100年俳句計画9月号(no.202)


100年俳句計画9月号(no.202)

注意
これは視覚障がい者の100年俳句計画年間購読者のためのテキストファイルです。
通常の著作物と同様、許可無く複製/転載することを禁止します。





目次


表紙リレーエッセー
吟詠 さくら


特集
俳句のまちのJAZZ LIVE
文 蕪榴子

特集
句集Styleスペシャル!
「だれもが句集を出版できるかたち」でやってみた!全評文!
その2



好評連載


作品

百年百花
 キム・チャンヒ/眠/井上さち/夏井正人


100年俳句計画作品集 100年の旗手
 竜胆/岩宮鯉城/うに子


百年琢磨 津川絵理子

新100年への軌跡
 俳句/ローストビーフ/藤田夕加
 評/都築まとむ/樫の木


選者三名による雑詠俳句計画
関悦史/阪西敦子/加根兼光


へたうま仙人/大塚迷路

自由律俳句計画/きむらけんじ



読み物
えっ?日暮屋が句集を出すってよ!
Mountain Cabin Dispatch/ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
JAZZ俳句ターンテーブル/蛇頭
ラクゴキゴ/らくさぶろう
ホンヤクサイホンヤク/翻田訳蔵
お芝居観ませんか?/猫正宗
百年歳時記/夏井いつき
近代俳句史超入門/青木亮人
もうひとつの俳句のまちづくり/岐阜県大垣市役所 高木美保
mhm通信/暇人

読者のページ
俳句ポスト365
一句一遊情報局
100年俳句計画掲示板
魚のアブク
鮎の友釣り
告知
編集後記
次号予告




吟詠
さくら

 吟を始めた頃友人の結婚式で夫と共に祝吟をさせて貰って早や30年余り、今思うと向こう見ずで恥ずかしい限りです。やっと吟の良さが分かりかけてきた今日この頃です。私達の清吟堂吟友会信条を紹介します。
一つ 詩歌を吟じて楽しみましょう
一つ 詩歌を吟じて美しいものを見出しましょう
一つ 詩歌を吟じて明るい郷土を築きましょう
 私はこの信条が大好きです。詩吟は、俳句・短歌・漢詩を朗詠し、楽しめます。気が向いたら一度大声を出してみませんか。ストレス解消・健康増進・友達の輪も広がります。
 私は、子供達に吟の普及をしたいと思っています。先ず孫八人に勧誘中です。吟詠を始めたい貴方、趣味の一つに加えて楽しみましょう。


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特集1

俳句のまちのJAZZ LIVE
俳句という文化で繋がるコミュニティの魅力


文 蕪榴子


はじめに
 7月某日の早朝、西東京の自宅を出て空路松山へ。猛暑の中を自転車で衣山へ。今日は毎夏恒例となった「小島のり子トリオ」のJazz Live & Jazz句会の日である。会場はJazz句会主宰者、趣味人の蛇頭さんの新・秘密基地。そのお披露目も兼ねている。定刻間際に入ると会場は聴衆で満員。句友の皆さんと目礼もそこそこに後方に陣取る。Liveの様子が見渡せ、カクテルや肴が直接届く特等席である。
 間もなく、JBL4435モニタスピーカから流れるDave Brubeckの演奏をBGMにJAZZ句会の人気句を紹介するスライドショー「The Jazz Live」が始まった。Jazz句と俳号が現れては消え、句会の記憶が蘇る。音楽と俳句を組合せたキムさんのアンソロジー(句撰)Liveだと気付く。そして小島のり子トリオが登場、トークと演奏で会場の雰囲気がみるみるLIVE HOUSEに変わっていく。
 1st、2ndステージ、アンコールに続きJazz Live句会へと進む。前半の小島のり子トリオのLive演奏や会場を兼題に投句する。私は今年で3回目、CDやネットで予習済み。しかしJazzトニックとカイピリーニャ、蛸ピラフ、Jazz演奏、さらに会場の雰囲気に酔い痴れ、推敲不足で不満足な結果に終わった。(詳細は本誌のJazz俳句ターンテーブルを参照)

Jazz俳句との出会い
 赴任間もなく、職場の先輩からのお誘いはJazzのアルバムをテーマにする俳句の会だった。振り返れば十代後半のJazz喫茶以来のこと、意気込んでの俳句作りは無残な結果が続いた。何をどう詠めば選んでもらえるか?「最低1年は勉強しないと」との慰めもあったが、毎回違うアルバムを聴き、酒を酌める魅力に惹かれて参加し続けた。最近ようやくJazz句を表現・鑑賞する楽しみと、コミュニケーションの意味深さに気づき始めた。

Jazz句会という文化
 句会は予め選ばれた季語や兼題に則り各自が投句し、自作を除き相互に句を選ぶ。選句基準は自由、選者数の多い句が人気句である。選ばれた句について感想や意見を述べあう。Jazz句会では季語に加えてJazzの名盤を兼題とする。演奏の喚起するイメージ、楽器や演奏者、音色等の描写、はてはジャケットまで様々な視点から兼題を捉えた句が披露される。
 選句ではアルバム演奏を聴きながら兼題を味わい尽くそうという「気」が発せられる。所明示的な指導者の選句や句評はない。選句の結果、人気句とその句評や意見交換を通じて、句会の空気、即ち参加者の審美基準が醸し出される。私にとって表現・鑑賞力を学ぶ機会である。しかし句会の成果物を「学び」と「楽しみ」とすれば、Jazz句会は後者の割合が大半であろう。投句(情報発信)選句(比較・評価)句評(情報共有)の過程を通じて、機会平等の原則が担保され、良質のコミュニケーションが生まれていると感じる。

Jazz俳句コミュニティの価値観
 百科事典マイペディアによれば、コミュニティという言葉は、共同体または地域社会と訳されている。俳句を松山固有の文化と捉えればコミュニティ=地域社会であるが、私も含め松山以外の方も句会に参加すると考えればコミュニティ=共同体と解釈できる。今回は句会をコミュニティ=共同体の対象として進めたい。
 句会が共有する価値観は何だろうか? 句会それぞれに違うことは自明である。主宰者が考えるJazz句会の価値観は、「Jazzを聴きながら酒をのみ、俳句や会話をお互いに楽しむ場」と推察する。聞くところによれば、俳句の原点は、俳諧の句、即ち「滑稽」「面白味」とのこと。一脈通じるのではと考える。実際、表現が優れた句もさることながら、楽しみながら共感できる句に人気があるよう感じる。

