少し嘘」。「このくらいはお約束でしょう?」という気持ちの表れの「少し嘘」なのだ。浅い春の青空の下で、背筋をすうっと伸ばした女性の「春手袋」である。

編 こちらも三人選んでます。中西先生と夏井先生は最初から、堀内先生は最後に滑り込みの一作として票を入れました。
堀内 「嘘少し」と「少し嘘」の違いを語ってるのが面白いね。片や「少し下世話」、片や「エレガント」。……必ずしもこの解釈に同意するかというとそうではないんだけど(笑)。
夏井 そこは触らないといけない表現ですよね、この句において。表現の仕方によって気分が変わるところは大きい。私も「エレガント」とかに必ずしも同意するわけじゃないけど、「お約束でしょう?」なんて言われたら妙に納得してしまう、強引な解説が面白い(笑)。一段落目は「春手袋」を解説しすぎてる気がしないでもないんだけど、後半を読むと、一段落目の押さえが後半の女性独特のつぶやきを思わせるから、これはこれで必要なんだろうな、と納得した。小さく気になったのは最後の一文。「背筋をすうっと伸ばした」が女性の人物像としてあってるのかな? 違うタイプの女性かも、と思ったんだけどいかがですか。
中西 私は逆で女性の全体像を語ってる点は評価しました。説明に出てくる「青空」に対して「背筋をすうっと伸ばした女性」の気取った姿の説明は文脈的に必要かと思いました。一番評価したのはいつきさんと同じですね。「春手袋」と「少し嘘」を丁寧に解説してるとこ。加えて、私は最後の着地も気に入ってる、ってところでしょうか。
夏井 中西先生は女性への眼差しが優しいと思う(笑)。「ちょっと気取った女性」の表現として「背筋をすうっと伸ばした女性」をとても素直に受け止めてるじゃないですか。ここに微量の毒……というか、気取った女性に対するもう一言があってもいいんじゃないかな〜と思っちゃうんですよね。少しの嘘は当たり前じゃない!という開き直りに対して「背筋をすうっと伸ばした」じゃキレイすぎる気がして(笑)。


更紗 2

 寒昴煌々陣痛促進剤 鞠月

 二十歳の君へ。誕生日おめでとう。夜空を見ながら君が生まれたときのことを思い返しています。予定日を過ぎてもまだまだ生まれそうにないからとパパが職場へ戻って七日後、とうとう陣痛促進剤の点滴。一人ぼっちの分娩室。君の心音を聴くためのモニターと壁の時計を交互に見ながら陣痛が始まるのを待っていたこと。ステンレスの大きな流しや消毒器の青白い光。怖くて不安だったこと。 
 分娩室に入る前にパパに電話したとき、寒空に昴が輝いていたこと。夜行バスに乗るからと慌てていたパパの声。そうしてやっと生まれてきた君はとっても温かかったこと。
 あれから二十年。今、君の部屋からも昴が見えるかな。生まれてきてくれてありがとう。

編 夏井さんと堀内さんが選んでます。
夏井 漢字だらけの硬い句でこんな柔らかな「あの日の思い出」を書けるのがまず驚く。文章力のある方なんでしょうね。名詞止めで畳み掛けていくところや、情景を次々出していく勢いも上手いですね。それから寒昴の季語の表現の仕方。まるで句の作者と評の作者が同一人物であるかのように両者の間に隙間がないんだよね。ただ最後の一文「生まれてきてくれてありがとう」がなあ……。私なら最後の一文は寒昴そのものの描写ですっと終わっただろうと思うんですよ。
堀内 僕は一押しの作品でした。全体を通して読んだときに、読み手にすーっと沁みこんでくる。読後感が気持ちいいし、俳句が表現しようとした心を掘り起こして伝えてきてくれる。そのまとめ方も上手いしね。
夏井 最後の一文は許容範囲?
堀内 僕はあんまり抵抗はない(笑)。
中西 僕は選んでないですけど、大賞以外の賞としてランクインするのは異論ないです。毎年、選評の文体についての話がありますよね。一つは言葉を丁寧に解説するタイプ、もう一つは句の世界に没入して書くタイプ。この作品は後者の典型として賞を受けるに値すると見ていいんじゃないかと。
堀内 本当にこういう事実があったんだな、と引き付けられるようにして最後まで読まされましたからね。
夏井 そこがこの選評の力ですよね。


空見屋 10

 寒卵割る音空の青む音 てんきゅう

 凍て付く日に出かけた母が、嬉々として戻るとふところから大事そうに新聞紙を出して見せた。何だろう。「ほらまだあったけぇ」
 それを食べさせると、長引く子の病もきっと快方に向うと聞いた。信じきった満面の母の笑顔、出てきたのは輝く「寒卵」だった。
 鶏卵は特に寒中が栄養豊富で、完全食品と呼ばれる。曲線の優しさは格別であり、シルエットは完璧なまでに美しい。
 掲句の「寒卵割る音」とは、頑丈な殻と、割ろうと打ち付けた時の意外に強く高い響き音。それは「空の青む音」でもあったのか。
 無音の天空に寒卵の割れる音が届く。一瞬の後、冬空はキリキリと青みを増して呼応し、続きビリビリと共振しているのに違いない。

編 中西先生と堀内先生がとってます。
中西 一番気になったのは最初の三行。この部分が必要かどうかすこし疑問は残ります。最初の三行とそれ以外の語りとがアンバランスなのがもったいない。寒卵や冬空への語りと、この句を選び出してきた選句眼は好印象です。
堀内 僕は最初の三行の語りの調子で最後まで行ってくれたらよかったのにと思ったんだけどね(笑)。三段落目「〜完全食品」の説明部分はなくても良かった。あと四段落目の最後『それは「空の青む音」でもあったのか。』あたりは無理に文学的な語りをしようとしすぎてるように思える。「上手く書こう!」という気持ちが見えちゃってるというか。もうちょっと素直に書いた方が、この方の持ち味が活きるんじゃないかな。全体的にご自分の読みの世界を展開してるのは好意的に受け取ってるんだけど。
中西 最初の三行に対する感じ方は違えど、二人の意見が一致してるのは「全体を通して文の調子が合ってない」ってことですね(笑)。
夏井 最初の一 二段落、中の三段落、最後の四 五段落、全部書き方がバラバラなんだよね(笑)。パーツごとに見たら、なにかやろうとしてる意図に共感できるんだけど。ただ、3つのパーツを並べるとそれぞれの良さが良さにならない。そこが勿体無いよねえ。出発点である原句を思えば、四 五段落の空気が最も元のイメージに近いのかなとは思うけど、「寒卵割る音=空の青む音」という解釈は少し違うんじゃないかな。
中西 途中の描写がちょっとうるさい感じはします。「完璧なまでに美しい」まで言わずとも(笑)。
夏井 でもすごく頑張ってる作品ではありますよ。努力賞! よく頑張った!(笑)


樫の木 6

 さよならが口から離れ白モクレン 八木ふみ

 この別れはどんな別れなのだろう。
 「さよなら」の口調から近しい間柄のようだ。続く助詞は「が」。「は」を使う場合より「さよなら」という言葉の重みが増す。
 「口から離れ」は言葉が物理的、心理的に遠くに行ってしまう印象を受ける。
 「白モクレン」は清潔で美しいが盛りを過ぎると汚れやすい。カナ表記がちぐはぐな印象を与える。季節は春で卒業、別れの季節。
 卒業式の帰り道、何時もの曲り角、白木蓮の下で二人は「さよなら」を交わす。その声が青空の奥に吸い込まれて行く。白木蓮は白色に茶色が混じり、移ろい始めている。同様に移ろい始めた二人は嬉しさと悲しさ、期待と不安、そんな相反する感情を持て余している。

編 ここからは一人が選んでる作品。これは中西先生が選んでます。
中西 この俳句がまずいいですね。句と選評はお互い影響しあってて、良い句を選ぶと、それに負けないくらい良い選評をつけないといけない。その点、この選評は少し説明し切れてないところもあるんです。でも助詞の比較や「口から離れ」の説明、白モクレンと空の関係などは丁寧に解説しようとしてます。それらの良さで頂きました。ただ、わからなかったところもいくつかありますね。「移ろい始めた二人」へ無理矢理もっていこうとしたところは句に負けている感があります。「その声が青空の奥に吸い込まれて行く。」の感覚が魅力なので、そこを膨らませるともっといい選評になったんじゃないかと思いました。
編 とらなかった意見を聞いてみます。
堀内 割と常識的な範囲内の作品だったなと。僕は選評を読むとき、細かな言葉よりも作品全体の文章を見て評価しようと思ってるので、前半の解説にあまり魅力を感じられなかった。俳句の読みとしてはそういう部分が大切になってくるんだと思うんだけどね。
夏井 選評の書き方として、こういう助詞などの効果をしっかり押さえながらやる手法はもちろんあり。ただ、この選評における二行目から六行目までの部分は、ちゃんと句を噛み砕けてないんじゃないかなあ。「が」と「は」の違いや「口から離れ」がどんな読みをひっぱってくるのかが、後半の呼んでもらいたい部分に反映されてないというか。前半で解説をするなら、後半にその要素が綺麗に入ってこないといけない。そこが勿体無い。あと、個人的にはこの句に対して、卒業式を連想しなかった。3番の作品のカフェという場面設定には意外性で納得させられたけど、こっちは「サヨナラ」=「卒業」のイメージの近さもあって驚かされなかった。この句の上五中七ならもっといろんな「サヨナラ」を想定できたんじゃないかな。この人のアンテナならそれらを全部気づいてわかってるんだけど、その感覚が選評の中に反映されてないような印象を受けます。


森本樹朋 7

 被食者としてヌーが居て浅蜊居て 鞠月

 屈強な野獣ヌーを被食者と断定したことに意表を突かれる。ヌーはアフリカの南部を、数十万頭の集団で草を求めて大移動する。その間ライオン、チーター、ワニなどの絶好の狩の対象となる。確かにヌーはサバンナの肉食動物にとって最高のエサなのだ。
 台所では今、浅蜊を砂抜きしている。浅蜊は日本人の食材として、石器時代から親しまれてきた。また蟹や蛸、鳥類などの好物でもある。珪藻が主食の浅蜊は、草食動物のヌーと同じく、食物連鎖の中で被食者となる。静かに潮吹く浅蜊を見ていると、被食者と対極の位置にいる捕食者としての自分を思う。そしてまた人間も、腐食を含めた食物連鎖の環の一員であることに思いが及ぶのである。

中西 最後のまとめ方を評価しました。言葉が熟してないんですが、読み手として言わんとしてることは伝わりますね。ヌーと浅蜊に対する個別の説明が少し長い感じはするんですが、解釈の持っていき方が面白いですね。
夏井 この句がいい意味で気になりますよね。よりによってヌーと浅蜊を持ってくる選択が面白い。でもこの句を噛み砕いて選評を書いていくのはなかなかに大変な作業ですよ。その挑戦に拍手を送りたい(笑)。ヌーの説明も避けては通れないし、苦労はわかるんだけど、この選評が語りたい内容の核はやっぱり「食物連鎖の環」の部分なんですよね。前半をもっとコンパクトにして、後半部分に文量を割いてあげた方が良かったかと思います。
堀内 「食物連鎖の環」に持ってくるのは当たり前で意外性がないと僕には感じられた。あるいは真面目すぎるというか。ヌーと浅蜊、かけ離れたものが同居してる不思議さがこの句の魅力だから、もっとはちゃめちゃに読んでみてもいいんじゃないかと思うんだよね。
夏井 一段落の説明と二段落目冒頭「台所では今、浅蜊を砂抜きしている。」の落差にも驚いたよね。で、ここからどうなるのか!?と期待したら、また淡々と説明に戻っちゃう。この展開も勿体無かった。
堀内 その辺も含めて、もっとドキドキさせてほしい(笑)。


鯛飯 11

 ドラマーの恋の数ほど木の実降る 蛇頭

 思わず笑ってしまった。大体「恋の数」が、雨粒のように落ちてくる「木の実」の数ほどあるだなんて、嘘をつくにも程がある。がしかし、それが「ドラマー」だとなると妙に納得してしまう。「恋の数」にではない。「ドラマー」なら言いかねないし、嘘のつき具合が丁度良いのだ。「ドラマー」だけに「木の実」の落ちる音が聞えて来るのもいいな。
 そういえば映画の主題歌に「俺らはドラマー〜俺らが怒れば嵐を呼ぶぜ」なんてのがあった。「ドラマー」には法螺吹きが多いのだ。粋がってはいても、「木の実」程度の小さな「恋」も数えているんだろうな。しかし、恋をすれば「木の実」が降ってくれるなんて事が言える「ドラマー」は、確かに愛される。

夏井 自分のつぶやきを淡々とつづってるような形をとることで面白さを生み出してます。書き出しの「思わず笑ってしまった。」で共感のラインをひいて、ここに寄り添える人は引き続き楽しんでいける。作り方に工夫がありますね。軽く呟いてるようでいて、季語とドラマーの関係を読み手も一緒に納得しながら読んでいけるように企まれています。嫌味なくやれてるのがいいですね。ただ、「〜確かに愛される。」と唐突に終わるのは虚を突かれました。それまでを楽しめていただけに、終わり方が勿体無かったかな。
堀内 出だしの三行が面白くて僕も惹かれてたんだけど、「〜妙に納得してしまう。」でガクッときちゃった。しかも裕次郎まででてくるし(笑)。ドラマーのイメージが一般的な枠内に収まりすぎちゃってて、もっと破天荒に書いてもいいんじゃないかな。難しいところだとは思うんだけどね。破天荒すぎると読み手に理解されず、常識的すぎるとつまらなくなる……(笑)。
夏井 最初の三行の作風を維持しながら書いていくとそれはそれでちゃんと完結できたんでしょうね。読み手を納得させるのが貴方の役目なんだから、「納得してしまう。」と書いてご自身が納得しちゃうと、そこで終わっちゃう。こちらにその納得を手渡して欲しいのよね。
中西 「思わず笑ってしまった。」から始まる割に、そのエピソードが文章中に登場してこなかったのが残念。書き出しの良さを活かすには、そこをもっと詳しく見せて欲しかった。


みちる 12

 筍ご飯装うてこれからを聞かず 妙

 「筍ご飯できたよ」と息子を呼ぶ。奥の部屋でごそごそ動く音。「うん」とも「はい」ともつかない返事。昨夜遅くまで友達と飲んでいたのだ。朝寝坊して、もう昼飯の時間。今春大学を卒業して田舎に戻ってきた息子は将来のことを決めていない。都会での就職にこだわるでもなく、かといってここで腰を据える決心をしているわけでもない。どうするつもりか、今日はどうしても聞きたい。腹は減っていないと言いながら、湯気のあがる筍ご飯を見て「やあ、おいしそうだ」と息子は箸を取る。若い歯が筍を噛む爽やかな音。それを聞いていると、先ほどの心配が次第に消えてゆく。うん、聞くのはやめよう。息子の貌に輝いている未来を信じて。