Jazz俳句の詠み方、読み方、究極のコミュニティ
 従い私は、参加者の審美観や価値観をイメージし、彼らが面白がり楽しみそうなJazz句を目指すことになる。他の句と競うのでなく、読み手の多くが過去に経験し共感せざるを得ない表現が見つかればよい。同様に選句において、読み手は17音の表現と自らの記憶と照らし合わせて作者の意図を汲み取り共感できれば、選句、句評の楽しみはより深まるだろう。洞察力が高い選句者なら、敢えて地味で目立たぬ句から、隠された感情を思い遣り共感を汲み取ろうとするかもしれない。この思い遣り(情報分析)に優れた読み手が揃い、全ての投句が誰かに選句・句評されたとすれば、参加者全員が俳句を通じて共感し楽しんだといえないだろうか。その句会は究極のコミュニケーション段階といえるのかもしれない。

拡がるコミュニティネットワーク
 Jazz句会参加者の仕事は様々で、福祉、音楽、飲食、流通、情報、製造、教育、家事、学業他である。自分の職場でこのように多彩な人々と知り合う機会はなかなかないだろう。句会の中で個人的な会話が弾み、発展する時がある。俳句年賀状、観劇会、ジャズコンサート、音響装置、工場見学、このエッセイ等々Jazz句会の会話から頂いたご縁の例である。

おわりに
 梅雨明け間もない某日、小島のり子トリオのJazz LiveにSwingし、思わず編集長に口走ったことが執筆のきっかけである。俳句を核としたコミュニティとその拡がりについて私的体験と愚考からなる拙文をご覧頂いたことに感謝する。


Profile
俳号 蕪榴子(ぶるうす)
石川県生まれ 東京育ち。2012年4月退職を機に松山に単身移住しJazz俳句と出会う。趣味はサッカー、音楽、歩き遍路。好物は酒と肴。


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特集2

句集Style スペシャル!
「だれもが句集を出版できるかたち」でやってみた!全評文!
その2



 先月号に引き続き、句集スタイルにて出版され、販売されている句集の評文を、3回にわたって紹介いたします。


松本だりあ句集『海に遊んで』は、小感動の宝箱
朗善

 うちの実家の生身魂(八十四歳女)いわく、取り合わせは難しい難しい。俳句のタネが無い無い。ではでは、この句集を一緒に読んで、コツをつかもう!
お手伝ひさんの消息を聞く梅雨の港なり
 辞めてったお手伝いさんのことが心にかかり、あきらめかけた頃に消息を聞いた。こんな日に、こんな所で!という日記みたいな句。もし下五が「梅雨港」だったら普通の「出来事俳句」。「梅雨の港なり」まで言いきった所に小感動がある。といって無闇に字余りにするのがコツというわけではない。
鳥の浴びる水のゆらぎや夏の朝
 おそらく作者はまず、わが庭に水浴びに来た鳥に対する愛情や感謝の句を詠んだと思う。それで終わらず、詠み続けたら、だんだん小さな物に目が届き出し、ついに小鳥の翼による「水のゆらぎ」の静かな美しさに到達した。一所でとことん粘って詠んでみるのがコツ。
夕焼や海に遊んで畑にも
 海に遊んで畑に働いた後なら、「ただの疲れ」。海に遊んで畑でまた遊んだ「幸福な疲れ」であると説得させるのが、季語「夕焼」の力。柔道の巴投げのように、季語の力を利用して俳句を豊かにするのがコツ。
ビニールの空気みな抜け盆の月
 懐かしいお盆の頃の月光に照らされた縁側に、昼間海で遊び、今は空気が抜けたビーチボールやボートがころがる。作者はふと、そこに物の気配を感じた。出来事と季語を何の因果も感動もなく取り合わせるのでなく、季節の中でふと感じる小さな気配をまめに俳句にする、それが取り合わせのコツ。
笑ひ合ふときの過ぎゆく牽牛花
 知らない言葉は即、歳時記や辞書で調べるのが、俳句を読むコツ。牽牛花はアサガオのこと。朝顔の種子は牛一頭牽いて買いに行くほど高価な生薬だった。織姫と彦星が出会えた印に咲く花。千利休は茶室に朝顔を一輪挿し、庭の朝顔を全部ちぎって秀吉を迎えた。朝顔につるべ取られてもらひ水(加賀千代女)。これらを包括した朝顔という季語を感じつつ、上五、中七を読んでみると興味深い。
ギンガホンコンの喫水線へ秋夕日
 ギンガホンコン。この言葉は歳時記や辞書に載ってないぞ。銀河? 香港? 喫水線、そうか船の名前だ。ここで初めて白い船体にギンガホンコンの黒い文字が、秋夕日に照らされて見える。句の中のミステリーは、必ず解くのがコツ。
幸福な俳句を作るさまざまのコツが、この句集にはある。シニアの我々には、青春時代みたいな、雨の中を立ちすくむような大感動はない。かといって嘆くなかれ。年を取れば取るほど小感動が嬉しい。それに俳句に大感動は入らない。俳句は小感動を盛る小さな器。楽しんで色々と並べてみよう。



大隈みちる句集『台風圏』
句作の楽しみ
青木亮人

 芸術全般が好きで、文学はもとより音楽や建築、写真や絵画や服飾等、素人の気軽さで見聞きするのが楽しい。そういう風にさまざまなジャンルの芸術家や作品に触れていると、あることに気付くようになった。自分が持ちあわせた「特質」を把握し、それをどのように伸ばせばよいか、何に目をつぶり、何を磨き、どの点に注意すればよいかを自分自身で認識できた作家は意外に少ないということだ。一方、自身でさほど気づけなかったとしても、周りの人々や時代やそのジャンル自体に助けられることで、無意識のうちに作者の「特質」が作品に宿り、しかも「特質」を意識しえた作家の作品より面白いこともある。こういうところに芸術家の不幸もあれば幸福もあり、やりがいもあるのだろう。
 大隈みちる氏の第一句集『台風圏』は、作者の「特質」や俳句というジャンルの特徴等がいりまじりつつ、様々な可能性が句群に図らずも垣間見えており、その意味でも第一句集の初々しさがある。例えば、十二〜十三頁を開いてみよう。
星映す堀の水口花明り
掻き鳴らす八十五絃春の宵
さくら咲くすべり台から大男
天に水あるごと桜散りにけり
 これらの句群のうち、「水口」「八十五絃」「大男」「天に水あるごと」に宿る作者の関心のありようがどのように「俳句」として成立しているかは、実はそれぞれ異なっている。加えて、この点に作者が自覚的かどうかは微妙であり、ここに『台風圏』の特徴がある。
少年の叫び呑み込む赤椿
喇叭吹く春の河原の進水式
犬を抱く姉の香水濃く匂ふ
携帯のアラーム唸る蠅生まる
 詳細は省くが、これらは確信と錬磨の末の幅広さというより、作者の「特質」が可能性のまま作品に留まってはいるが、ひとまず「俳句」として完成したと作者は決定した、そういう意味での多様さが感じられる。同時に、例えば「喇叭吹く」句には俳句というジャンルが作者の「特質」を際立たせている箇所――「河原」の措辞――があり、そこに『台風圏』の今一つの特徴があろう。
 俳句を詠むことの楽しさ、つまり出来上がった作品に浮かび上がる「自分」に出会う瞬間の驚きと喜びに魅入られ、それが「俳句」の楽しさであると実感しつつ句作を続け、まずは第一句集をまとめるに至ったこと。これらの句作の楽しみが横溢しているところに『台風圏』の魅力があり、「句集スタイル」シリーズの大きな特徴もこの点にあるのだろう。