夏井 「筍ご飯を装う」ということと「これからを聞かない」ということ。二つのパーツの中にこんな物語があるよ、と語ってるわけですね。息子の描写や心情的な小さなリアリティはあるんだけど、全体を読んだときに驚くような内容はない。十二行目あたりまでは受け入れやすいんだけど、最後の三行あたりはもう個人的にアウト(笑)。
中西 やはり最後の部分ですね。「貌に輝いてる未来を信じて。」を納得させるだけの素材を前半で見せてもらっておかないと、寄り添いにくい。個人的には、句を読んだ時にむしろ悶々とした雰囲気を感じていたので、そのイメージを覆してこういう着地の選評をするならもう少し材料が欲しかったですね。
堀内 少し解釈が優等生すぎるというか……終わりの三行、ここまで書くか!という気はしますね(笑)。
夏井 この人はよっぽどおいしそうな筍ご飯を想像したんでしょうね(笑)。
中西 優しいお母さんなんでしょうね。普通ここまで肯定的に見れないですよ(笑)。
夏井 「これからを聞かず」への解釈がやたら素直なんですよね。物事を斜めに見てしまうワタクシとしては「いや、聞けよ!」と思ってしまう(笑)。


神楽坂リンダ 13

 竹輪麩で指される先の春の蠅 妙

 「竹輪麩」の原料は魚肉ではなく小麦粉だ。塩少々と水で練った筒状で、周囲のギザギザが歯車に見える。うどんみたいに色白だが、おでんの汁にこよなく染まる。そんな「竹輪麩」の地味ではあるが静かなる存在感が旨味ある装置としてこの句を引き立てている。
 おでん屋の壁に蠅がとまっている。この冬をおでん屋で生き延びた蠅だ。あまり動かず愚痴もこぼさず冬を越した蠅。立春を迎えたらもう「春の蠅」だ。指で指されるより、箸で指されるよりも「竹輪麩で指される」蠅の方が祝福されていると感じる。蒟蒻や大根ではなく、玉子でもなく、柔らかそうで頼りなさそうな「竹輪麩」で指されることで俳諧味が増し、好感さえ抱く「春の蠅」となった。

堀内 好き嫌いの分かれる竹輪麩って句材が面白い。春の蝿とあわさって俳諧味が増す……のかな?(笑)
夏井 この選評、点入れようか最後まで迷ってた。妙に可笑しいんですよね(笑)。
中西 作者が迷いながら書いてる節がありますよね。客観的に説明しようとしてるかと思いきや、主観的な意見が出てくる。「うどんみたいに色白」だとか。そういう主観と客観のギャップが面白いですよね。「こよなく染まる」とか(笑)。
夏井 一箇所だけひっかかったのが十行目から。「〜祝福されている」って……そうか? もちろんイヤな感じを受けてるわけじゃないんですけどね。面白いけど、この人の扱い方がわからない(笑)。
編 評価としてはどうなんですか? 「個性的」?
夏井 飄々とした作者の人間性が文章に表れてて愛してはいる。
堀内 不思議に惹かれる。入賞にはしてもいいんじゃないかなあ。


 今年の最優秀賞は

編 賞を決めていきます。最優秀賞、優秀賞、入賞の三ランク。最優秀候補としては2、3、5番でしょうか。2はお二人が選んで、3と5は三人とも選んでます。5番は堀内先生が最後に滑り込みのようにして選んでるので、すっきりと全員が票をいれてるのは3番のみとなります。番号の若い順にもう一度見ていきましょう。2番は最後の一文に評価が分かれているものの夏井さん、堀内先生がとってます。3番は句の世界を膨らませて見せているのが全員から好評価。5番は素直で読みやすいものの夏井さんが「背筋を伸ばした」のくだりに疑問を挟んでます。
夏井 疑問の量としては、2番よりも5番の方が許容はしやすいかな。
中西 推すなら3番。綺麗に読んでるというところで。
夏井 私はもともと3番一推しの、2、5が次席でした。どれが最優秀にいってもいいけど、好みは3番ですね。
堀内 3番は、句を作った人の気持ちをうまく探り当てて書いてて、やはり力量がありますね。
編 満場一致で最優秀賞は3番ですね。最優秀賞と争った2番と5番は優秀賞。それ以外は入賞で宜しいでしょうか。
全員 異議なし。
中西 応募数は少ないけど今年の作品は全部良かったですね。
夏井 私も思いました。選からもれてる作品も含めて、読む側にとって拷問みたいなのがなかった(笑)。あとはこのクオリティを維持しつつ、数が増えたらいいですね。少なくともクオリティがあがってることだけは確かです。


最終結果

最優秀賞
瑞木

優秀賞
更紗
亜桜みかり

入賞
樫の木
森本樹朋
空見屋
鯛飯
みちる
神楽坂リンダ

*各賞の表彰は、12月6日開催の100年俳句計画大忘年会にて行います。

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百年百花


大人コン選考会員4名による4ヶ月間競詠
2014年度 第三期 第一回


「ハクチョウの赤」 加根兼光

パレットの白点々と川面凍つ
パリ市庁舎灰色に冬の雷
冬凪の三本に色の帯透く
マクシミリアン冬虹に白なかったか
雪の聖堂海へと細りゆく光
点す灯のあくまで仮設聖樹ああ
客寄せに冬すみれ草置きました
後姿はマフラー忘れてきた少女
加わって時雨の人になっている
外港は満潮カモメ飛んでいる冬か
岸に沿う木立枯草へとなびく
ハクチョウハチヲハクマデヲナク、生キヨ


1949年、大阪府堺市出身。映像、俳句プロデューサー。2007年秋、第9回俳句界賞受賞。映像と俳句のコラボレーション、俳句の新しい展開を目指す。




「ピアノの蓋」 松本だりあ

朝露やもんどりうつて草の中
空色の種秋天の底に蒔く
日の射すやせはしき秋の蜂の貌
鬼薊をさななじみの出奔中
敗荷の金の茎もて倒れたる
秋の日やひとりのときは草鉄砲
がまずみの実に触れ野外彫刻展
無題といふ鉄のかたまり秋うらら
絹の道の帽子の縁の秋の蠅
月光やオールド香港カオヤーツ
深秋のピアノの蓋や母のこと
鯉の髭のたゆたゆたゆと秋のゆく


1942年生まれ。双子座。句集『ダリア』(編集アトリエまる工房)。句集『海に遊んで』詩集『おばあちゃんの魔法の苺』(有限会社マルコボ.コム)。




「右翼」 三津浜わたる

秋深し隣のじじいの犬逃がす
芒野に着信音わたくしにメルトダウン
砥石濡れて時雨の空を映しけり
エリーゼのために冬夕焼の中にゐて
言葉死して舞台の閉ぢぬ冬りんご
墨付けの木目にゆがむ雪催
着ぶくれてねむたき俳句怒りの詩
聖樹小さし釣銭わたす指に触れ
ポインセチア美しき手相の薄明り
木枯しに酌む第九九条九 一一
雪の埠頭潜水艦の墓標めく
見渡せば右翼ばかりの枯野なり


1969年生まれ。第4回俳句甲子園の神野紗希さんの作品を見て俳句をはじめる。第17回俳句甲子園実行委員長。




「メリッサ」 めいおう星

水澄むやくうに小舟の泛ぶまで
さらさらと秋の鱗粉背に肩に
EARTHの天地繋ぐ端子や秋の薔薇
十月の雷鳥嘆きの摩利支天
月光に肌うすうすと青ぶだう
霧深むアサギマダラの面影に
鵙猛る遠嶺峨峨たる風溜り
ゆび悉く木枯一号待つ岬
冬隣フレンチブルドックの鼾
女主人の火水刃冬に入る
闇汁に飛び込むものに大火球
風花や湖畔のメリッサもう居ない


1958年、松山生まれ、東京在住。俳句の缶詰に漂着してよりいつき組組員。今年、専業主婦デビュー。




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読者が選ぶ人気俳人!

100年俳句計画作品集 100年の旗手


(2014年10月号 〜 2014年12月号 3/3回目)


 薔薇窓 幸

マクベスの科白厖大なる秋思
ヒロインの肩に落葉の野外劇
訪れる人なき鉄扉蔦紅葉
ラ フランス食べ頃わからない二人
トパーズ色の膝掛にくるむ仔猫
長手套脱がざるままの別れなり
冬薔薇ぽつりとベニス裏通り
ゴスペルの踵鳴らしてクリスマス
寒の雨懐中時計動き出す
懐炉抱くノートルダム寺院の薔薇窓


1948年東京生まれの東京育ち。退職後、季語を知っていくこと、心に染み入る俳句に出会える事が喜び。
今後は「色」をテーマにした句集を出すことを目標に日々励んでいきたいと思っています。



 冬夕焼 杉本とらを

幼子の届かぬ小石浮寝鳥
木の橋の土台は鋼冬の川
野良猫の髭に冬日の撥ね返る
銀行の大きな時計暮早し
賀状書く為の小筆と飴を買ふ
卓袱台の下に転がる冬の蠅
冬夕焼米研ぐ母を包みけり
煤逃の呑兵衛横丁コップ酒
熱燗や軍歌を嫌ふ老店主
寒柝の響く下町銀座かな


1960年生れの自称江戸っ子。せっかちで慌て者で心配性。川柳の本が無くて、たまたま買った俳句の本が切っ掛けで、だらだら10年。パイオニア音俳句で組長に惚れて、いつき組を名乗っている。



 温み てん点

秋蝶を払ふハーネス着けて犬
鶏頭に触るれば母の手の温み
月光や菩薩豊けき頬持ちぬ
繭倉の梁墨色の夜長し
夜神楽の始まり杉へ星数多
裏返し亀洗ひたる小春かな
冬帽子目深や画家の前に海
車椅子の膝へ木の葉を並べたり
リトアニア語の聖歌流るるミュゼの夕
乳匂ふちさきくさめを覗きたる


愛媛県宇和島市生まれ。2009年3月「一句一遊」に恐る恐る初投句し、以来俳句のある生活へ。
現在「東京俳句の穴〜通称ロマンチカ〜」等で勉強中です。



次回1月号〜3月号連載者決定

 「100年の旗手」では毎月、読者の皆様より「この人の作品集を読んでみたい」という気になる俳人を、1人3名まで推薦していただいています。
 7月〜9月の推薦数を集計し、多くの推薦が集まった方に編集室より執筆を依頼した結果、連載を行う3名が決定しました。

 一心堂さん
 七草さん
 マーペーさん

 来月号より3か月間、こちらの3名が作品集を連載します。
 お楽しみに!


読者が選ぶ人気俳人!
「100年の旗手」連載者推薦募集

 今求められているのは、読者が読みたいと思う俳句作家。「100年の旗手」は、連載する俳人を、編集室ではなく、読者が選ぶコーナーです。
 「この人の作品集を読んでみたい」と気になる俳人を、1人3名まで推薦してください。その中から、推薦の多かった方に、編集室より原稿依頼を行います。
 あなたのお勧めの俳人を是非推薦してください。

 推薦の方法

「この人の作品集を読んでみたい」という人を3名まで選んで(自薦は不可)、その俳号と活動場所(句会、誌面等)、推薦者ご自身の俳号(本名)、住所、電話番号を明記して、100年俳句計画編集室「作品集推薦」係へ送ってください。ハガキ、FAX、Eメールで受け付けています。Eメールの場合は件名を「作品集推薦」としてください。また、専用のインターネット投稿フォーム(http://www.marukobo.com/100kishu/)でも受け付けています。※投稿フォーム利用の場合を除き、推薦は他の投稿等とは分けてください。

締切 毎月末日

 現在連載している3名の方以外なら、一度連載された方も含め、どなたでも推薦できます。
 今回連載を行った3名の作品集の感想もお待ちしています!


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百年琢磨
 それぞれの眼差し 津川絵理子

「秋空」 てん点

秋澄むやブルーインクにある濃淡

 万年筆のインクは、濃淡が付くところが好きだ。手書きの良さがそうしたところにも出る。一読して気持ちの良い句と思った。ブルーという色が爽やかで、秋らしい感じがする。

秋蝶の翅やアンネの日記閉づ

 これは生きている秋蝶ではないだろうか。閉じたり開いたりしている翅に注目しているのだ。翅の美しさ、脆さから、アンネの短い生涯へと思いが及ぶ。

青蜜柑供へて母の部屋澄みぬ

 何を供えるかによって変わってくるが、この句の場合、甘酸っぱくて爽やかな青蜜柑という言葉から、母の姿を浮かび上がらせる。「澄みぬ」の斡旋に、部屋の静けさが伝わってくる。


「緑青の馬」  幸

秋の声緑青の馬ふり向きぬ

 海外詠と思われる句が多い作品群。この馬も外国の街角に置かれた像かもしれない。周りの景色が見えてくるようだ。季語が無理なく付いている。

教皇の武骨な指輪秋燕

 言われてみれば、教皇は大きな指輪を嵌めている。ただ大きいと言わず、「武骨な」としたところがこの句の眼目。聖職者が垣間見せる武骨さ。そこに意外性がある。

仕立て屋の小さきテーブル秋黴雨

 作業台とは別のテーブルなのだろう。休憩するときに使うのかもしれない。大きい作業台と、小さなテーブル。小さい方への眼差しと、秋黴雨の寂しさが合う。


「母」 杉本とらを

地下鉄のC-2階段黄葉降る

 「地下鉄」と「C-2」、なんとなくしっくりくる。どちらにも母音イ音があるからかもしれない。それに改札から遠い方というイメージもある。「黄葉降る」の季節感がさり気ない。

東京に降り立つ母の嚔かな

 あまり東京へ来ることのない母。「降り立つ」が少し大袈裟で、大都会に来たという母の意気込みや緊張が感じられる。そして嚔をひとつ。その可笑しみ。

大根煮て窓といふ窓曇らせる

 大きな鍋で料理しているのではないだろうか。「窓という窓」からそんなことを思う。時間をかけてぐつぐつ煮ている様子が浮かんでくる。



津川絵理子
1968年生れ。「南風」所属。句集『和音』。平成19年、俳人協会新人賞、角川俳句賞受賞。


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新 100年の軌跡


2014年度 第三期
第一回


 ある一日 晶美 

暁を破りて金木犀かをる
色鳥の呼ばれた順に並びけり
セーターをくぐればちがふ朝日かな
正座して両手で摘みぬ草の花
秋の水しか触れられず秋の蝶
黄落の止んでぽかりとした真昼
秋空の終はりを探す散歩かな
金風の洗濯物に絡まりぬ
秋光のなか小包を渡さるる
アラビアの夜空の色の葡萄かな
豊作のにほひごと文しまひけり
三つ編みのほどけて秋思こぼれけり
長き夜の会話によく出てくる其人
月光のひとすぢとなる祈りかな
天心の月の真白へふれにゆく


晶美
1990年生まれ。本名、高岡晶美。
岡山大学大学院環境生命科学研究科在籍。第11回俳句甲子園児、週末活動句会句集『WHAT』に参加。




 上のはうに 堀下翔

いがぐりの上におほきな木のありぬ
鳥がゐてとほくて秋の晴れにけり
いつからかその木があつて秋夕焼
すぐ乾きをる鵯の足あとよ
となり合ふ木の一方にけらつつき
上のはうに秋の蚊のゐる泳ぎかな
夜は雨のさかりなりけり白桔梗
どの葉にも触れぬ柘榴のありにけり
薩摩芋よく当たる陽をうしろにす
背を高くしてゐる秋の扇風機
藤子 F 不二雄の忌なる広き壁
朝顔の奥まで影のなかりけり
秋の野の高きところへ来てゐたり
大仏へ雨降りにける秋の暮
とほくから海のつめたき夜なりけり


堀下翔(ほりしたかける)
1995年北海道生まれ。「里」「群青」同人。筑波大学に在学中。




切れ字 都築まとむ

秋の水しか触れられず秋の蝶 晶美
三つ編みのほどけて秋思こぼれけり 晶美
 どちらの句も繊細で心がチクッとした。とても共感を覚える「秋」ならではの感慨。

セーターをくぐればちがふ朝日かな 晶美
 セーターから頭を出す瞬間、自分が生まれ変わったようにそこには新しい朝日がある。冬の朝の少しの喜び。

黄落の止んでぽかりとした真昼 晶美
 「ぽかりとした真昼」は、黄落の明るさの中の淋しさ。それが「止んで」という空間なのだろう。

鳥がゐてとほくて秋の晴れにけり 堀下翔
薩摩芋よく当たる陽をうしろにす 堀下翔
 視線がグーンと開けてゆくカメラワークの気持ち良さ。下五の語りに巧さがある。薩摩芋の句は背中に陽のぬくもりも感じる。

どの葉にも触れぬ石榴のありにけり 堀下翔
朝顔の奥まで影のなかりけり 堀下翔
 当たり前のことを当たり前として見逃さない眼に感心する。切れ字の「けり」が印象をより鮮やかにした。


1961年愛媛県八幡浜市生まれ。自分の句歴12年に驚くばかり。第3回選評大賞優秀賞。



近くにあるもの 遠くにあるもの 樫の木

 晶美さんの一日はささやかな驚きに満ちています。

セーターをくぐればちがふ朝日かな 晶美
 頭がセーターをくぐる僅かな間に、ちがう朝日になっているという。それは作者の意識の変化なのだろう。一日の始まる高揚感が朝日をパワフルに変化させるのだ。

アラビアの夜空の色の葡萄かな 晶美
 アラビアの砂漠の上の夜空は澄み切った深い紫色をしているのだろう。そこには無数の星々が輝いている。光も闇も取り込んで、なんと瑞々しい葡萄であろうか。

 堀下さんは平明な言葉で奥行のある世界を描きます。

鳥がゐてとほくて秋の晴れにけり 堀下翔
 木立の中に何かが動いている……鳥だ。その遠さがもどかしい。木立の向こうには秋晴れの真っ青な空。明るい光景なのにどこか寂しさがあるのは何故だろう。

とほくから海のつめたき夜なりけり 堀下翔
 海は遠くにあって、でも作者にはその気配が感じられる。濃紺の闇の彼方から海の気配がつめたく染み込んでくる。海と作者が互いに引き合っているように思える。

 お二人の句群がどう展開していくのか楽しみです。


1965年愛媛県生まれ。大分県在住の家具職人。第5回選評大賞優秀賞。


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超初心者から中上級者まで楽しめる
100年投句計画

 「100年投句計画」は、読者の投句コーナーです。

 「選者三名による雑詠俳句計画」は、雑詠句の選句欄です。投句の中から先選者二名が、それぞれ天地人の句を選び、先選より漏れた句の中から、後選者が特選、並選を選んでいます。今回の先選者は、阪西敦子さんと加根兼光さん。後選者は、関悦史さんです。

 「へたうま仙人」は、ヘタな句を褒め、巧い句を追放する、世の選句欄とは真逆のコーナーです。どんなにヘタな句でも褒めてくれるので、自分の俳句に自信のない方、何はともあれ褒めて欲しい方に最適(?)。担当は大塚迷路さんです。

 「自由律俳句計画」は自由律俳句の選句欄です。自由律俳句に挑戦することで、自由律俳句ならではの楽しさを味わうと共に、有季定型の俳句との思わぬ共通点も見えてきます。選者は、きむらけんじさん。
(投句方法は「100年投句計画」コーナー末尾参照)
写真:白鯨


選者三名による雑詠俳句計画


先選者 関悦史

 赤瀬川原平氏が惜しくも他界。文庫化以前の『超芸術トマソン』や『東京ミキサー計画』を高校のとき図書室に買わせたりもしたもので、私からすると前衛芸術と路上観察、そして尾辻克彦名義の『父が消えた』他奇妙な軽みの傑作短編の印象が強くて、それらから骨絡みの影響を受けているはずなのですが、なぜかあまり読まなくなってしまっていました。写生俳句の非意味性の凄みの、すぐ近くをすり抜けた人という気もするのですが。


手を沈め新米は静かな時間 大塚迷路

 米に手を沈めてみる句はよくあるのですが、この句の場合「新米は静かな時間」に詩的な飛躍があり、句跨りなのにそれでかえって音韻、音律的な安定と快感を得ています。読み下すと、句の切れ目にあたる「シズ/カナ」で一山越え、下五の「カナジカン」の開放感と完結感へとなだらかに流れ落ちる形になっている。
 理に落ちかねない「新米は静かな時間」と「手を沈め」の具体性が一体化していて間然するところなし。



血圧の安定続く良夜かな おせろ
 病気の不安感は句になりにくいのですが、この句は「安定」で不調を暗示しながら、つかのまの安心への満足や感謝を打ち出しており、マイナスの事柄を詠みながらも「良夜」を心身に取り込んでいる感じがします。

山小屋に陛下の写真天の川 雨月
 専業俳人からはかえって出にくい素朴な味のある句。「天皇」ではなく「陛下」を使うとシニカルにしたり、正面突破したりと何らかの身構えを強いられるところをあっさり山や空とひとくくりにした大らかさ。

聖女めく背のとほざかる秋燕 緑の手
 「秋燕」の一物なので比喩が命になりますが、単に「聖女めく」ではなく「背」まで踏み込んだことで「秋燕」に迫れた気がします。説明的でやや重い語順になるので「秋燕」は上五に持ってきた方がいいかもしれません。

子供達の声は透明金木犀 北伊作
 秋の季語に「物の音澄む」があるので「声は透明」が若干かぶるかとも思いましたが、これはこれでいいのでしょう。金木犀は香りだけでも実体感が強いので、「声は透明」に説得力が出、うまく聖性を引き出しています。

信金の山茶花散るや影法師 未貫
 「信金の」がただの余計な報告なのか、諧謔のようなものにどこか繋がっているのか。実体なき影法師に触れて花が散ったような脈絡も生じ、信金の生活密着の俗っぽさもその非在性との関係で後者になると取りました。



秋日和墨つややかに乾きけり のり茶づけ
幾歳も毛糸編み継ぐ媼あり レモングラス
プラネタリウムに口開けて寝る良夜かな  越智空子
秋祭り午後を過ぎての淋しさよ 蓼蟲
舟すでに引き揚ぐ野分雲太る うに子
大根蒔く指穴あけて雨上がり あきさくら洋子
まっさらな空まっさらな月昇る マミー
緞帳の原画に出会ふ美術展 瀬戸薫
車イス停めて団栗拾いけり 青柘榴
生地のまま生きるがよろし花梨の実 あい


先選者 阪西敦子

 三週間も咳がやまない。最初は確かに風邪だったのだ、その一週間前に引いたのと同じ種類の。しかし風邪のばい菌がなくなっても咳が残って、昨日から胸の筋肉痛になってきた。それが転じて最終的にはシェイプアップに……とならないか期待しているところ。


コスモスは遠くの花と思ふなり 遊人

 花の遠近は、本来はたまたまその時に近くにあったか、遠くにあったかということなのであるから、あの遠くに見えるのがコスモスだよということなのかもしれないが、「思ふなり」と句が進んでゆくにつれて、コスモスは遠くの花と定義づけられてしまったようにも聞こえる。その色の分れ目を通ってみるということもあるくらいだから、必ずしもいつも遠くと決まったわけではないけれど、その色や揺れやすい姿は、なるほど、遠くだ。



舟すでに引き揚ぐ野分雲太る うに子
 さっきまで出ていた船が、もう去ってしまった。陸では、野分の雲がむくむくと湧き出している。台風が来て、戻って行ったどこかの国の船があったけれど、そういう風ではなく、海と陸の広々とした物語ととりたい。

かさぶたのぽろりと取れて無月かな おせろ
 かさぶたの取れることと、無月には因果はないのだろうと思う。たとえば傷が治るといった効能ではなく、単に無為のなかにかさぶたがとれたという小さな事実が描かれることに、無月の「無さ」が際立ってくるのだろう。

柿たわわ実りし空に星ひとつ まんぷく
 あまたの柿が豊かに実っている。それは夜になっても影の重さでわかるのだろう。夜の明るさは知れないけれど、柿が空にひしめくほどの里、暗ければ暗いほどよい。その影の間を縫って、見える星。遠さはひとしおだ。

鈴落ちて小島の磯の九月かな 人日子
 九月になって穏やかな島と磯が戻ってきているのだろう。人出は減ったものの、多少は人々が憩っている。その身に着けた鈴が落ちる。音は広がり、光を受けて転がるさまも良く見えるのだろう。この鈴の塩梅が心地よい。

身に入れむ波打つてゐる芒原 省三
 身を入れるのかと思ってきちんと見れば、身に入れるのであった。芒原を、しかも波打つままにとは、何か衣服の中へ押し込んでみるのとは違うようだ。身を入れるように、身に入れる、互いに透くようなそんな心持。

月の夜永久に生きんとする活字 アンリルカ
 活字のところは、月光への照りが少し違う。そもそも生きてはいない活字が生き、さらに永遠に生きようとしているようにうつる。月の力でもあろうし、月の下にいて言葉を紡いでいる人の決心かもしれない。



芋虫に語りかける子駆け出す子 八十八五十八
夕風や稲刈終わる耳平和 八木ふみ
聖女めく背のとほざかる秋燕 緑の手
大根蒔く指穴あけて雨上がり あきさくら洋子
地下足袋の爪先反りし神輿上げ 池田喜代持
子供達の声は透明金木犀 北伊作
秋晴れやリュック背負ひて叔父見舞ふ 未貫
車イス停めて団栗拾いけり 青柘榴
病室の蛇口チョロチョロ秋祭り 香


後選者 加根兼光

 今朝ベーコンエッグを食べ終わり、ふと皿にある黄色いものに気づいた。
 黄身がこぼれたのかと触ったが皿の模様だった。風が吹くたびに肌に届く冷たさは増し、遠くの石鎚が少しづつ近づいてくるかのような錯覚に陥る。そんな毎日の中で冬は不定形に広り、深まってゆく。


特選句

脈打てる二百十日の暗渠かな うに子

 脈打っているのは暗渠それも厄日の。暗渠は普段暗く静かに水を流すのであるが脈打つのは二百十日であるから。暴風の中に激しく水を流すのかもしれない。それはやがて田や植物を育てるものともなろう。脈打ちながら。

茜雲切り絵のごとく根釣人 哲白

 赤く染まる雲と海を背景にひたすら釣果を待つ。「切り絵のごとく」という比喩がシルエットとなった人物の輪郭を浮かばせる。根釣であるから海底を探るように慎重に糸を垂れているのだろう。切り絵のように動くことなく。

うそ寒を最終バスの尾灯二基 松ぼっくり

 「を」という助詞が効果を発揮する。うそ寒の時間と空間の中を、行く終バスである。されに尾灯でバスを追う視線も見える。恐らくはブレーキ点滅する二つの赤がうそ寒を増幅してくれるのである。



並選句
宙返りしながら枯葉空にキス さとう七恵
掘り返す武者の首塚曼珠沙華 杉本とらを
点滴のぽつりぽつりと後の月 のり茶づけ
フィギュアの得点に声裏返り レモングラス
水蜜桃剥くしなやかな指愛し ヤッチー
かをり初む秋づく木々のおもちゃかな 富士山
閘室の水に方舟星流る 空見屋
そぞろ寒電話に母の声を聴く 迂叟
叢雲の夜をぺかぺかと万年青の実 越智空子
藁半紙にひなたの匂い鳥渡る 幸
黄落や木地師は家を捨てたらし  蓼蟲
瞬きに圭角見える夜寒かな 南亭骨太
三音のかぼそき声や昼の虫 樹朋
退院の日の新米の塩むすび もね
草の実のはじけて第二ステージへ もね
空の蒼映して碧き秋の海 喜多輝女
青蜜柑手渡す君の澄まし顔 青蛙
朝霧に赤き橋見ゆ山の村 青蛙
稲穂波広がる銀の電波塔 ほろよい
一俵の重さを腕に今年米 ほろよい
バランスを崩す手足や朝の鵙 一走人
天高し技競い合ふユニフォーム 八十八五十八
息止むる硝子の色の秋の蝶 小雪
國憂う秋刀魚の骨を除けながら 藍人
冬ざるる島のクルスと寺の鐘 七草
下町に眠る役者や初時雨 七草
紅葉山一本足のポストかな ゆりかもめ
魚屋の帽子につけた赤い羽根 ぴーす
不意の帰郷何も聞かずに栗ごはん 八木ふみ
親族の末席に居る秋日かな 不知火
霜降の掘り起こされし土器の口 不知火
秋の日の暮れ切るまでのひと遊び 大塚迷路
東北に四年の月日稲の花 雨月
また冨士といふ山にあふ秋の空 緑の手
牛膝その話なら後で聞く ポメロ親父
世間話の表も裏も焼く秋刀魚 ポメロ親父
稲架一竿くの字に曲がりて棚田かな  あきさくら洋子
備前焼割れて秋の深まりぬ まんぷく
栗飯や淡き黄金の息写す 人日子
いつしかに深入りしたり芒原 省三
灯を消して窓の満月部屋明り 池田喜代持
遠距離が情緒生み出す轡虫 ちろりん
猫舌のくせにとろろ汁が好物 エノコロちゃん
願いごと叶い椿の実が爆ぜる マミー
うず潮にほり込んでやる秋思など ミセスコナン
月蝕の目をして山猫と団栗 北伊作
しあわせを堀り起こしつつ秋の風 アンリルカ
鳩吹くや土産に貰ふ鹿の肉 遊人
自衛てふ戦またもや冬の雨 哲白
秋刀魚焼く煙の中なる嘘ほんと  台所のキフジン
石そっと吐き出す祖父の今年米 みさき
蓑虫は上半身で這ひ上がる 瀬戸薫
埋め幅の狭き中洲の芒原 青柘榴
少年と見いる月食赤い月 香
点滴台引きて窓辺や冬日向 あい
万年青の実僕が好きなの赤い実よ まこち
コスモスも風に負けずにふんばっている まこち
蟋蟀やそのまま行けばしゃがれるぞ ひでやん
祖谷村の農夫は人形秋深し カシオペア
寡婦として生きた半生秋桜 あおい



関悦史(せきえつし)
1969年茨城県生。「豈」同人。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。第11回俳句界評論賞。2011年第一句集『六十億本の回転する曲がつた棒』刊行。翌年、第3回田中裕明賞。共著『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(以上、邑書林)、『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(以上、草思社)他。雑誌「現代詩手帖」俳句時評欄担当(2012年1月〜)

阪西敦子(さかにしあつこ)
1977年神奈川生まれ。1985年より作句、および『ホトトギス』生徒児童の部へ投句、2008年より同人。「円虹」所属。 2010年、第21回日本伝統俳句協会新人賞受賞。共著に『ホトトギスの俳人101』『俳コレ』など。

加根兼光(かねけんこう)
1949年大阪生。俳句集団「いつき組」組員。第9回俳句界賞受賞。



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へたうま仙人


文 大塚迷路

 師走だなあ、ぼかぁ君といる時はいつも師走なんだ。いいだろ? ……いかん。三番煎じはいかんいかん。
 それにつけても師走ぢゃ。師は走るし、へたうま俳人は爆走しっぱなしぢゃし、誰も止まろうともせんし、これはこれで莫大なエネルギーぢゃ。世の中のエネルギー問題なんぞどこ吹く風ぢゃ。
 今月も総合的に鑑みて、心を制御しながら楽しんでくだされば嬉しいぞ。


ヨハンソンばつたと気づく初嵐 KIYOAKI FILM
トモダチは布団のシーツ沢蟹や KIYOAKI FILM

 すれ違ったのがスカーレット、ヨハンソンちゃんぢゃったと気付いたが、気付いた時にはもうすでに遅いのぢゃ。ヨハンソンちゃんは大股で過ぎ去り、あとにはヨハンソンちゃんの良い香りを蹴散らすように吹きまくっている初嵐があるだけなのぢゃ。後悔感があまりなく、ヤッター感が強いのは「初嵐」のおかげぢゃなあ。えっ、ひょっとして「ヨハンソンばつた」という新種の飛蝗のこと??