句集『父子』Fushi
豊原清明 Toyohara Kiyoaki
恋衣

 「現在は悪い時代だ。この時代の詩を想う」著者の第一句集。
 その持論は「俳句は映画」。句集は、この一句で始まる。
春の鹿冷たい花の咲く瞬間
 牡鹿も雌鹿もみすぼらしく見える春の鹿。その眼に映る花は、冷たく美しい。咲く瞬間とは心の動く瞬間だ。春の鹿は、自分自身か。
焼野原父よガンジス河見える
 焼き尽くされた野原は、一瞬にして聖なる河ガンジスへと変化する。父と子に見える大河。燃える野原と焼野原と全てを呑み込む女神の河は暗くて深い。とぎれとぎれのようなリズムは、祈りのような、懺悔のような句を作っている。
山焼くやわが父老いた子と歩く
子を育てポツトリと泣く父の春
耳に住む妖精たちは春休み
 葛藤の後の穏やかな数日だろうか。耳に住む妖精たちは、語らない。父よ、以外に誰も語っていない。
燕の子愚痴はブラツクコーヒーで
桜咲く生まれて良かつた土を抱く
 桜咲くと土を抱くと、何も関係のなさそうな上五と下五を結ぶ中七、生まれて良かったの平凡なる非凡。
清明や父の背広は草のやう
ぜつぼうと打ち合ひて春の鹿
春日和疲れた父と火山撮る
森林の父は遊ぶひと 立夏
歯医者に行く日々美しいアマガエル
 この突然現れたように見えるアマガエルの一句は、重要な一句だ。歯医者に行くと美しいアマガエルを繋ぐ日々は、どちらにもかかる。なお且つ、さらさらと過ぎて行く日々こそが、美しいと言える。
雷がずしんと落下する朝日
雷に撃たれ一人に慣れにけり
短夜や産む者もなき汗臭さ
 何処かで生まれている子と汗臭き自分の繋がりは、現実の短夜だ。
秋近し窓の向かふはまだ神戸
歩き疲れて鳥わたりけりわたりけり
よく笑ふ少年溶けて雨月なり
看護師は冬菜を洗ふサンタかな
岸辺まで親子で歩く冬のまち
 冷たい花の咲く春にはじまるこの句集の最後の句は、親子で歩く冬のまち。暖かい冬のまちなのだ。「父子」というタイトルから既に父に対する語らなかった思いが、父の語らない思いが、凝縮されている。読んではきっと父は泣くだろう。ポットリと。父にだけ読んでもらえばいい句集だったのかもしれない。しかし、 読んだ者は皆、こんな語り方が、とハッとする。
 詩人である著者が、 第一回中原中也賞を受賞した『夜の人工の木』(霧工房)の併読はお勧めである。



『句群op.1』/加根兼光
半過去と直接法現在として、あること
きむらけんじ

 作者はCM、映像プロデューサーとして長年活躍した人である。ついでながらプロデューサーを簡単に言えば、ばらばらにある要素あるいは個々のちからをある目的のもとにひとつにまとめ上げて、一定の方向や道筋へと進める人である。また氏は、クラシック音楽のフアンのようである。私はクラシック音楽には疎いが、個々のちからやインパクト、その日その時の即興に左右されるジャズとは違い、その核心はおそらくは計算された調和やまとまりといったものからより大きな何かを創出するというものだろうと思う。そう考えればプロデューサーとクラシック音楽の指向は、似ているのである。ついでながら氏は、思慮、誠実の人である。長年見知っているが、未だかつて怒った姿を見たことはない。自分の中でよく自制する方法を知っているのだろうと思う。こういう人が句集をつくると、どういうことになるのか。よくあるところの「日常の生活を掬いとった……」とか「作者の感性がみごとに溢れた……」とか「みずみずしい生きざまそのもの……」
 といった句集にはやはりならないのである。勢いや有りのままといったベクトルとはあきらかに異なる、つまり計算され沈静された独特のトーン&マナーが底辺に太い流れをつくるのである。
三伏や父の残せる露佛辞書
鳥類に小さき頭蓋日雷
ゴルゴダの石の凹凸月青し
ハンケチを振って上腕二頭筋
冬晴れやバス停に立つスーザフォン
ささめ雪私が死ぬというしらせ
 俳句界賞受賞「露佛辞書」の作品を中心にした句群が、まさに一見案易そうで深いこの人、この作者そのものを語っている。
 あとがきにも「ポリーニの弾くショパンのエチュード全曲のこと。硬質に内在する抒情。一見、冷たく技巧的に弾かれるばかりに聴こえながら、その奥からは柔でない深みを伴った抒情が湧き出る……」そんな句群を目指しているとある。
 こちらの側から言わせてもらえば、この句集には、誠実、自制といった人柄の向こうにある平穏、安寧、静謐、情緒……といったものに包まれていく心地よさが間違いなくある、ということだろう。
 暑さの日には一服の清涼感に、酷寒の日には、柔らかい暖炉の温もりに……そんな静かで深い句集ではないかと思う。


五線譜
平山南骨

 俳句を印象から分類すると、重たい句と軽い句があると思います。また、饒舌な句と寡黙な句という分け方もあるでしょう。(結局、どうとでも分けられるのでしょう)。
 この句集の収録句は、結構重たいと思います。また、寡黙というまでもないのですが、語り口は実に静かで、少なくとも饒舌とはいえませんね。
 さて、これらの「句群」の勝負どころはどこにあるのか?
 それは、句集の構成の工夫にあると思いました。土佐弁に「りぐる(理繰る?)」という語がありますが、かなり「りぐっちゅう」。読ませてくれます。
 本書は、それぞれ表題が付けられた十章で構成されています。そのうち最初の「露佛辞書」五十句が第九回俳句界賞受賞作、次の「署名」二十五句がその受賞第一作として発表されたもので、併せて収録句数の半数強を占めます。
 ご承知のとおり、「句集スタイル」は句集のシングルアルバムを標榜していますが、本句集のページ数は通常の二倍だそうです。これは前括の受賞作、及び受賞第一作を収録する必要性があったためと思われます。
 著者は句集というものに対し「前を向いていない」「過去の覚書になっている」ことから、それを「出すことについて、ずっと懐疑的だった」とあとがきに記します。しかし「自分の句たちは、現在形の句を垂れ流すように衆目にさらせばよいのだと気づいた。未完成でもいい。上梓後に改めてもいい」と思い直した。
 つまり、受賞作等をそのままの形(表記は現代仮名遣いに統一)で入集したのは「垂れ流し」の一環と理解してよいでしょう。これは読者としては実にありがたいことで、記録性という観点からも賞賛されるべきことなのですが、著者としては覚悟がいる行為だったと思われます。
 以上、前半の二章は句数も多く、多様性に富んでいるのですが、第三章たる「雪の耳」以降は、各章四句〜十句とコンパクトであり、テーマも絞られ、一句一句もかなりソフィスケイトされている印象をえました。そのテーマも「花」「鳥」「月」「雪」と大きく出ています(第六章たる「シノア」はやや例外。また、「鳥」は必ずしも季語とは限らない)。
 通常、花だ月だで十句、二十句読まされると鼻に付くものですが、それがない。構成の妙とも言えますが、冒頭に申し上げた静かな語り口も相俟って、良質な童話をじみじみと読み進める様な心地になれます。
 人名・地名等の固有名詞、音楽や宗教に関わる事柄が多く詠み込まれているのもこの句集の特徴です。分からなくても邪魔にはなりませんが、調べてみることをおすすめします。
 では、僭越ながら、各章より感銘句を一句ずつ。(括弧内は章の名)