年重ねへたれも重ね秋深む 柊つばき
私はじめ私がやりたい反抗期 柊つばき

 実に堂々とした主張に、思わず襟をただしそうになったぞ。へたれ、大いに結構。へたれが居るから世の暴走が鈍るのぢゃ。へたれが集まったら反対に怖いもん無しぢゃ。深む秋と同じように、深いところで灯を灯そうぞ、ぢゃ。
 「私はじめ」と、勝手にあかの他人を同じ土俵に乗せるところは、まさに誰も寄せ付けん俳人魂一直線ぢゃ! それにしても、なんでもかんでも「反抗期だから」で済ませられたら楽ぢゃろうな。
 ワシもあと二千年ほど生きたら、最終反抗期に突入するぞ。

女房の笑って虐むる暮の秋 藻川亭河童

 うっ、身につまされる御仁は世の中にごまんと居るぢゃろうな。暮の秋の秋の終わっていくさまがきゅんきゅん切ないぞ。笑顔の時の女性ほど恐いものはないのぢゃ。今のうちに心を入替えておけば、まだ何とかなるかもしれんぞ、目をそらしたそこの人。

刈田には一本足のポストかな 元旦
俳人皆ブログに詠みし後の月 元旦

 植田の時期は、葉書をどうやってポストに入れていたのか? 実にこんな異次元な風景、大好きぢゃ。ポストの形をした案山子ならもっとシュールで、思わず惚れてしまうぞ。
 よくよく考えたら、一日に世界中で詠まれている俳句は少なくとも五千万句以上になるぢゃろうなあ(さしたる根拠はないが)。一人一円でも五千万円以上か……さしたる根拠はないが、即物的でリアルな数字ぢゃ。
 その中で残っていくのはわずか数句。有名校に入学するより難しいかもな。こう考えれば、腹の足しにはならんが俳人は素晴らしい人種かもな。

蛇の目傘ふたつ並んで秋彼岸 坊太郎

 雨の秋彼岸もまた良いものぢゃ。二人で蛇の目傘とはもっと良いものぢゃ。下駄なんぞ履いていたらもっともっと良いものぢゃ。蛇の目傘を跳ねる乾いた雨音を聞きながら歩いたりしたら、墓参りなんぞどうでもよくなったりしちゃったりして。それもまた良いもんぢゃ。

亡き犬がそこにいそうな秋の夜 恵馬

 愛犬はペットではないぞ! あくまでも家族ぢゃ! と、世間に声を大大にして訴えたいのう。こんな秋の夜が来ようとは、去年の秋には考えてもみなんだが、夜が深みに入っていけばいくほど思い出してしまうのぢゃ。でも、苦しいけれど思い出すことも供養ぢゃ。心の傷が癒されかけたら、愛犬の句をたんと詠んでくだされ。

すだじひを見上ぐや秋の雲遠し 未々

 椎の大木の彼方の秋の雲。大景を描ききった句に、大らかな気分になったぞ。雲が遠いという描写に、目の前の景色というよりもむしろ遠い日の風景に重きを置いてあるようで、深々と感じ入ったぞ。椎の実は、今年も拾いきれないほど落ちておるかのう……。

黄落のふきだまりあり御堂筋 ひでこ

 黄落も場所によったら厄介者ぢゃ。お金をかけて処分せにゃいかん。御堂筋あたりはトラック何台分になるのかのう。焚火も出来んこのご時世では、黄落もさぞかし肩身が狭いぢゃろう。同情するぞ。ぢゃが、それに余りある黄落のよろしさは黄落の真っただ中に居て初めて感じるものぢゃ。御堂筋の道路たちは果報者ぢゃ。

これまでも今後も凡夫芋煮会 小市

 悟りの境地とも、自嘲の粋ともとれ、なかなか深いのう。過去を振り返りつつ未来を考えつつ芋煮に箸を持っていく作者の背中が泣かせるぞ。芋煮の会場を一歩離れると、真の闇が広がっておるのぢゃ。

どんぐりをもらう年金暮しかな 小木さん

 誰からどんぐりをもらったのか知らんが、りすさんにもらったりしたらそれはそれで羨ましいぞ。どうせもらうのぢゃったら、公園でもらうより天井にコトリと置いて去って行っていただくほうがはるかに良いのう。ひとつふたつと増えていくのぢゃ。生まれてからずっとコツコツと真面目に生きてきたようにのう。(コソコソぢゃないぞ。コツコツぢゃぞ)
 ぢゃが、こんな庶民派俳人は、一獲千金を狙うワシの園には無用ぢゃ。宝くじのはずれ券と一緒に圏外へ追放!!


 と、今回も追放者を出してしもうたが、へたうまの道は紆余曲折の三度笠ぢゃ。高い山でも低い山でもどんと来い!ぢゃ。志はところによって高く低くぢゃ。来月も調子を崩さず集いましょうぞ。



へたうま仙人
 年齢 卑弥呼がおっぱいを飲んでいた頃、ワシは青春真っ只中ぢゃった。
 好きなもの 霞のシャーベット(PM2.5抜き)
 嫌いなもの 上手な俳句
 将来の夢 大器晩成


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自由律俳句計画


選者 きむらけんじ

 人並みに大相撲の行く末に興味がある。横綱は全員モンゴル人なのだ。白鵬は、父がモンゴル相撲のチャンピオンで裕福な家庭の育ち。日馬富士は、現在法政大学大学院生の努力家。鶴竜は、大学教授一家に育ち数カ国語が喋れるエリート。そこへ逸ノ城というのが出てきた。彼こそゲルで育った正真正銘の遊牧民であり、ユーラシア大陸を席巻したチンギス ハーンに代表される真正のモンゴロイドの様相がする。中途半端な仮性モンゴロイドのような我々日本人では、もう頂点に立てないような気もするけど……。



あきらめきれない石を蹴る 小市

 「あきらめきれない」と「石を蹴る」は、有季定型の俳句の構成からみると、いかにも付き過ぎ……ということになるのかもしれない。しかし季語、定型といった制約がない自由律の場合、むしろよく付くことで俳句としての広がりは捨てても、こころの深みへと表現の位置をシフトしやすい。揚句はたった十三音、修飾要素を削ぎ落とし突き放したようなぎりぎりの短律が、あきらめきれない心情をよく増幅していると思う。因みにその辺に石がない東京では、「東京や蹴る石も無き秋の暮(峠谷清広)」。



藪と蚊と藪と蚊と忙しい 空見屋
 どういうわけか藪のなかにいる……それだけでも鬱陶しいのに、お決まりのように飛んできた藪蚊に刺される。刺されると痒い。痒いので掻くと、また藪蚊が……これはなるほど忙しい。「藪と蚊」の繰り返しがよく効いている。

愁思の上に象の糞 藍人
 愁思とか春愁とかをどうとらえるかは十人十色で、がさつに言えばその人の感性によるところでよいと思う。理屈ではない、かといって荒唐無稽すぎても話にならない。そのあたりのバランス上に成り立っておれば、と思う。最近みつけた愁思もうひとつ、「ドリアンの右にちょこんと愁思かな(のざきまみこ)」

水澄んでからのこと 小木さん
 これはたったの十音。短ければよいというわけではないけれど、言いすぎないことでかえって読み手に与える何かが膨らむのかどうか……その辺が短律の生命線です。ようやく落ち着きつつある身辺ではあるけれど、これから先のことを考えるとまだまだ不安、悲しみはつづく……といったところでしょうか。

陽が沈んでいく熱を残している 多満
 「熱を残している」という表現が、秀逸です。よくある感傷的な夕陽ではなく、太陽そのもののエネルギーの残滓を正面からとらえることで、圧倒的な太陽の力感じさせます。沈んだあともその余韻は、山の端や水平線に熱として残るのでしょう。

銭湯の按摩器より冬の蚊 もね
 秋の蚊も、なんとか生きのびれば冬の蚊なのでしょう。そこに昭和の匂いを残しながらなんとか生きのびている按摩器。ゆったりした銭湯の脱衣場の景が浮かんで、なんかぬくぬくとした気持ちになります。



肩持たぬペンギンの夜の長き 藍人
紙の切符で上野駅 越智空子
秋刀魚の匂い窓から追い出す 南亭骨太
秋の日の手をつなぐ影 ゆりかもめ
聞こえ無いだろ兎の耳を掴む 大塚迷路
千の秋桜千の風を産む ミセスコナン
鎌切に構っておれぬ日和 不知火
応えるな生きる意味など 台所のキフジン
神無月少し悪さしてみるか たま
モスラになるつもりの芋虫が恐い さとう七恵


並選
三日月を掴みて投ぐる振りす 杉本とらを
新酒酌む昔野球少年たりし子と 藻川亭河童
ざうざうと稲の唄 のり茶づけ
鯨迷ふてこの海に寄りしか レモングラス
幅を利かせる弁当箱のウサギの林檎 ヤッチー
大嵐父に怒鳴りて傘棄つる KIYOAKI FILM
月食や百寿者のいて難民のいる 迂叟
後書きも前書きもなき弔辞 幸
皆既月食見ていますかと言う電話ありそぞろ寒 喜多輝女
新米の白さに圧倒される朝 一走人
週末を好きな台風の逃げ足は速い うに子
沈黙の海へ水仙の大群生 七草
十円のギザギザ舐める十月 元旦
茹でたて熱々の零余子とカシューナッツ  ポメロ親父
頬杖の秋歳時記の逆さまのままに  あきさくら洋子
ライムより酸橘がすきです夜などは 緑の手
あたふたと駆けてきて行き先失念秋の道  まんぷく
一むれが走つて転んで運動会 人日子
親亀の背の苔喰らう子亀かな 坊太郎
赤黒き満月命産るる土 ちろりん
杉の枝ゆらして懸巣 エノコロちゃん
鉄橋を渡れば町の名が変わる 北伊作
ノーベルは正直者にのみ微笑む 松ぼっくり
家猫への土産に猫じゃらし 青柘榴
どうして今なのぎっくり腰の秋祭り カシオペア



きむらけんじ
1948年生まれ。第一回尾崎放哉賞他。自由律俳句結社「層雲」同人。写俳エッセイ『きょうも世間はややこしい』(象の森書房)、句集『昼寝の猫を足でつつく』(牧歌舎)、『鳩を蹴る』(プラネットジアース)他。特技 妄想、泥酔。



【100年投句計画】投句方法
 件名を「100年投句計画」とし、投句先(複数可)、俳号(なければ本名の名前のみ)、本名、電話番号、住所を明記してお送り下さい。投句はそれぞれ二句まで、詰め俳句は季語を一つのみお送り下さい。一つのEメールまたは一枚のハガキに各コーナーの投句をまとめて送っていただいても構いません。
ただし、「選者三名による雑詠俳句計画」と「へたうま仙人」は、選択制(どちらか一方のみ投句)となります。また「雑詠俳句計画」は欄へ寄せられた二句を各選者が選ぶ形式です。各選者に個別に投句を行うのではない点にご注意下さい。

それぞれ締切は、12月20日(土)

投稿ページ http://marukobo.com/toukou/
投稿アドレス magazine@marukobo.com
はがきFAXでも投句できます。


さらに多くの投句をしたい方へ
 松山市が運営する『俳句ポスト365』など、無制限に投句を受け付ける場もございます。ぜひご活用下さい。(俳句ポスト365のページ参照)


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Mountain Cabin Dispatch


ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
山梨で暮らす世界的チェリスト ナサニエル ローゼンのHAIKUとエッセイ


No.17


windy winter crisp
well-done hamburger crust crunch
we eat and eat more

寒気ぱりぱりバーガーの焦げ目かな


(直訳)
風強き冬は きりりと
よく焼けたハンバーガーの 表面かりかり
僕らは食べる そしてもっと食べる



We prepare for the exciting season of winter. Snow is falling in many places, but not here, not yet. We only look at the mountain and its snow-capped peak, but we dare not brave the cold.

エキサイティングな冬に、僕らは備える。各地で降雪が始まってるが、ここらはまだだ。僕らはただ雪を冠った(富士)山頂を見てるだけ、あの寒さに耐える勇気はないよ。
(訳:朗善千津)



ナサニエル ローゼン
Nathaniel Rosen
1948年カリフォルニア生まれ。
1977年アメリカ、ヌーンバーグコンクール優勝を機に米国内デビュー。ピッツバーグ交響楽団の首席チェリストに就任。
翌年、第6回チャイコフスキー国際コンクールでアメリカ人初のチェリストとして金メダルを受賞、以降世界的名手として広く知られるところとなる。
2013年7月より山梨へ移住。


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JAZZ俳句ターンテーブル


文/白方雅博
(俳号/蛇頭)

第45話
「古佐小基史」 in JAZZ BLEND


 愛媛県松山市出身。全国屈指の進学校である松山の愛光学園に学び、東京大学医学部を卒業。渡米後は主にクラシックギターを演奏するが、27歳の時にハープに転向。34歳でストックトンシンフォニー主席ハーピストに就任。近年はジャズギタリストとしてのセンスとスキルを活かし、ジャズハーピストとして活躍。と、まあ同郷人として誇らしい経歴である。が、JAZZ BLENDでのライヴでは「天は二物を与えずというが……」なんて他の会場でよく用いられる形容は省き古佐小基史さんを紹介した。

冬のハープに風となるアメリカよ チャンヒ

 アメリカ合衆国カルフォルニア州首都サクラメント市といえば松山市の姉妹都市。その近郊で山羊や鶏に囲まれた家族との生活を楽しんでいる。なんて聞かされると、まるでJAZZ句会メンバーでありながら、最近すっかり不参加の「烏天狗さん状態!?」なんて楽屋ネタ的映像が頭をよぎった。しかし、実際に古佐小さんが住んでいるのはサクラメントが松山だとしたら上浮穴郡旧柳谷村のさらに山奥との喩え。この距離感の違いに会場も驚いた。

エヴァンスの青は時雨の緑色 蛇頭

 ライヴの前座はJAZZ句会待望の句集「JAZZ HAIKU Vol.1 トランペット編」のダイジェスト版スライドショーとした。BGMはマイルス デイビスの歴史的名盤「カインド オブ ブルー」の「So What」。画像はジャズフォトグラファー堤宏文さんが捉えたジャズジャイアンツ達を背景に浮かび上がるJAZZ俳句。この100年俳句計画制作のスライドにも拍手をいただいた。で、間をおかず真打登場。「最初の曲は蛇頭さんがこれを聴いてジャズにのめり込んだというビル エヴァンスとマイルスの合作「Blue In Green」です」これも同歴史的名盤中の曲。古佐小さんの何とも粋な計らいである。

コード濁れば聖樹の揺れてゐる 一実

 「蛇頭さんがこの曲に魅かれたのは、この 〜♪〜 メジャー セブンスとシャープ イレブンスの音。僕も大好きな響きです。で、次のコードが 〜♪〜 セブンスのシャープ ナインス。〜♪〜 は凄くジャズの響き、この濁った感じ。これがジャズのハーモニーの素敵なところ 〜♪〜 です」一実さんに一番人気句を詠ませたフレーズがこれ。この日は濁り酒もよく売れた。

弾く弦多情な指を冬の影 光海

 「ブルースを演るときはブルージーな音、この 〜♪〜 ブルーノートが必要ですが、ハープの場合はペダルが7つあって、これで半音上げ下げします。〜♪〜 で、曲に陰影を付け、即興でストーリーを展開するんです」

琴音響き肩寄せ合ひて冬の酒 基史
 「昼間っから、お酒を飲みジャズを聴いて俳句を詠むなんて松山人冥利に尽きますよね」と古佐小さんの挨拶句。

即興の和音弾けて冬銀河 まこ

 古佐小ジャズハープ サウンドってこれだね。



http://www.baribari789.com/

「JAZZ俳句ターンテーブル」は、筆者がナビゲーターを務めるFMラヂオバリバリ(今治78.9MHz)の番組「JAZZ BLEND」の第2週に特集します。放送は毎週水曜日の深夜23時〜24時。再放送は日曜日の25時〜26時。


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愛媛県美術館吟行
「ロバート キャパと過ごす時間/光の風景へ」


文 岡田一実


 立冬を過ぎた麗らかな土曜日、ロバート キャパの写真展を見ようと俳人7人、チャンヒ、未悠、猫正宗、恋衣、烏天狗、マイマイ、一実が集まった。

美術館通り冬柴を刈る匂い マイマイ

 ロバート キャパはハンガリー生れの写真家。本名はフリードマン エンドレ エルネー。1913年10月22日ユダヤ系の家系に生れる。1931年に共産党活動容疑で逮捕される。釈放後にドイツのベルリンで写真通信社の暗室係となった。1932年に彼にとって最初期のものとなるデンマークで講演するレフ トロツキーの写真を撮影。

寒い講堂トロツキーの顔 顔 顔 一実

 1933年にはユダヤ人排斥が激しくなり家族はアメリカへ亡命、フリードマンもベルリンを脱出しブダペストでカメラマンとなる。その後フランスのパリに拠点を構えたものの、全く売れなかった。写真の仕事を通じて知り合った同じユダヤ人仲間で後に恋人となるゲルダ タローと出会い、二人は架空の既に偉大な業績があるアメリカのカメラマン「ロバート キャパ(Robert Capa)」なる人物がこの世にいることにしてその名で売り出し始める。なんとなく山師を思わせるような茶目っ気は彼を撮った写真からもにじみ出ている。

手を頬にうずめロバート キャパを生きた人 マイマイ

 報道写真家と呼ばれる通り彼の写真は戦場で撮られたものが多い。

我が影を踏みて枯野を行く兵士 烏天狗
北風に押されて新兵の背中 未悠
岩肌に兵士貼りつく鵙猛る 一実
丘陵の冬木のごとき兵士かな 恋衣

 血を流し死んでいる兵士も印象的だが、彼の写真はそういった写真よりも生きた兵士の日常を捉えたものが多い。共にチェスやポーカーに興じ、酒を飲み、戦闘機を見上げる。兵士の日常に入り込んで打ち解けて写真を撮る。そうしたことでくつろいだ兵士の姿を私たちは垣間見ることができる。

難民の少女は大人のジャンパーで 猫正宗
花売の手にあまりある冬の荊棘 恋衣
秋冷の狭き棺を眠らせよ 烏天狗

 彼が持ち前の愛嬌と強引さで打ち解けたのは兵士ばかりではない。労働者、難民キャンプの人々、権力者、子ども、作家、俳優、画家、映画監督。彼がみなに分け隔てなく魅力的な人間性と戦争での経験による深みのある世界観で接したため、多くの人々が彼を信頼し愛し、プライヴェートな素顔を撮らせた。

小春日の眩しきカフス犬を抱く 烏天狗
黄落の中やマティスの鳩白し マイマイ
モノクロの女優に雪明り射して 一実
パラソルを掲げピカソの厚い胸 一実

 今回の写真展を見るまでは、私はキャパという人は「報道写真家」であって、血なまぐさい戦場ばかり撮っている人だと思っていた。しかし、そうではなく、彼は生きている人々の持つ空気感まで撮り得る稀な写真家だと感じた。私は写真を撮られるのが苦手な方だが、もし彼が同時代に生きていたなら、写真を撮ってもらいたい。そして朝まで飲み明かしてみたい。
 1954年、第一次インドシナ戦争の取材依頼を受け、北ベトナムで地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。享年40歳。死ぬ間際まで写真を撮り続けた。

兵士らを冬の光として残す チャンヒ
雪踏むやライカが彼の銃だった マイマイ


取材協力:愛媛県美術館


*愛媛県美術館「東京富士美術館所蔵写真展 ロバート キャパと過ごす時間/光の風景へ」は12月1日(月)まで。
*次回愛媛県美術館吟行会は12月13日(土)(安田靫彦生誕130年、小倉遊亀生誕120年 「遊亀と靫彦」展)に開催の予定。


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ラクゴキゴ


第45話
『転失気(てんしき)』〜 落語にちょいちょい出てくるお医者さん 〜


あらすじ
 あるお寺の住職、お腹の具合が悪く、往診で医者に具合を診てもらう。
 大したことはないが、医者から大事なことなので訊いておくと言われ、「転失気はおありですか?」と。
 世の中のことは何でも知っておかなければいけない坊主という立場上、よく分からない言葉なのに「いえ、ございません。」と答えた。
 医者は「では、お薬を調合しておきますので後でどなたか取りに来て下さい」と言って帰る。
 住職、転失気が何なのか気になって仕方ない。珍念という小坊主を呼び、転失気の意味を言わせようとするが、知るはずもない。それならと「お前は忘れてしまったのか。あれほど教えたはずだ。わからないなら外へ出て、誰かに訊いてでも自分で思い出して来なさい。」
 珍念、言われるとおり知り合いの家を訪ねて訊いてみるが、街の人も知るはずもなく、適当な答ばかり。「床の間に飾っておいたが猫が割ってしまった」「今朝みそ汁の具にして食べた」
 もう訳がわからなくなり「転失気って、あのお医者さんが住職に言ってた言葉だから、直接医者に訊いてみよう」と、医者の家を訪ねる。
 すると医者、「ああ、転失気は医学の言葉で難しいな。あれはオナラのことじゃ」と教えてくれる。
 珍念はたと気付く。「医学の難しい言葉をうちの住職も知らないんだ。じゃあ何か別のものだと言って遊んでやろう。」
 坊主のくせに酒好きな住職のことだからと、ぐい呑みのことを転失気だと答えると住職「おお、そうじゃそうじゃ、では『ない』と言ったのが間違いになる。珍念すぐにお医者さまを連れに行っておくれ」
 呼ばれた医者、「あったのならよろしい」
 住職「ではここでうちの大事な転失気をお見せしましょう」
 医者「いやいや、それはかまいません」
 住職「どうしても見ていただきたい」
 ちぐはぐなやりとりが続くが住職の気合いに押され、医者も「そこまでおっしゃるなら」と、ぐい呑みを見せられる。
 医者「はー、所変わればと申しますが……医学の世界ではオナラのことを申しますが、お寺では酒器のことですか? いつごろから??」
 住職「なら、へ〜あんの時代から」



 オナラを扱うとんちんかんなやりとりが面白く、小学生の前で演っても爆笑のとれる噺です。
 落語にはお医者さんがちょくちょく登場します。
 この噺はまだまともな医者ですが、よく出てくるのがやぶ医者。
 そんな医者が出てくる落語のマクラ(本筋に入る前の話)では、よく「なぜやぶ医者と呼ばれるか?」というネタが使われます。
 何故か?
 “風(風邪)でうごくから”ということです。
 上手な医者は専門的な病気でかかる患者さんでうまってしまう。下手な医者は、「あの先生ヘタやけど風邪ぐらいは診てもろてもかまんやろう。」と、風邪でうごく、と。
 竹やぶも、風が吹くとざわざわうごくから……という掛け言葉ですね。
 しかしこう続けます。
 「やぶならまだいいほうで、竹の子医者、すずめ医者、土手医者と、いろいろあります」
 “竹の子医者”はこれから大きくなってやぶに成長してしまう。“すずめ医者”はやぶのほうへ飛んで行こう飛んで行こうとする。“土手医者”はやぶのまだ下のほうにある、と。
 さて、「転失気」のオチの部分「奈良平安の時代から」は、最近作られたものだと聞いています。
 「屁とも思わなかった」とか、「ぶりぶりと文句がでます」とか「どおりで臭い話だと思った」など、それまでのオチも、あまりキレイなのはありませんね(笑)。

 センセイと呼ばれる仕事鼻っ風邪


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新聞記事に隠された俳句を発掘する
クロヌリハイク


黒田マキ


新居浜の無職の庭で菊開花
(愛媛新聞より)

アブラムシ消毒回数倍に増し
(愛媛新聞より)

愛媛から東京などえ早生ミカン
(2014年11月6日朝日新聞より)

「大菊」や平たい花弁一文字
(愛媛新聞より)


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お芝居観ませんか?


文&俳句 猫正宗

第26回 「願わくば卒業の後も…」

 教育関連?の演劇を立て続けに観ました。
 一本は「シアターねこフェスタ2014」内で上演された、愛媛県立松山東高等学校演劇部『くじらホテルはほぼ満室』(作 越智優、'14年10月26日、シアターねこ)かつて愛媛県立川之江高等学校演劇部を全国大会2連覇―これって物凄いことなのにほとんど話題になりませんでした。演劇の置かれている立ち位置がわかろうというものです。―に導いた先生が顧問になってから実力を上げ、今夏全国大会初出場を果たした実力を引っ提げての初の学外公演です。で、本作はというと、全ての要素がきれいに納まるところに納まる気持ちのよい娯楽作(エンターテインメント)。全国大会出場メンバー引退後の1年生主体の役者陣は、まだまだ固さはあるものの、それを上回るフレッシュさ! 次は彼らの年代だからこその傷や裂け目のある作品も観てみたいと思わせるものでした。

薄日差す君のくじらは見えたかい?

 もう一つは、2014年度松山大学奥村ゼミ卒業研究公演『PETER PAN―春のきまぐれ来訪者―』(作 James Matthew Barrie、演出 木村彩夏(日本語版)、岩崎俊彦(英語版)、'14年10月18日、19日、松山大学カルフールホール)02年よりゼミ活動として行われている演劇上演は、ゼミ生で翻訳した日本語版と英語版の二本立て。それぞれの演出の違いを観るのも楽しいところ。ゼミに関わるまで演劇と縁のなかった人もいたようですが、地元劇団へのインターンシップも含めたゼミ活動を通しての公演は、なかなかどうして堂々たるもの。惜しむらくは、本公演、それぞれが2時間の計4時間だったこと。いや、疲れました。前半で帰った人もいて実に勿体ない。次は観客のことも考えた時間設定をと望むのは、ただ観るだけの者のわがままでしょうか。

月朧魔法の粉(スポットライト)で飛べるから

 それにしても、彼らの文化(カルチャー)の中で主流(メインストリーム)でない演劇を(特にゼミ選択において)なぜ、選んだのか。じっくり聞いてみたいものです。そして願わくば、卒業後も(観客としてでも)演劇に関わってくれていたらと……。
 さて1月の松山市民劇場は劇団青年座公演『をんな善哉』(1月14日)今をときめく高畑淳子さん主演の作品です。ぜひ、ご一緒に。



このコーナーでは、松山市民劇場例会にて公演された芝居を紹介します。


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百年歳時記


第19回 夏井いつき

 有名俳人の一句を紹介鑑賞するページは世に数々あれど、「市井の逸品」とも呼べる一句を取り上げ鑑賞する記事はそんなに多くありません。
 百年先に残したい佳句秀句奇々怪々句を見いだし、皆さんと共に味わおうという連載は、名づけて「百年歳時記」。夏井いつきの目に触れた様々な作品を毎月ご紹介していきます。


幣ゆれて神杉の実の弾けとぶ 七草

 「幣」は「ぬさ」「へい」「しで」等と読みます。「神杉」は「しんさん」と読むのだと思っていたのですが、辞書で確認すると「かみすぎ」あるいは「かむすぎ」と読むのが正しいようです。ならば、「かむすぎ」と読みたいなあと思いますし、そうなると「幣」は「ぬさ」と読みたくなります。
 「神杉」は【神域にある杉。神が降臨する杉】を意味します。「幣」の白い紙を揺らす風に触発されたかのように、「神杉の実」が弾け飛びます。動詞「ゆれる」、複合動詞「弾けとぶ」が適材適所におかれているため一句の映像が非常に確か。風の音、「幣」の擦れる音、「杉の実」の匂いが生き生きと立ち上がってきます。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』10月10日放送分)


祖母の遺せし美顔器と万年青の実 初蒸気

 縁起の良いお祝い品として結婚や引っ越しの折に「万年青の実」の鉢を贈るのが昭和という佳き時代の風習でした。
 亡くなった祖母の部屋を片付けていると、不思議なカタチの器具が見つかり、これは何?と手に取っているのでしょうか。お祖母ちゃんが使ってた美顔器よ。え?ビガンキ? お祖母ちゃんお洒落だったからね。そんなお祖母ちゃんの部屋にもう一つ大切に置かれていたのが「万年青」の鉢。こちらはお祖父ちゃんの形見でしょうか。若かりし「祖母」の女としての日々の象徴である「美顔器」と、亡き夫との結婚祝いにもらった「万年青の実」。嗚呼、これぞ言祝ぎと昭和の匂いの一句だと深く納得した次第です。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』10月17日掲載分)