秋天や他人にすすめる他人の酒
 (露佛辞書)
美容室灯されユダのクリスマス
 (署名)
雪深し私に聞こえにくき耳
 (雪の耳)
雪去って雪の耳鳴り残りけり
 (出国)
鳥類に小さき頭蓋日雷
 (鳥瞰擬図)
ハンケチを振って上腕二頭筋
 (シノア)
月淋し星のひとつは消えゆくもの
 (水の月)
ゴルゴダの石の凹凸月青し
 (さまよう者)
手に触れていて花という冷たさよ
 (花のマリア)
花びらに腰かけて聴く鎮魂歌
 (花への序章)

 洒落たカバーを捲って本体表紙・裏表紙も見てみよう。私は線が一本多いと思いました。


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百年百花


大人コン選考会員4名による4ヶ月間競詠
2014年度 第二期 第二回


「ミック」 キム・チャンヒ

いきなりの酷暑腰を振るミック
淫猥の類語にパイナップルだとか
少し辛いと零れゆく薔薇ですか
夏蝶の羽にはインディアの模様
こどもに捕まっちゃったこども瑠璃蜥蜴
バケツの孑ふらを捨てるのも正義
東京の夏が月まで腐らせる
殺人電話ボックスに蛾蛾蛾蛾蛾
晩夏とは大きな影のことだろう
夏草が地球を変えたがっている
八月の半券は新作のゴジラ
ナガサキがザラザラな童話になるよ


1968年生まれ、愛媛県出身。本誌編集長。句集『COSMOS』(マルコボ.コム)。『桝形浩人とキム・チャンヒの超俳句入門』(マルコボ.コム)




「夜の砂地」 眠

夏つばめ指のまはりの指輪見て
細胞に壁あり向日葵の傾ぐ
クーラーの微風に汗をかく子かな
銀色に背骨のうごく目高達
瓜ふたつ違ふかたちに並びけり
颱風の夜の砂地が胸を過ぐ
蝋液を吸ふ垂直の秋灯
喰ふによき木槿の落ちてゆくところ
現し世にあれば花野の兄妹
膨張のまつたき珠に菊映る
この秋のあゝパイナップルの缶詰よ
秋水や葉脈残る葉の行方


もうすぐ38歳になります。自分の想像していた38歳とは違うなあ。




「ほろんほろん」 井上さち

浅葱斑蝶や千キロの海を来る
一斉に放つ国蝶大紫
緑陰や標本の如くに開翅
凌霄花に夢中な翅を摘みけり
揚羽羽ばたくワルキューレの騎行
指に残るは黒揚羽の力
黒揚羽の裏翅赤き粉まみれ
翅の緋は鬼百合の花粉であるよ
繋がったままに光を飛ぶ揚羽
太陽は百億歳や黒揚羽
求愛する揚羽の翅のほろんほろん
灼くる道を転がる黒き翅の片


「いつき組」「街」俳人
季語の宝庫日土に暮らす。




「ローマ」 夏井正人

あの夏星の群れが地雷で死んだ人ら
船宿の壁蝨の朱なる夏期休暇
花合歓は産み落とされぬ詩の欠片
経血のごとく真黒き大百足
真鍮の鳥の水差し夏の果
海へ夜月下美人のバルコニー
フロントのベゴニアローマ滞在税
フルートと銀河を鳴らす好奇心
黒人の臭ひぬ秋雨のメトロ
トニックのうすまり露草をながむ
流星の尽くやローマは主の碇
売春婦ニーナの指の先の月


1986年愛媛県出身。第5回俳句甲子園予選リーグ三戦三敗敗退。「いつき組」。2012年第3回北斗賞佳作。各地の句会を転戦し武者修行中。




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読者が選ぶ人気俳人!

100年俳句計画作品集 100年の旗手


(2014年8月号 〜 2014年9月号 3/3回目)


 鰯雲 竜胆

火の国の芒野原の人となる
岩稜の竜胆にある宇宙の地図
蟷螂に占領さるる時刻表
万国旗揺れて攻めくる鰯雲
鈍色の千切れたロープ秋の潮
一村を煌きに占む秋茜
秋の夜の死海産なるバスソルト
三日月や強き光のゴッホの眼
廃線の駅舎黒々海の月
臥待や未だに耳の順はず


団塊世代の66歳。木曜カルチャーの4年生。退職後、福祉の仕事と共に俳句甲子園実行委員会のメンバーを務める。山歩き・ゴルフ・卓球・写真等、俳句以外の趣味も多く、予定表が埋まってくると安心する回遊魚系。



 時々俳句 岩宮鯉城

黴の書の宮本武蔵刀研ぐ
青林檎かじる八十路の力もて
日盛りの大工口から釘を吐く
熟田津の波をくりだす土用波
赤子とて氏子のひとり夏祓
かなかなや夕日の色を加へける
流星や八十の齢すぐそこに
螻蛄鳴くや老後は軽く生くるとし
月と居て時々俳句たまに酒
喜寿すぎのがんこわがままいわし雲


平成八年愛媛新聞カルチャー教室で組長に俳句を習い、平成九年から愛媛新聞へ投句開始し、年間優秀賞を十四回受賞。また平成二十二年に瀬戸内海俳句大会で大賞受賞したのが俳句人生での大きな財産と言えようか。



 星月夜 うに子

草いきれ廃止決定バス路線
帰省子を客間に寝かせ米を研ぐ
眼の端に警戒テロップ追ふ晩夏
防潮扉閉ざされ月の湿りゆく
お見舞にゆきて叔母より桃ふたつ
砂に足とられて笑ろて浜相撲
ゆきわたるこゑと氷菓と夕風と
精霊舟すすみはじめてみな無口
踊りけり雨も微熱もものとせず
三泊でたりるふるさと星月夜


木曜カルチャーに飛び込み2年半。車で2時間離れた松山へ出向き笑って習って顧みることが生活の一部に……。花の名前も知らないし鳥や虫は苦手だけど俳句は楽しい! 錆びた五感を目覚めさせ一生かけ季語覚えていくつもり。



次回10月号〜12月号連載者決定

 「100年の旗手」では毎月、読者の皆様より「この人の作品集を読んでみたい」という気になる俳人を、1人3名まで推薦していただいています。
 5月〜7月の推薦数を集計し、多くの推薦が集まった方に編集室より執筆を依頼した結果、連載を行う3名が決定しました。

 杉本とらをさん
 てん点さん
 幸さん

 来月号より3か月間、こちらの3名が作品集を連載します。
 お楽しみに!


読者が選ぶ人気俳人!
「100年の旗手」連載者推薦募集

 今求められているのは、読者が読みたいと思う俳句作家。「100年の旗手」は、連載する俳人を、編集室ではなく、読者が選ぶコーナーです。
 「この人の作品集を読んでみたい」と気になる俳人を、1人3名まで推薦してください。その中から、推薦の多かった方に、編集室より原稿依頼を行います。
 あなたのお勧めの俳人を是非推薦してください。

 推薦の方法

「この人の作品集を読んでみたい」という人を3名まで選んで(自薦は不可)、その俳号と活動場所(句会、誌面等)、推薦者ご自身の俳号(本名)、住所、電話番号を明記して、100年俳句計画編集室「作品集推薦」係へ送ってください。ハガキ、FAX、Eメールで受け付けています。Eメールの場合は件名を「作品集推薦」としてください。また、専用のインターネット投稿フォーム(http://www.marukobo.com/100kishu/)でも受け付けています。※投稿フォーム利用の場合を除き、推薦は他の投稿等とは分けてください。

締切 毎月末日

 現在連載している3名の方以外なら、一度連載された方も含め、どなたでも推薦できます。
 今回連載を行った3名の作品集の感想もお待ちしています!


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百年琢磨

 緋のダリア 津川絵理子

「日傘」 うに子

かたことの日本語眩し緋のダリア

 かたことでは上手な会話にはならないが、気持ちは意外にもちゃんと伝わるものである。一生懸命に相手に伝えようと話している。その言葉を眩しい、と捉えた感覚がユニーク。話している人は若い人かと思う。「緋のダリア」からも、パッと目を引く明るい人、という感じが伝わる。

能面をつければ遠き蝉しぐれ

 能面を付けたときの、自分の内部に籠っていくような感じ、或いは異界へ入ってゆく感覚が「遠き蝉しぐれ」と響きあう。

影絵見てふたり涼しくはぐれけり

 祭の一場面を想像する。このふたりは恋人同士なのかもしれない。「涼しく」が嫌味なく付いている。


「蜩」 竜胆

踝の涼しと思ふ朝かな

 昼間の暑さを思うと、朝の涼しさが有難い。本当は体全体に涼しさを感じているのだが、踝という普段あまり意識しない部分に焦点を絞って、あっさりと詠んだところが良い。

初秋に会ふ熊笹を分け入つて

 初秋という姿かたちのないものを擬人化した点は新鮮。笹原の中に分け入って、かすかに感じ取った季節の移ろい。

故紙結はふ麻細引にある残暑

 故紙を結わえる細引紐の、実用的で丈夫だが粗い質感を思い出した。「にある」は少し分かり難いのだが、残暑は合う。


「生きる」 岩宮鯉城

二匹共大きでで虫無位無冠

 上十二と「無位無官」は多分関係は無いと思うのだが、二匹の大きなでで虫が「無位無官」であるようにも読めて面白い。

鰹焼く煙は昼の月かくし

 鰹のたたきを屋外で作っているのだろうか。鰹そのものではなくて、もうもうと立ちのぼる煙に注目したところに意外性がある。

大夕焼空が扉を閉ぢるまで

 「空が扉を閉ぢる」というのは、単純に考えて、夜になるということなのだろうが、空に扉があるとした想像力と詩的な表現に注目した。


津川絵理子
1968年生れ。「南風」所属。句集『和音』。平成19年、俳人協会新人賞、角川俳句賞受賞。


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新 100年の軌跡


2014年度 第二期
第二回


 スラム街 ローストビーフ

手に取つて戻す画集や半夏生
黒胡椒まみれの肉や晩夏光
涼しきはモアイの顎の角度かな
夏の果壁に銃創ありにけり
炎天やもの堆きスラム街
遠雷や鳥葬さるる仏教徒
ピクルスの漬かり具合や夏の月
謙遜が美徳の國や金魚玉
異邦人らしき振る舞ひアイスティー
くろあげは塑像に瞳なかりけり
蚊を叩き広がりし血や愛欲しき
若竹や干菓子に白の和三盆
メロンに匙恋に代替行為あり
万緑や一糸の乱れなきオール
太陽は鉄の匂ひや大夏野


ローストビーフ(羽田大祐)
1988年生まれ。吹田東高校にて俳句を始め、第7回、第8回俳句甲子園に出場。4ヶ月間よろしくお願いします。




 雪の女王 藤田夕加

あこがれの季節は裏側雪だるま
ホルン聴こえたる微笑みの国星月夜
きうりはバケモノとなりて潜む
行き先に迷う前髪糸瓜棚
昼の月サンドイッチは食べただけ
無意識の西瓜の種や喉を過ぐ
文月やチョコレートはすでに溶け
ティアラは月の形雪の女王
経歴になき文字俳句甲子園
心理学の哲学青胡桃
揚花火ショートカットで保存する
意訳とも違う翻訳鱗雲
息の流れる「赤とんぼ」歌うとき
曼珠沙華理論ありきの美しさ
変わること恐れなきこと秋の水


藤田夕加
1987年2月生まれ。愛媛県新居浜市出身。愛媛新聞「ヘンデス俳談」において注目される。週活句会句集『WHAT』vol.1、vol.2に参加。




意外性と共感 都築まとむ

黒胡椒まみれの肉や晩夏光 ローストビーフ

 「黒胡椒まみれの肉」は大きな塊の肉だろう。「まみれ」という言葉からマイナスなイメージを持ったので、この肉の塊は冷めて乾きかけているのではないか。「晩夏光」という季語がその気分を一層強くさせる。

蚊を叩き広がりし血や愛欲しき ローストビーフ

 上五中七は誰でもが体験することであろうが、その潰れた蚊や広がる血を見て「愛欲しき」と言い切った意外性が面白いと思った。蚊を打った自分を赦せと思ったのだろうか。その血から、欲しいのは肉親の愛と読むのは勘ぐり過ぎか。