行水や御腰の上に置く入れ歯 あねご

 「行水」とは【たらいに湯や日なた水を入れて汗を流すこと】、「お腰」とは「腰巻き」のことで【女性の和装用の肌着。腰から脚部にかけてまとう布】だと解説されても、イマドキの若い人たちはピンとこないでしょうね。
 庭先の金盥の日向水で「行水」をしようとしているのはお婆ちゃんです。着物を脱ぎ「お腰」を外すのは当然ですが、「入れ歯」まで外して、我が身を磨き上げる(?)という行動に、可笑しみが広がります。身体を洗うのも、口の中をきれいに漱ぐのも、これは女の身だしなみだからねえ、なんていいながら、お婆ちゃんは毎日「行水」を使うのでしょうか。なんとも愉快極まりない作品です。
(第11回はぴかちゃん俳句大賞入賞句)


鯔掛ける針にたぢからをのみこと 有櫛水母男

 「鯔掛ける針」とは、太い釣り針三本が放射線状に束ねられたシロモノ。これで「鰡」を引っ掛けるのが一般的な釣り方です。赤い疑似餌に近づいてきた「鰡」をこの太い針で引っ掛ける場面を想像すると、「たぢからをのみこと」という比喩に肯かざるをえません。
 「たぢからをのみこと」とは【天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神】です。かの強力の神の力が宿っているかのような「鯔掛ける針」であるよという一句は、ボラ掛け針にかかった「鰡」の暴れるさまも想像させます。釣り上げる側は、まさに「たぢからをのみこと」に成りきって「鰡」を引っ掛け、引き揚げるのです。いやはや、大胆にして見事な比喩の一句でありました。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』10月24日掲載分)


夜寒なりじきにこの子は雪も知る 茨城翔子

 例えば「じきにこの子も雪を知る」と比較してみます。これだと他の子と同じに「この子も」「雪」というモノを「知る」の意になり、どの子も「雪を知る」のが当たり前のこととして描かれます。
 対する掲出句「この子は」の「は」は、他と区別する助詞。目の前で眠る「この子」は、と取り立てて指さす表現です。「は」の一語に愛があります。さらに「雪も」の「も」は、他にもあることを示す助詞。「この子」はすぐに「雪」も「知る」よ、沢山のことを体験しながらすくすくと育っていくに違いないよ、というこれも愛の一語の「も」なのです。やがて「雪も知る」「この子」は今、生まれて初めての「夜寒」の中で、健やかな寝息を立てているのでしょう。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』11月7日掲載分)


*百年歳時記は、南海放送ラジオ『夏井いつきの一句一遊』や
 松山市公式サイト『俳句ポスト365』(http://haikutown.jp/post/
 などに投句された俳句を紹介します。


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会話形式でわかる
近代俳句史超入門


その6
文 構成 青木亮人

 大学で俳句を研究する青木先生と、その教え子で俳句甲子園の出場経験もある大学生の俳子さんが雑談を交えながらの近代俳句史超入門。

虚子の三つの金字塔 その2

 前回に続き、二人は大学の教室で高浜虚子について論じあっています。

虚子俳句の妙
青木先生(以下青) …というわけで、虚子の「桐一葉日当りながら落ちにけり」は平易な「写生」でありながら、「日当りながら」に込められたまなざしの強さや、「落ちにけり」とさらりと句を終わらせる手腕など、詠めそうで詠めない句なのではないでしょうか。
俳子(以下俳) 焦点の絞り方が適切なのよね。それに「『桐一葉』が落ちた様子だけを詠もう」と判断するのは意外に難しそう。前も言いましたけど、普通は何か取り合わせたり、表現をひねりたくなるんですよね。
青 今回は虚子俳句のその点を考えてみましょう。というのも、彼は「上手な俳句」を詠めた一方、「一体何なんだ?」という句も大量に詠んでいて、作品の振れ幅がかなり大きい。彼が何をもって「俳句」と見なしたかは、他の俳人と異なる感覚があったようです。
俳 虚子さんの上手な句といえば、どんなものがあったんでしょう。
青 例えば、「打水にしばらく藤の雫かな」(解説1)。「藤」(春)「打水」(夏)と季語が重なっていますけれど、それは抜きで考えましょう。
俳 おぉ…きれいですね。それにうまい。
青 どんなところが?
俳 まず、「藤の雫」。「打水」が藤の花にもかかり、その雫がぽたぽた落ちている…という情景を「藤の雫」とざっくりまとめるなんて、他をけっこう省略してますよね。鋭い切れ味とか、意外な発見というのじゃなくて、一見普通の言い方をしていますけど、「こう詠めば後は読者に任せても大丈夫、はい終わり」という感じで、大らかな省略という気がします。それでいながら、「藤の『雫』かな」と焦点を具体的に絞って終わらせたところがうまい。読み終わった後も「雫」がぽたぽた…と落ちている情景が具体的に浮かびますよね。
青 何だか実作者のようなコメントですね。
俳 キーッ、私は俳人ですよ! (髪を振り乱す)
青 こ、怖い。いきなり『猿の惑星』みたいな威嚇をしないで下さい。
俳 まったく…俳句甲子園に出場した後、大学生になってからは華々しい活躍もしていませんけど、句作はずっとしていますわ。
青 もちろん分かっています。手を見れば分かりますよ、そのペンだこ…
俳 こ、これはマンガを描きすぎて、いや、句作とはまた別で(慌てる)
青 えっ。マンガも創作していたんですか。
俳 あ、いや、いいんですよ、ハハハ…虚子さんの句に戻ると、中七「しばらく」もうまいのよね〜(棒読み)
青 ま、まさか…子規と漱石のボーイズラブ漫画だったりとか。まあ、それは後でお聞きすることにして、「しばらく」はどの点が上手なのでしょう。

「しばらく」の妙
俳 あくまで私の感覚ですけど、藤の花から「しばらく」雫が落ちたということは、「しばらくした後に雫は止んだ」ことも暗示するわけで、僅か四字で言外の想像をさせるのがうまい。「打水」は大量のお水をかけ続けるものじゃないし、ていねいにかけるものでもないですよね。見当を付け、少し勢いをつけてさっとかけるのが「打水」だから「藤」にもかかったんだろうし、お水の量もそれほど多くないから「藤」の雫は「しばらく」して止んだ…と考えると、この「しばらく」は、「打水」の風情をうまく詠んだ気がします。しかも「藤の花から雫がしたたる瞬間」だけじゃなくて、「藤から雫が『しばらく』したたっている時間」を想像させるのがうまいのよね。この句、時間の幅がけっこうあると思いません?
青 ええ、同感です。句作の指導で「瞬間を切り取りなさい」とか「感動の瞬間に焦点を絞りなさい」といった言い方、よくありますよね。こういう方々の「俳句」の時間感覚は、「瞬間、一瞬」なんですよ。時間がある程度流れている俳句や、無時間に近い抽象的な世界は、「焦点がぼやける」「中心がはっきりしない」と、特に句作初心者の段階では好まれないように感じます。
俳 私、「とにかく多作多捨をしなさい」と言われ続けました。
青 それも大事でしょうけど、自分にとってどのような「多作多捨」が必要か考えないと効率的でない気もしますが…それはさておき、虚子には「十七字の前後に、つまり言外に流れている『時間=まなざし』を感じさせる」俳句が多く、それが作品の存在感を強烈に支えている場合がある。風景の一瞬を鋭利に切り取ったというより、「作者はそれを確かに眺めていたのだ」と読者にさりげなくも強く訴える句が多い。「打水」句でいえば、「しばらく」がそうでしょうね。しかもこの句は情景が美しい上に、美しいだけではないもの、つまり作者が眺めていたであろう時間の流れを感じさせる点に作品の妙がある。
俳 何となく分かるんですが、「時間=まなざし」がちょっと難しい。虚子さんで他にそういう句はあるんでしょうか?

虚子句の「まなざし」
青 「金亀子擲つ闇の深さかな」(解説2)。家に入った金亀子を庭か、窓の外に投げやった……物や石であれば地面等に当たる音もしますが、金亀子はそのまま飛び立ったのでしょう。投げやった後に音が何も聞こえない、その夜「闇」の深さ。
俳 なるほど。「えいっ」と虫を放った後の、「……」と無音の闇夜を作者がしばらく眺めている感じね。
青 あるいは、「囀や絶えず二三羽こぼれ飛び」(解説3)。これもうまい。春に鳥の群れが木から木へ移ったり、もう少し遠くに飛んだ時の様子をよく見ると、「絶えず二三羽(が群れから)こぼれ飛び(つつ、春の鳥の群れは囀りつつあちらこちらへ飛んでいる)」…この句はけっこう強引なんですが、それはさておき、今までの話に沿って言うと「絶えず」「こぼれ飛び」の連用形留めが絶妙です。虚子は鳥たちの瞬間をパッと切り取って満足したわけでなく、春の鳥たちの様子をじいっと我慢強く観察した末に得た表現だったはず。「常に、いつも、やはり」でなく、「絶えず」とすることで、鳴き交わしつつあちこちへ飛び続ける鳥たちのせわしない動き自体が言い留められるとともに、下五を「こぼれ飛ぶ」でなく「こぼれ飛び」と連用形で不安定に終わらせることで、かえって「(二三羽が)こぼれ飛び(つつその群れは枝から枝へ、木から木へ…)」と、一句の前後における鳥たちの動きが彷彿とされる。「絶えず」があるから「こぼれ飛び」が活きますし、逆もそう。平易な言葉でいかにも春の鳥のせわしないさまを克明に捉えるなんて、名人芸に近い巧さですよ。
俳 おぉ…何だか研究者みたいな分析ですね。
青 うっ、先ほどの逆襲ですか…やりますな。
俳 ふふ…ダテに俳句やってるわけじゃないのよ。
青 何だかよく分からない理由ですけど。ともかく、虚子の句は作者が眼前の現実をそれなりに長い間、黙って観察していたことを言外に感じさせる句が多い。作者は十七字で詠まれた内容よりも、長い時間をかけて現実をただ眺めていたのでは…と読者に感じさせるまなざしが作品に宿っていて、虚子句の特徴はまずそこにあります。
(続く)


青木亮人(あおき まこと) 1974年、北海道生まれ。現在、愛媛大学准教授。著書に『その眼、俳人につき』(邑書林)など。



解説

解説1
「打水にしばらく藤の雫かな」 明治三四(1901)年作で、虚子は二七歳。句集『五百句』所収。
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解説2
「金亀子擲つ闇の深さかな」 明治四一(1908)年作。『五百句』所収。
本文に戻る 解説2

解説3
囀や絶えず二三羽こぼれ飛び」 昭和八(1933)年作。『五百句』所収。
本文に戻る 解説3



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もうひとつの俳句のまちづくり


岐阜県大垣市役所俳句文化推進グループリーダー 高田雅章(俳号:がしょう)
第5回

 第5回目は、大垣市奥の細道むすびの地記念館を拠点とした、主な俳句の取り組みをご紹介します。
 大垣市は城下町で、俳人 松尾芭蕉がここ大垣で「奥の細道」紀行を終えたことから、「奥の細道むすびの地」として知られていますが、観光地としては恵まれた土地とは言えません。そんな中で、平成24年4月に新たな博物館および観光施設として「大垣市奥の細道むすびの地記念館」がオープンしました。
 この記念館の開館に当たり、教育委員会文化振興課に俳句文化振興グループを新たに設け、記念館を拠点として俳句振興の事業を進めることになりました。俳句に特化したグループは全国でも珍しいようで、私が出張先で名刺を差し出すと「俳句に特化したグループですか!」とほとんどの訪問先で驚かれます。
 俳句文化振興グループとして、多くの大垣市民に俳句に親しんでもらいたい思いから、前にご紹介した、初心者への出前俳句教室(三尺俳句教室)を始めました。
 子供達への俳句の取り組みとしては、記念館で「子ども俳句教室」を年間通して開催しています。また、毎年、市内の小中学校へ出向き「学校句会ライブ」を開催しています。この学校句会ライブで子どもたちは、夏井いつき先生の進行に引き付けられ、夢中で俳句を作ります。この学校句会ライブは大垣市の小中学校で大人気の催しとなっております。
 さらに、今年の新たなチャレンジとして、大垣市内の高校生へ俳句甲子園の参加を促し、岐阜県で初めての予選大会、俳句甲子園大垣地方予選大会を開催しました。
 このように、奥の細道むすびの地記念館を拠点に、子供から、高校生、成人、高齢者まで全階層へ俳句にふれ合う取り組みを進めています。
 俳句教室や講座以外として、記念館の1階に俳句コーナーが設けてあり、全国の俳句結社約150以上の結社誌を自由に閲覧できるようになっています。
 記念館が出来た当初は50冊に満たないほどだったため、俳句指導員が知恵をしぼり、結社主宰の俳句の中から共鳴俳句を選句し、1枚にまとめお礼文と一緒に送付しました。
 この事が功を奏し、多くの俳句結社から結社誌が毎月届き、現在は、北海道から九州までの150誌以上が記念館1階の俳句コーナーで閲覧出来るようになっています。
 今年は芭蕉生誕370年の記念すべき年でもあり、多くの観光客が記念館に来館されています。
 来館者には、俳句愛好家も多く、150以上ある結社誌の数に驚かれます。また、実際手に取って見入っている人も見かけます。
 奥の細道むすびの地記念館は来年の4月でオープンから3年になります。日本のほぼ中心という土地柄の大垣市だからこそできる俳句事業を進め、今後も「奥の細道むすびの地大垣」を全国に発信していきたいと思います。
 次回は、今年度大垣市が新たな俳句事業にチャレンジした事をご紹介します。


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まつやま俳句でまちづくりの会通信


第45回 文 あねご

白猪滝祭り句会ライブ

 烏天狗さんを通じて白猪の滝祭り実行委員会より今年もミニ句会ライブの依頼が来た。今回は日当たりのええテントにブースをいただき、しかも隣には「子規と漱石足跡」と称して河之内の写真展をやっていて二人の俳句も紹介されているという格好のポイント。
 ひと足先に笹百合さんが投句してくれた人へ配る蜜柑を運び込んでスタンバイしていた。のり茶づけさんは滝まで約一時間の吟行に出かけていた。後日マガジンにどんな句を出してくるのか楽しみ。賞品は地元特産品の数々が段ボールに満載。白菜、大根、柚子、蜂蜜(買うとビックリするくらい高い)、銀杏。私も投句したいぞ! おまけに今回はキムさんが来れたので俳画のプレゼントもついてくる。投句したい!
 祭りの内容も盛りだくさんで籤付きの餅まきあり(餅自体が美味い)、老人施設の職員さんのチンドンあり、和太鼓演奏あり、国土交通省コーナーには降雨体験装置や土石流3D体感シアターまであり、紅葉は三分といったとこじゃったけどネタは豊富。天気がいいので人出も多くおかげで俳句も百二十句くらい集まった。おまけに内容もうんとようなってきとってキムさんと選句に嬉しい悲鳴。
「続けることって大事ですねえ」
と何度もキムさんが呟いた。