きうりはバケモノとなりて潜む 藤田夕加

 雨が続くと確かに「きうり」はバケモノになる。その事実にとても共感。「きうり」「バケモノ」「潜む」この表記も行き届いている。破調の形もこの句の内容には効果的だった。

無意識の西瓜の種や喉を過ぐ 藤田夕加

 上五中七で何が起こったのだろう?と思わせておいて、下五で種明かし(洒落ではない)するという作りの句。無意識なのに「西瓜の種や」と強調するのはどうなんだろ?と思ったが、今まさに喉を違和感として通過している「西瓜の種」ならと大いに納得した。


1961年愛媛県八幡浜市生まれ。自分の句歴12年に驚くばかり。第3回選評大賞優秀賞。



ここでないどこかへ  樫の木

 「スラム街」は旅吟。詠まれる色々な場所、光景が楽しい。反面、少し盛り込み過ぎてまとまりを欠いた感もある。全体を貫くテーマをはっきり出すと良いと思う。

くろあげは塑像に瞳なかりけり ローストビーフ

 かな表記の「くろあげは」の柔らかさ、軽さ、艶やかさと粘土で作られた「塑像」との対比。「瞳なかりけり」で命を持たぬ「塑像」の虚ろさ、脆さに思いが至る。

万緑や一糸の乱れなきオール ローストビーフ

 「万緑」は川の両岸の並木か、湖を囲む木立か。「一糸の乱れなきオール」で競技用のボートが出現する。万緑、青き水面、一糸乱れぬオール、すべてが美しい。

 「雪の女王」は破調・自由律の句が多く、また夏、秋、冬の季語が混在している。全体として不安定な印象を受けるが、これは作者の表現の試みなのだろう。

行き先に迷う前髪糸瓜棚 藤田夕加

 「行き先に迷う」のが「前髪」というのが軽く意表をつく。「糸瓜棚」の糸瓜もまたぶらぶら揺れている。

変わること恐れなきこと秋の水 藤田夕加

 「変わること」「恐れなきこと」は決意の表明。三段切れの強さは決意の強さ。「秋の水」のような澄み切った心で進むべき未来を見つめている。


1965年愛媛県生まれ。大分県在住の家具職人。第5回選評大賞優秀賞。


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超初心者から中上級者まで楽しめる
100年投句計画

 「100年投句計画」は、読者の投句コーナーです。

 「選者三名による雑詠俳句計画」は、雑詠句の選句欄です。投句の中から先選者二名が、それぞれ天地人の句を選び、先選より漏れた句の中から、後選者が特選、並選を選んでいます。今回の先選者は、阪西敦子さんと加根兼光さん。後選者は、関悦史さんです。

 「へたうま仙人」は、ヘタな句を褒め、巧い句を追放する、世の選句欄とは真逆のコーナーです。どんなにヘタな句でも褒めてくれるので、自分の俳句に自信のない方、何はともあれ褒めて欲しい方に最適(?)。担当は大塚迷路さんです。

 「自由律俳句計画」は自由律俳句の選句欄です。自由律俳句に挑戦することで、自由律俳句ならではの楽しさを味わうと共に、有季定型の俳句との思わぬ共通点も見えてきます。選者は、きむらけんじさん。
(投句方法は「100年投句計画」コーナー末尾参照)
写真:白鯨


選者三名による雑詠俳句計画


先選者 関悦史

 田中裕明賞の授賞式に行ってきました。四五歳以下の句集が対象の新人賞で今年で五回目。今回は榮猿丸『点滅』と西村麒麟『鶉』が取りました。どちらも知り合いなのですがことに榮猿丸とは鴇田智哉と私の三人でSSTなるユニットを組んでいるくらいで、今回の句集も年齢制限ギリギリだからと何度も焚きつけてようやく出させたものでした。祝辞で句を引用し忘れたのでこちらで。《ダンススクール西日の窓に一字づつ》榮猿丸。


それぞれが滝の一点みつめをり うに子

 連れ立っての滝見のさまを、それぞれの内面(あるいは放心)にまで潜入し立体的に詠んでいながら、すっきり単純にまとめている点、佳句といえるでしょう。江戸川乱歩の幻想短篇「押絵と旅する男」が川島透監督で映画化されたことがあり、そのラストが確か登場人物全員が蜃気楼と対面する場面でした。ただし、それぞれが蜃気楼に何を投影しているかは観客にはわからない。それに似た心の秘密が滝に照らし出されているようです。



灯明の油に蟻の黒々と 青蛙
 一般的に季語は修飾しない方が力強い句になるので、下五「黒々と」がどうしても必要かどうかは一考を要するところです。ただし視覚的には油に浮いた蟻というやや異様な素材があざやかで印象的。

エアコンの効きはじめんとする唸り ソラト
 着眼としてはありそうですが、意外と類想感がない。「効く」は人間側の期待ですが、機械の「唸り」の即物性が主になっているからでしょう。ただし冷房専用と限らない「エアコン」が有季句となるかは疑問。

烏瓜咲いて廃園淑女めく 妙
 廃校、無人駅等、廃墟趣味の句は結局、自己愛の句となることが少なくないのですが、これは廃園側の怪しいキャラクターを季語で結晶させたのが長所。事(「淑女めく」)より物(「廃園」)が結論にくればなお可。

生前葬ピースサインの夏帽子 北伊作
 葬儀で飾られる遺影が夏帽子でピースサインをしているとなれば、いかにも「悲しみが新たに」なる通俗的な道具立て。ところがこれは生きている。このはぐらかされた悲しみをどこへやればよいのかという俳諧味あり。

弁当のパセリの場所が吾の場所 ちろりん
 自己憐憫や卑下の句は、ユーモアの抜けが悪ければ物欲しげになってしまう。しかしこの句の場合は、ここが落ち着くという自足が勝っていて、弁当の完結感ゆえか、卑下とは似て非なる幸福が詠まれているようです。



炎天下豹柄多き御堂筋 幸
虹痩せる小林歯科の向う側 空見屋
すきな子を小さくスケツチ花人参 緑の手
あばら骨一本折れて夏休み 一走人
夏木立青信号を隠しけり 未貫
喧騒を呑み込むホテル花氷 のり茶づけ
一人抱き一人背負ひて長崎忌 七草
遠雷の響もす闇や自衛とは 哲白
扇風機佐川の人に吹きにけり 希望峰
目が合えば微笑み返す生御魂 大阪野旅人


先選者 阪西敦子

 小学校の頃、夏休みの宿題を最初の10日で終え、8月を遊ぶのが毎年の心づもりであった。大学生になってからは2か月の休みが与えられたが、これも前半の1か月ですべて終えてしまうのが休みの前の予定。結局かかる時間の見積もりは正しいどころかもっと短時間で終えるのだけれど、とりかかりがいつも休みの最後から数えてになる。それが急にたった5日間となった社会人生活。勝手に7月くらいから休み月間として、お盆休みはたまった宿題をするための日々としているが、年々それも足りなくなりつつある。


すきな子を小さくスケツチ花人参 緑の手

 のどかな畑の風景の中、一心にスケッチをしている。その視線の中に、好意を寄せる子の姿がある。その姿もスケッチの中に留めようとしている。それは実際に小さく見えているのか、意識的に、あるいは無意識的に小さくしてしまったのか、この句からは読み取れないけれど、その読み取れなさがかえって、真実の響きを生んでいる。花人参のリアリティがそれに響きあっている。



子の留守の二泊三日や水中花 おせろ
 夏休みの行事なのだろうか、お子さんが二泊三日で出かけている。いつもは賑やかな子供の不在に、広々とした感じとともに、なにかよそよそしい部屋となる。その中で普段より存在感を増すのは水中花。

ほとゝぎす谷間の闇の濃紫 てん点
 明け方か夕暮れか、ほととぎすの声の満ちた谷間。作者もその中にいる。響きあう声に包まれて、その闇がいつか紫も濃くなってゆく。闇の濃淡によってあらわされる、ほととぎすのしきりな鳴き声と、あたりの静けさ。

あばら骨一本折れて夏休み 一走人
 全ての休みの中でも、その暑さを避けて設けられる夏休みは、もっとも活動的でかつ長い。子供たち、その傍らで大人たちも普段とは違う速度で時を過ごし、体や心の限界を超えることも、骨を折ってしまうこともある。

虹痩せる小林歯科の向う側 空見屋
 慣れ親しんだ町に大きな虹がかかり、街の様子を一変させる。しばし作者は、その景色に心をとめるのだが消え始めてきた虹に、その痩せはじめがよく知った眼科の裏であることに気づき、虹の興奮から覚めてゆく。

目が合えば微笑み返す生御魂 大阪野旅人
 生身魂は俳句の中で、ありとあらゆることをする。咳き込んだり、走りだしたり、怒ったり……。しかしながらその中でなにより自然で、静かで、あたかかいのがこの姿。目が合えばとした作者との交流がありがたい。

照り雨の光はじけり金魚玉 蓼蟲
 雨ではあるけれど、それであるからこそ不思議に明るさを持つお天気雨。一方、部屋の中にあってある暗さを持つ金魚玉。その金魚玉が窓から入るその明るさを受けて、跳ね返しているのである。金魚を焦点にして部屋の内外の二つの水の形態を、明暗を通してすんなりと描いて、いつまでも飽きさせない。

パトカーのゆるりと回る初夏の朝 春告草
 その一日も、これから始まる季節も、明るく心地よい希望に満ちた、初夏の、それも朝。ほかの季節の、ほかの時間にはないのびやかさで、人々は街を行くのである。その間をパトカーが過ぎて、路地の先で方向を変えた。その様子さえものびやかで、本来パトカーの持つ緊迫感とは無縁のようである。これから動き出す町の中の、あるはじまり。



次の世は魚になりたし草矢失す しんじゆ
焼き立てのもろこし笑顔醤油味 レモングラス
赤道を越えた恋愛土用波 ソラト
風重き伽藍や四万六千日 みちる
風鈴の舌を外されしどけなし ヤッチー


後選者 加根兼光

 歩いて5分の所にパン屋さんがある。特別有名でもなく変わったパンを作るのでもなく夫婦だけで早朝から営業する。近いからもちろん歩いて行くことが多い。今なら下駄ばきでプラプラと川辺を歩いて。8時ごろに行くとまだバケットやバタールは無くブールならば焼けているという。その店先には小さな鉢に何気なく花が植えられているのだが、先日、密やかに咲く日日草に気づいた。そんな風にここのパンも日々焼かれているのだろうな。


特選句

薔薇墜つやドレスの女死すやうに 緑の手

 写生句であろう。薔薇が花の形のまま地に落ちた時まるでドレスを纏う女が地に伏すように果ててゆくのだ。「堕つ」「死す」と重ねられる言葉の強さも過剰に見えて微妙なバランスを持つ。「や」切れによる倒置も効いている。

絶望を我が友として夏の空  アンリルカ

 絶望は友にはなりにくい。むしろ友としたくないと言っていい。しかし絶望でさえ友とすることは可能だ。希望であれ絶望であれ我が心から発するものであるから。夏の空は一瞬明るく其の実、秋色を内包し始めるのである。

青梅の時の岸辺に置かれけり 人日子

 「時の岸辺」。誰かの歌詞にも有ったりはするが青梅がその岸辺に置かれた時に起こることをこの句は語っていない。それが句の世界を広げている。青から黄に或は梅漬けに。いや置いた人はどうしたのだと想は広がる。



並選句
張り切りて打水したる若女将  杉本とらを
日日草無力な我になれること あらた
踊髪ときて今日を終わらせる 幸
胸そらし目伏せし日々や九月来る レモングラス
鼓虫の田水濁さず舞ひにけり 樹朋
緑陰やページをめくる風ひとつ 富士山
ドクダミ荘西日ばかりか三畳間 空見屋
物置に宇宙人住む朧月 迂叟
新星の誕生捕らふ蜘蛛の網 小市
睦言を見られています夏の月 ヤッチー
梅雨空を眺めてをれば人心地 みちる
水芭蕉雲きえてゆく空の青 ほろよい
半夏生暗渠につづく用水路 ほろよい
隊列は地平線から雲の峰 ゆりかもめ
日焼して小さく見える老母かな 和音
幾何代数分からぬままよ冷奴 元旦
日盛や待合室の闇き中 蓼蟲
人参の咲くほど太るさびしさよ もね
月涼し突っ掛けで来るジャズシンガー もね
救命や肋骨五本折れた夏 一走人
空蝉の眼虚空を掴みをる てん点
夫の墓に桔梗を供へし人や誰 未貫
青空の棚田棚田にアマリリス のり茶づけ
雷を怖がる犬の息づかい ぴーす
アルベール・カミュ読み耽る炎天 一心堂
脱衣所の汗の匂いの若きかな おせろ
あじさいや頬杖だけは虚子に似て 藍人
あめんぼうを追ひかけているあめんぼう お手玉
浜木綿や海風抜けてゆく鳥居 樫の木
山頂の樹間を縫うて黒揚羽 樫の木
食い縛るマウスピースや青嵐 不知火
図に乗つて咲いてゐる紫陽花を伐る ポメロ親父
抽斗の隅にノーシン涼新た 七草
瀬戸の月涼しフェリーの湯の熱し 空
半夏雨ピザ屋の窯の火の揺れて 八木ふみ
生ビール掲げ勝利を称え合う 八十八
魂の那由多の旅や盆供養 喜多輝女
梅雨明けの雷鳴に買う宝籤 まんぷく
花合歓の照らす旅路に分岐点 しんじゆ
掌中の珠の清麗朝の蓮 野風
ひめじょおんほっとするニュースの一つだけ エノコロちゃん
おかとらのおのおのさきまでさききりぬ エノコロちゃん
白くまのピースと一緒に夏氷 まこち
雀百羽隠して燃える夾竹桃 ミセスコナン
墓碑銘は「空」の一文字夕焼くる 省三
女子会の笑ひの近きビヤホール 鯉城
くちなしや征きて還らぬ飛行兵 哲白
夏風邪や四方に開く段ボール 希望峰
寝台の出雲詣でや虹二重 あおい
曇天や百万本の蛇の目草 青柘榴
晴れ渡る二百十日の鯨幕 あい
向日葵や鈍行の旅好む齢 松ぼっくり
雷鳴や水抜く風呂の小さき渦 瀬戸 薫
宵星に錆びた鉄鎖の山開き 西条の針屋さん