『天』
子規の見し滝見あぐれば秋の空

『地』
たきまでにまつぼっくりととおまわり

『人』
チンドンと滝の水音ひびきゆく

『入選』
天高し太鼓と自分が同化する
秋の山歩いて小松菜60円

 天の作者は兵庫県の人ですでに会場におられず賞品を渡すことができなくて残念。地の作者は地元幼稚園児、入選の太鼓の作者は地元の小学生。さすが渋柿の創始者松根東洋城が過ごした一畳庵があるという土地柄か。そして小松菜60円の作者は意外や別嬪のおねえさんじゃった。自分は俳句はやってないけどお父さんがやっていて会場に置いてある俳句マガジンに名前があると言う。恐る恐る俳号を聞いてみると、なんと「もね」さんじゃと! 愉快な句柄の血は争えない。
 ちなみに一畳庵は句会場として拝借することもできるそうなので機会があれば吟行句会をやってみたい。暖かい時期に限るけど。
 子供たちがキムさんの絵をゲットしているのを見て学校の先生がすごく羨ましがっていた。絵を目当てにきっと来年も先生は投句してくれるに違いない。これからも少しずつみなさんに楽しみを提供して俳句の種撒きをしていけたらいいなと思う。
 mhmは松山市内だけじゃなくどこへでも出前可能です。


mhmでは、ひきつづき松山市内外問わず会員および役員を募集中です。原則、毎月最終週の火曜日19時からマルコボ.コムにて会議がおこなわれます。偶数月は懇親会も開催! 興味のある方は事務局(mhm_info@e-mhm.com)またはFacebook(http://www.facebook.com/mhmhaiku)まで。


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俳句の街 まつやま
俳句ポスト365


協力 松山市

「俳句ポスト365」は松山市が運営する俳句の投稿サイトです。
毎週新しい兼題が発表されます!

http://haikutown.jp/post/


優秀句
平成26年10月度


【不知火】
《地》
不知火や新羅が攻めてくる噂 初蒸気
不知火を入れてより目の曇りぎみ 吾平
これは不知火の匂い月が溶けている  猫ふぐ
不知火に貝を漁る人の揺れ ジャンク堂
不知火や眼の無き魚の一列に  きらら☆れい
不知火や産まぬ身呪い飽きました 奈津
不知火や鬼に嗅がるる気配あり 隣安
不知火を見つけて息が緑色 音絵野あよ
今晩の不知火当番俺の船 むじーじ

《天》
不知火を灯せさびしき王のため  とおと


【後の月】
《地》
穀霊の太り行くころ後の月 ハラミータ
後の月塩壷の底湿りけり あい
石室の湿りてゐたり後の月 舞
後の月僅かに銀の混じりたる  矢野リンド
後の月妻のやうなる匂ひかな 小木さん
竹取のよすがの林後の月 江戸人
よこむきの鶏の片目や後の月  クズウジュンイチ
酒冷めて甘しみちのく後の月 可不可

《天》
海溝のごとき渋谷を後の月  音絵野あよ


【万年青の実】
《地》
万年青の実熟れて日めくり寂しゅうす  江戸人
祖父の起居四畳余りや万年青の実  みなと
永らえて実万年青なんて愛でちゃって  とおと
通夜客の進みつつ見る万年青の実 笑松
万年青の実ピシリと家のどこぞ鳴る  めいおう星
夢に洗ふ鬼の目ン玉万年青の実  ハラミータ
そりゃあ姉は堅物ですけど万年青の実  ねこ端石
風水によれば万年青の実は東 田中憂馬
洪牙利の旗は血の色万年青の実 登美子
おもとのみ1ねん2くみのいろですよ  ひろしげ7さい

《天》
祖母の遺せし美顔器と万年青の実  初蒸気


【鰡】
《地》
釣果へとしぶしぶ加へ鰡の数  矢野リンド
捨てられし鰡の臭気が満ちる夜  紅あずま
鰡蹴つて夕日と臭み分かち合ふ  ハラミータ
自転車の骸骨沈む鰡の河 初蒸気
橋脚の水深を擦る鰡の鬱 めいおう星
鰡とんだ競艇場の見える海 竹春
輸出車の並ぶ埠頭や鰡跳べり 太
鰡飛んで二日荒れたる木場の海 江戸人
鰡おどる上海バンスキングの夜  あつちやん
神代より泥の甘しと鰡跳ねる 靫草子

《天》
鯔掛ける針にたぢからをのみこと  有櫛


【黄落】
《地》
しなやかに黄落へむく馬のくび 紆余子
黄落の激し仁王の動けぬほど 丸山清子
カムイ棲む山黄落の火ぶた切る 勿忘草
恐竜の眼窩明るき黄落期 雪うさぎ
寝袋に黄落を聞く樹海の夜 山上 博
無口なる木に黄落の理由をきく  ジャンク堂
黄落を斜めに渡る山師かな  クズウジュンイチ
黄落を毎晩ずっと歌ひけり まこち
かみふぶきみたいねきょうのこうらくは  ひろしげ7さい

《天》
パエリアのエビは有頭黄落す  天宮風牙



12月の兼題

投句期間:11月27日〜12月3日
牡丹鍋【三冬/人事】
牡丹とは猪の肉のことをいい、それを鍋に仕立てたもの。薄切りの猪肉を、葱、豆腐、白滝などと一緒に味噌で煮込む。日本では猪肉は古くから食されてきた歴史がある。

投句期間:12月4日〜12月10日
冬至粥 【仲冬/人事】
冬至の日に食す小豆粥のこと。小豆には邪気を払う力があるとされ、また、陰暦11月23日の夜に小豆粥をお大師さまに供える大師講とも関係があるといわれる。

投句期間:12月11日〜12月17日
福引【新年/人事】
元々は正月の屋内遊びのことで、二人でひとつの餅を引き合い、取れた餅の量で一年の吉凶を占った。現在では、くじ引きで様々な景品を分け取る催しのことをいう。

投句期間:12月18日〜12月24日
寒蜆【晩冬/動物】
寒中にとれる蜆。通常、蜆の旬は春だが、この時期の蜆は夏の土用の頃と並んで珍重される。


《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


12月29日(月)〜1月2日(金)の週は、「俳句ポスト365」の更新をお休みさせていただきます。この週における新たな結果の発表、ならびに12月31日(水)の投句締切や、その翌日の募集兼題の切り替わりはございません。


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一句一遊情報局


有谷まほろ & 一句一遊聞き書き隊
協力 南海放送


金曜日優秀句
平成26年10月度


【戻り鰹】
海鳴りは戻り鰹の合図なり 針屋さん
だみ声や戻り鰹の海荒し  ぺペロンチーノ
甲板の戻り鰹を払う足 理酔
福島は右舷遥かに戻り鰹 青花
出刃走る戻り鰹の腸爆ぜる ケソラ
トロ箱を狭しと太る秋鰹 みいみ
戻り鰹の銀の魚雷のごと太し 樫の木
女房質屋に入れたきりまたもや戻り鰹  日暮屋
戻り鰹錦は飾れぬも息災 鞠月

《天》
尾に力ためこみ戻り鰹かな  空見屋


【杉の実】
杉の実の音錫杖の錫の音 あやね
杉の実の垂直の空を拍手 殻嵩はるお
杉の実鉄砲転校生の肩先へ 樫の木
杉の実やけんかするなら受けて立つ  まこち
誰ぞ撃たんあふるるほどの杉の実で  ひなぎきょう
標的は我ぞ天空へ杉鉄砲 野風
真っ直ぐな杉のまっすぐにころがらぬ実  ドクトルバンブー
杉の実容赦なく山見捨てた者を撃つ  日暮屋
山姥の髪や杉の実二つ三つ 伊佐
母に聴く杉の実のこと戦のこと 一走人

《天》
幣ゆれて神杉の実の弾けとぶ  七草


【うそ寒】
朝方に覚めうそ寒の匂いかな  かなた中二
うそ寒の張り付く脇のあたりかな 笑松
フロントガラスに小石の皹やうそ寒し  青石榴
うそ寒の屍の翅の透きとおる  ポメロ親父
捕らわれの翅うそ寒にゆれており 妙
うそ寒のアルミホイルを引き裂けり  凪太
うそ寒やプルトニウムを載せる船  マイマイ
緋の色に燃ゆる詩欲しうそ寒し マミー

《天》
針焼いて突くうそ寒の足の肉刺  ふづき
時化ゆく日みなうそ寒き顔を寄せ  ターナー島


【磨】
新涼の光に磨く鯉の鰭 ほろよい
教室に磨くピアノの秋思かな  のり茶づけ
門柱を秋の時雨に磨くのさ 是澤まさる
台風の磨きあげたる星千個  バラのささやき
鋭角に月を磨いているジェラシー  佐藤ななえ
星月夜磨製石器の透ける青 あやね
金秋の磨製石器を飾る棚 マイマイ
古米一合独身寮炊事場で磨ぐ  ポメロ親父
孤独死は自分と決め米二合磨ぐ秋の昼  日暮屋
球磨川を呑み八代は霧の底 七草
秋晴の塔の磨滅や爆心地 ターナー島

《天》
冬隣軍靴の磨く石畳  みいみ


【芋虫】
昼の星さがし芋虫首もたげ 笑松
夕映えを舐めては赤く芋虫は 天玲
芋虫にひとつ預けて空の色 今野浮儚
芋虫に体液満ちて空は空色 牛後
芋虫に群がる鶏冠燃えたてり  ひなぎきょう
見逃した芋虫がサラダですまなさそうな顔  日暮屋
芋虫太らせ長寿の村の賑わえり  だんご虫
芋虫はたぶんコロボックルの牛 樫の木

《天》
芋虫をつかめば指の分凹む  鞠月
蛹へと芋虫溶けてゆく準備  やのたかこ



※ 掲載の俳句は、有志によって朧庵(http://575sns.aritani-mahoro.com/)の掲示板「落書き俳句ノート」に書き込まれたラジオの聞き書きをもとに活字化したものです。俳句ならびに俳号が実際の表記とは異なっていたり、同音異義語や類音語などで表記されてしまっている場合がありますのでご了承ください。



※ 「落書き俳句ノート」を除く、朧庵(SNS)の利用、閲覧には登録が必要です。パソコン用のメールアドレスがあれば、無料で簡単に登録できます。


夏井いつきの一句一遊
南海放送ラジオ(愛媛県 AM1116kHz)
毎週月〜金曜 午前10時放送
週替わりの季語を兼題に、要努力の月曜日から優秀句の金曜日へと、紹介される俳句のレベルが上がっていきます。最優秀句「天」を目指せ!

投句の宛先は
〒790-8510 南海放送ラジオ 「夏井いつきの一句一遊」係
Eメール ku@rnb.co.jp

こちらからも番組へ投句できます!
http://www.marukobo.com/media/


投句募集中の兼題

投句締切:12月7日

季語ではない兼題です。「磯」の字が詠み込まれていれば、読み方は問いません。季語は当季を原則として自由に選んでください。

聖菓【仲冬/人事】
クリスマスケーキのこと。家族への土産として買って帰ったり、自宅で作ったりする。菓子店などでは早くから予約を受け付けている。

投句締切:12月21日
初電話【新年/人事】
新年を迎えて初めて電話で話すこと。遠くに暮らす親戚との年賀の挨拶などのほか、近年では若者を中心に、友人などとの携帯電話でのやりとりが多くみられるようになった。

初声【新年/動物】
元日の朝の、鳥の鳴き声。まだ寒い時季であるので、春が訪れる頃に比べると多くはないものの、ところによっては様々の鳥の声が聞かれる。



《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


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100年俳句計画 掲示板



NHK総合テレビ(愛媛ローカル)
 「えひめ おひるのたまご」内
 『みんなで挑戦!MOVIE俳句』
   12月2日/16日(火)11時40分〜

あいテレビ(TBS系列、全国)
 『プレバト!!』
   隔週木曜 19時〜20時49分
  12月4日/18日(木)予定
※組長がゲストの俳句ランキングづけで出演! 放送日番組欄を要チェック!

南海放送
ラジオ「夏井いつきの一句一遊」
 毎週月〜金曜日 10時〜10時10分
※ 投句募集中の兼題や投句宛先は、「一句一遊情報局」のページをご参照下さい。

FMラジオバリバリ俳句チャンネル
放送時間 … 月曜 17時15分〜17時30分
再放送 … 火曜 7時15分〜8時
 兼題「牡丹鍋/冬菜」12月7日〆
   「福引/寒の水」12月21日〆
 インターネットでも配信中。詳しくは番組webサイトへ。
  HP http://www.baribari789.com/
  mail fmbari@dokidoki.ne.jp
  FAX 0898-33-0789
※必ずお名前(本名)、住所をお忘れなく!
※各兼題の「天」句にはキム チャンヒのイラストポストカードが贈られます。


執筆
松山市の俳句サイト「俳句ポスト365」
http://haikutown.jp/post/
 毎週水曜締切/翌週金曜結果発表

テレビ大阪俳句クラブ選句
http://www.tv-osaka.co.jp/haiku_club/

ジュニア愛媛新聞スマイル!ピント
 「集まれ俳句キッズ」
※ 毎週日曜発刊タブロイド判8ページ

朝日新聞愛媛俳壇(夏井選)
 投稿は葉書1枚に5句以内(未発表句)。裏面に作品と共に住所、氏名、電話番号を明記。朝日新聞松山総局(790ー0003 松山市三番町4ー9ー6 NBF松山日銀前ビル)まで。

愛媛県《吟行ナビえひめ》句&写真
 俳句選者:夏井いつき
 写真選者:キムチャンヒ
【募集期間】毎月1日〜 25日前後締切
【応募先】http://www.iyokannet.jp/ginkou/
 各季節上位4句(年間16句)には「愛媛県の旬な贈り物」をプレゼント。
【テーマ(兼題)】12月のしまなみ
(当地周辺でみつけた季語なら何でも可)
【問い合せ】愛媛県観光物産課
TEL 089ー912ー2491

本阿弥書店「俳壇」(1月号より連載)
 『夏井いつきの12ヶ月添削教室(仮)』
 1月号 12月14日発売
*誌上で俳句を募集しています。


句会ライブ、講演など

東京都大島町立第一中学校句会ライブ
 12月3日(水)

内海三校合同句会ライブ
 12月12日(金)

新居浜国語同好会句会ライブ
 12月20日(水)



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魚のアブク


読者から寄せられたお便りをご紹介
お便りお待ちしています!
100年俳句計画編集室「魚のアブク」宛、もしくは互選や雑詠欄への投句に添えてお寄せください。

編=編集スタッフ

お詫び

先月号「雑詠俳句計画」(24〜27ページ)において、句の内容に誤りがありました。

27ページ中段左端
誤 月光のクール宅急便となる 遊人
正 月光のクール宅配便となる 遊人

正しくは「月光のクール宅配便となる」となります。大変失礼致しました。


NHK学生俳句チャンピオン
えつの 「学生俳句チャンピオン決定戦」ハラハラドキドキしながら夫と応援しました。いつき先生、教人先生、みかりさんステキ。
編 10月31日に放送がありました。多くの方がNHKに「楽しかった!」とご意見を送ってくださると全国放送になる……かも?

百年の旗手連載を終えて
てん点 老体に鞭打って頑張ります!とお受けした「100年の旗手」でしたが、三回の連載を無事終えることが出来ましたのは、組長さまの御指導とお励まし、句友の皆さまの温かいエールのお蔭でした。心より御礼申し上げます。ありがとうございました。新しい旗手の皆さまに今度は私からもエールを送らせていただきます。頑張って! そして楽しんでくださいませ。
幸 幸です。100年の旗手にご推薦いただいた方々に心より感謝申し上げます。思いがけないチャンスを与えていただき、組長の温かなご指導、編集部の方たちの御尽力を得て、充実した三か月を過ごすことができました。本当に本当にありがとうございました。
編 三ヶ月に渡る連載、ありがとうございました! いずれはこれら旗手の作品が次回「選評大賞」の執筆対象句にもなっていきます。なにはともあれ、本当にお疲れ様でした!

今の誌面に物申す
蓼蟲 このところ雑誌「100年俳句計画」に物足りなさを感じています。「ザ いつき組」楽しかったなあ。マイマイさんの「詰め俳句」楽しかったなあ。いつきさんの「放歌高吟」楽しかったなあ。
編 ご意見ありがとうございます。「詰め俳句」は休養を経て、現在再始動に向け準備を進めております。今後もリクエストやご意見お送りいただければ幸いです。

元旦 そろそろ句会のコーナー復活をお願いします。何やら新たなテイストを加えるようなことを言われていたような気がしましたが、いかがでしょうか。期待しています。
編 現在北伊作さんのリクエストを現実化して↓で期間限定復活中。小規模ではありますが……。


突発企画『天の句いろはカルタ』

 北伊作さんの発案で始まった突発企画。先月号に掲載された投句への、選句&選評(互選)を掲載しています。不肖編集室一同も参加しています。

兼題「ん」
選句結果

5点句

三島ちとせ、和音、西条の針屋さん、瑞木、大塚迷路選
「ん」と言うたきりで西日の治療室 正人

三島ちとせ きっといつもの治療を受けているのだろう。いつも通りの説明にも聞きあきている。静かに時が流れているなかで西日の痛々しいほどの光が切なさをはらんでいる。()
和音 誰がどういうことで治療に行ったのかは想像なのですが、「西日」という季語によって仕事中に腰をたがったおじさん、あるいわ放課後の部活の学生さん、が浮かんできました。痛そうな顔には西日がチラチラして痛みを我慢している様子。整体の先生につぼを押してもらい、痛い・気持ちいいの両方な「ん」でしょうか……。「ん」と言うたきりという表現が好きです。()
西条の針屋さん 仕事の一段落ついた静かな治療室で、ふと窓辺に射した西日に気がついた一瞬を詠んだ俳句のように思った。()
瑞木 腰のマッサージが始まったところと読みました。()
大塚迷路 何の治療室か提示していないところを西日に託している丸投げ感が素敵です。西日を浴びている治療室はおそらく19時過ぎ。仕事や家事で忙しい人たちを治療する部屋。「ん」でお互いにわかり合える信頼関係の構築は、昨日や今日で出来上がるものではございません。()

2点句

さとう七恵、北伊作選
んの言葉言ひて負けたや汀女の忌 ヤッチー

さとう七恵 気品ある俳句だと思いました。()
北伊作 私も考えましたがこれ程良句が集まるとは思いませんでした。選んだ理由は具体的で良く分かったからです。()

1点句

ンジャメナで続くしりとり春炬燵 瑞木

ひでやん 春の暖かい日に、まだしまえずにいる炬燵でしりとりをした。結構長く続いたのでしょう。誰かが遂に、「ん」で終わって、これでやっと終わると思ったところが、次の人が「ンジャメナ!」ときた。春炬燵の暖かさと春の陽気で気だるい雰囲気の中、しりとりはまだ続く。そんな、時間経過や気分も含んでいて、「え〜まだ続くの〜」とか「それ反則〜」とかいった会話まで聞こえて来そうな句です。でも、この手は1回しか使えませんよね。あ、「ンジャロ」があるか。(笑)()

んで始まる言葉遊びや天高し 空山

野菊 下五で一気に宙を抜けて天高く登ったこの句に共感しました。()

ンジャメナの意味は安息レモン切る 桜井教人

正人 そんな意味だったのか! へぇ〜! レモンの爽やかな香りが下五のあとに広がって素敵。()


今月の無点くん

ンジャロンジャロキリマンジャロの雪光る ひでやん
ンジャメナの月を眺むる駱駝かな まこち
んに似る也の草書や鰯雲 野風




兼題「ぬ」
投句一覧

1 塗り壁に地図を描くと寒雀
2 濡色を重ね渓間の落葉かな
3 沼太郎渡り行く日の夕御飯
4 ぬるま湯へわづかに浮いてをるトマト
5 ぬばたまを進む夜汽車の青蜜柑
6 濡れ縁のぬつぺふほふの雪だるま
7 縫い上げたお手玉五つ秋灯下
8 ぬか漬を混ぜる男の冷たき手
9 ぬ〜べ〜の疼く左手雪しまき

次回兼題 「る」から始まる句

〈参加方法〉
1:「投句一覧」から好きな句を選ぶ。(選句)
2: その句の感想を書く。(選評)
3:「次回兼題」の音から始まる句を一句書く。(投句)
※1〜3、俳号(本名)、〒住所、電話番号を明記して、編集室「天の句いろはカルタ」宛にお送りください。一人一句まで。選句は番号と俳句を共に記入して下さい。
※番号はお間違えなく!

 今回の締切は12月10日(水)必着です。
Eメール宛先 magazine@marukobo.com

※誌面の都合上、内容を抜粋する等、選評全文を掲載できない場合があります。あらかじめご了承ください。



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鮎の友釣り

197
俳号 マミコン

光海さんへ 去年の11月、僕のビッグバンドコンサートを題にしたJAZZ句会で光海さんが読んで下さった「冬天へ欠けたシンバル炸裂し」深く心に残っています。この句は、来年初夏に出版予定の私の「JAZZ GIANTS 写真集」に載せさせてもらうつもりです。素敵な句をありがとう。
俳号の由来 初めは、大好きな観葉植物「モンステラ」だったが、みんなからの「それなんですか?」で変更。73歳になっても未だに毎日「生活指導」を娘の麻実子に受けているので、彼女にコントロールされているってことで、マミコン。

俳句との出会い 1961年から松山に住み、JAZZ活動をスタート。写真、FM愛媛のパーソナリティ(33年目)、プロデューサー、マジシャンと色んなことやっていますが、いちばん遠いところにあったのが、俳句の世界。蛇頭さんが誘ってくれた「ふくし句会」も、もう6年。だんだんと面白くなり、今は「JAZZ句会」にも参加させてもらい、僕のライフワークの中にバッチリ組み込まれています。蛇頭さん、チャンヒさん、メンバーのみんなに、感謝感謝です。

次回…みしんさんへ 社協のマドンナ「おもてなし」のみしんさん。JAZZ句会に戻って来て下さーい! みんな待ってまーす。


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告知


生まれてから現在までの代表句募集!

 1月号特集は、毎年恒例、皆さんからの自選三句を掲載した「代表句集」です。沢山の方の参加をお待ちしております。

募集内容
 あなたの生まれてから現在までの代表句三句(一人一俳号まで)
 代表句についてのコメント
 ※コメント全体で100字以内厳守
 お名前、俳号(ふりがな)、年齢、住所、電話番号を必ず明記の上、宛先・件名を「代表句集2015」として本誌編集室までお送り下さい。

※俳号と俳句には、よみがなを付けてお送り下さい。年齢は鑑賞の参考とするため句集に掲載させていただきます。御了承下さい。

専用ホームページ
http://2015.marukobo.com

締切 11月30日(日)必着
なお、応募対象はハイクライフマガジン『100年俳句計画』定期購読の方のみとさせていただきます。ご了承下さい。



2月8日 愛媛マラソン
今年も走ります!
 蛇頭さん、鉄人さん、一走人さん、青石榴さん、逆ベッカムさん、ねこ端石さん、まるにっちゃんの7名が、ランナーとして参加します。
 当日は、昨年に引き続き、俳句ポスト365を通じて投句の募集も行います。応援での参加もお待ちしています。

100年俳句計画マラソン部練習会
日時:12月20日(土)午後2時〜
場所:愛媛県美術館 南館 入口前
*参加される方は、編集室キムまでご連絡下さい。練習終了後、16:00〜懇親会(実費2000円程度)を行います。



夏井いつきとあなたも一句!
俳句新聞いつき組
復刻創刊
2015年1月発刊!

A4サイズ8ページフルカラー仕様
参加登録料(※初回のみ)1,000円(税込)
年間購読料 3,500円(税込)/年4回発行
*年1回、夏井いつきの句集シングル付録あり。

2015年1月の発刊に先駆けて
俳句新聞いつき組0号を無料でお届けします!

無料の創刊準備号でひと足先に『俳句新聞いつき組』に参加しよう!!

俳句新聞いつき組0号(創刊準備号)
A4サイズ1枚両面フルカラー仕様

0号はこんな内容
1 番組プロデューサーが語る「プレバト!!」の裏も面白い!
2 夏井いつきの俳句とエッセイ「放歌高吟」
3 1号に向けて読者から「雪」の俳句を募集 「雪の座」投句募集
……などなど、お楽しみ満載!

「0号」お申し込み方法

0号申し込みの旨、本名(ふりがな)、俳号(無ければ不要)、郵便番号、住所、電話番号を明記して、下記のいずれかの方法で申し込んでください。また、『俳句新聞いつき組』へのメッセージ等ございましたら、ぜひ書き添えてください。(メッセージは紙面上で紹介させていただく場合があります。ご了承ください。)

 ハガキで申し込む
  790-0022 愛媛県松山市永代町16-1
  有限会社マルコボ.コム
  「『俳句新聞いつき組』0号申込」係

 FAXで申し込む
 FAX番号:089−906−0695

 メールで申し込む
 kumi@marukobo.com
 (件名を「いつき組0号申込」としてください。)

※『俳句新聞いつき組』1号以降をご購読いただくには事前の購読料のお支払いが必要です。お支払い方法についての詳細は0号にてご案内しておりますので、まずは無料の0号をお申し込み下さい。



HAIKU LIFE 100年俳句計画
第4回
大人のための句集を作ろうコンテスト
作品募集

主催 マルコボ.コム 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

 第四回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」(通称「大人コン」)の作品募集がスタートしました。
 「大人コン」は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』が開催する俳句コンテストです。
 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

「受賞作品が句集になるってホントですか」
 最優秀賞作品は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』の付録冊子として読者諸氏に広く読んで頂きます。付録とはいえ、お洒落なデザインの句集だと評判です。
 受賞者には一切の金銭的負担をかけず、読者にとっても安価な句集をどんどん生み出していきたいという志を一つの形にしたのが、この企画なのです。

「俳句マガジンを購読してないんですが、コンテストへの応募はできますか」
 どなたでも応募できます。購読の有無は一切関係ありません。勿論、応募は無料です。

「審査は誰がするのですか」
 本コンテストの受賞者は、「大人コン」選考会員の投票によって決まります。「大人コン」選考会員は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』購読者の内、各総合誌等の俳句賞受賞者あるいは最終選考に残った実績のある人たち等によって構成されます。第二回の有資格者は三十二名。年々選考会員数は増えていくことになります。
 多くの目利きの力を借りて「百年先の未来に残したい作品と作家」を見い出し顕彰していくことが「大人コン」の目的。我こそは!という皆さんのご応募を、心からお待ちしております。

既作新作を問わず81句の作品集を募集。
最優秀賞作品は句集にし、本誌付録として配布します。

募集要項

応募資格
15才以上(高校生以上)の方なら、本誌購読の有無に関係なく、どなたでも応募できます。

応募方法
1:Eメールでの応募の場合
応募用のエクセルファイルに必要事項を全て入力し、Eメールの添付ファイルにして、応募して下さい。
応募用ファイルのダウンロード先
http://81ku.marukobo.com/

2:郵送の場合
B4判四百字詰め原稿用紙に81句とその表題、俳号、本名、年齢、住所、電話番号を必ず明記して応募して下さい。

締め切り 2014年12月10日(水)必着

賞 賞状および応募作品による句集20冊
*賞品句集は縦横135ミリメートル 36ページとなります。句集は本誌付録として配布します。

発表 本誌2015年4月号誌上(予定)

送り先
〒790-0022 愛媛県松山市永代町16ー1
有限会社マルコボ.コム
月刊俳句マガジン『100年俳句計画』編集室Eメール:81ku@marukobo.com



第13回
高校生以外のためのまる裏俳句甲子園

第13回キャッチコピー
「裏を取れ!」 作者:大塚迷路

日時 2015年1月11日(日)
   予選:午前9時30分集合
   本戦:午後1時〜(12時30分開場)
場所 松山市立子規記念博物館
   松山市道後公園1-30
エントリー料 前売1000円(当日1500円)
       観戦料 500円

主催:まつやま俳句でまちづくりの会
共催:松山市立子規記念博物館
問い合わせ:089-906-0694 マルコボ.コム内 担当 キム

俳句の街まつやま
俳句ポスト365

まる裏翌日(1/12)、俳句ポスト365のオフ会を開催予定!
詳しくはサイトにて。
http://haikutown.jp/post/



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編集後記


 今月号の特集は、選評大賞2014。今年で8回目となり、入賞作品以外も読み応えのある作品が揃った。今年特筆すべきは、審査会での締めに毎回行っていた、来年応募される方への提言がなされなかったこと。つまり、今年の作品の質が、提言など必要としないほど高かったということ。8回目という歴史の重みを改めて感じた審査会だった。
 とは言え、選評のスタイルが全て出尽くしたはずもなく、新しい選評の形を提案する新しい挑戦者の登場を、次回期待したい。この選評大賞は、実はこれからが本番なのかもしれない。
 今月号からの新しい企画として「愛媛県美術館吟行会」が始まった。
 今回、ロバート キャパの目を追体験しながら俳句を作る作業は、とても刺激的で単純に楽しかった。
 この吟行会の目的は、単に俳句を作るだけではなく、図々しくも美術館の作品と俳句でコラボレーションしようというもの。過去の美術作品と対話をするように俳句を作り、その美術作品と共に新しい作品を作る。そんな作業から、未来の俳句の姿を垣間見られるような企画になればと思っている。
 次回は12月13日に開催予定。多数の参加待ってます。
(キム)


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次号予告 (206号 1月1日発行予定)


次回特集

俳句対局
第三回 龍淵王決定戦
誰でもやれる俳句対局



生まれてから現在までの
代表句集2015 など


HAIKU LIFE 100年俳句計画
2014年12月号(No.205)
2014年12月1日発行
価格 617円(税込)

編集人 キム チャンヒ
発行人 三瀬明子