関悦史(せきえつし)
1969年茨城県生。「豈」同人。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。第11回俳句界評論賞。2011年第一句集『六十億本の回転する曲がつた棒』刊行。翌年、第3回田中裕明賞。共著『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(以上、邑書林)、『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(以上、草思社)他。雑誌「現代詩手帖」俳句時評欄担当(2012年1月〜)

阪西敦子(さかにしあつこ)
1977年神奈川生まれ。1985年より作句、および『ホトトギス』生徒児童の部へ投句、2008年より同人。「円虹」所属。 2010年、第21回日本伝統俳句協会新人賞受賞。共著に『ホトトギスの俳人101』『俳コレ』など。

加根兼光(かねけんこう)
1949年大阪生。俳句集団「いつき組」組員。第9回俳句界賞受賞。



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へたうま仙人


文 大塚迷路

 「残暑」という季節をもう一つ作っても良いほどのこの頃ぢゃが、皆様お変わりはありませんかな?
 今月も、このご時勢を吹き飛ばす句の大乱立ですぞ。心してくだされ。


「円卓」見て前歯を折ったこけちゃった KIYOAKI FILM
歯を磨く歯科医の奥様青林檎 KIYOAKI FILM

 渡辺白泉の「憲兵の前で……」を彷彿とさせる問題作ぢゃ。下五の「こけちゃった」で、ワシもこけちゃったぞ。すかさずの歯科への場面転換は、さすがのへたうまベテラン俳人ぢゃ。転んでもタダでは起きんところは大いに評価できるぞ。奥様のシュールな姿が「青林檎」でよりシュールになる設定は写生の極みぢゃ。(それ以上写生すると出入り禁止になるぞ)

酒瓶を枕の雑魚寝鷭笑ふ 南亭骨太

 酔っぱらって転がっている人間は雑魚より不味そうぢゃ。バンも笑うしかないのぢゃろう。自嘲を遥かにやり過ごし、やっと辿り着いた無我の境地ぢゃ。ようここまで修行されたのう。

夏服の少しきついね今年きり 台所のキフジン

 お気に入りだったのに、残念にもきつくなった服への信じたくない惜別と哀悼の念が滲み出ておるぞ。「少し」という言葉に微妙な心情が隠され、更に悲哀と滑稽が増幅されるぞ。その上、傷口に塩をすり込む「きついね」のつぶやきの追い討ち。さも夏服が罪を犯したのごときのセリフにオイオイ泣かされたぞ。

心太押さえて嬉し口の中 たっ君

 それほど嬉しがってもらえる心太はなんと幸せ者ぢゃ。あまりのうまさに口元がほころぶと、はからずもその隙間からにょろっと出て来る心太を大いに慈しんでいる作者の顔が、どアップで迫ってくるぞ。幸せの一極集中ぢゃ。

長生きの途中ですゴーヤーを食う ケンケン
沖縄忌故郷の母に手紙書く ケンケン

 このような郷土愛に溢れた句は、残暑の中に弾け出るサイダーの泡ぢゃ。まだまだ長生きの途中だと言い切る人生全面肯定派がもっと広がれば、地球も安泰なのにのう。
 電話やメールで事足りる世の中ぢゃが、文章には文章力(りき)が潜んでおる。文章力が最大限に生きるのが手紙だと信じておるぞ。沖縄忌に書く手紙には、どんなパワーが宿るのかのう。

全身全霊のかたち糸とんぼ 小木さん

 確かに糸とんぼは無駄を探すことのできない、究極のかたちをしておるのう。それを「全身全霊のかたち」とは言いえて妙ぢゃ。あのか細い手足を動かすメカニズムやその中に躍動するエネルギーのことを思うと、仙人以外の力が及んでいるとしか考えられんのぢゃが、どうぢゃろう?

鬼やんま我が物顔のローカル線 未々

 残暑の中を突っ切る鬼やんま。それに追いつこうと必死の形相のローカル列車。遠い田舎の風景のひとこまを映像で想像させるあたり、へたうま修行も佳境に近付いたのう。「我が物顔」がどんな顔なのか、ぼんやりとしか映像に映らなかったのがちと心残りぢゃ。

とおくなる昭和のかたち枇杷みのる ひでこ

 昭和のかたちと枇杷をリンクさせるあたり、まさにへたうまはだしぢゃ。枇杷のスピーチバルーンのような形の中に、とおくなる昭和に対して何か言いたい言葉がぎうぎう詰まっているのぢゃろうか? でも、ノスタルジックジックしていても枇杷は完熟を過ぎてしまうというもんぢゃ。こんな感傷的にさせる句は、今を生きる者が完熟してしまっては、まるで短縮番号よ!的追放!

台風やジンクス信じ早じまい 柊つばき
集まれば死に方話す夏の夕 柊つばき

 最近の天気予報は結構当るらしいが、自分なりの判断で早じまいするのが、本当の「危機管理」というものぢゃ。この句を電信柱に貼って、地域の啓蒙に役立たせたいのう。
 死というものをみんなで話すことにより自分の死に方を再確認するという作業は、とても積極的で前向きな作業ですのう。これは「夏の夕」がぴたりと決まりましたのう。
 おっと、ぴたりと決まってしみじみしてもらってはちと困るんぢゃ。こんなE難度の着地を決める輩は、困ったことにオリンピックは四年に一度的追放!

 残暑も吹っ飛び、一周してまた帰ってくるほどの勢いの今月ぢゃったが、いかがでしたかのう?
 これからだんだんと暑さも和らぐとは思うが、並行して頭のほうもさらにフル回転で頼みますぞ。くれぐれも油断召されるなよ。



へたうま仙人
 年齢 卑弥呼がおっぱいを飲んでいた頃、ワシは青春真っ只中ぢゃった。
 好きなもの 霞のシャーベット(PM2.5抜き)
 嫌いなもの 上手な俳句
 将来の夢 大器晩成


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自由律俳句計画


選者 きむらけんじ

 野菜を意識してとるようになった分、むかしより肉食うことが減った。しかし友人によると、時には肉を意識してがっつり食わないと闘争本能が退化するという。いまさら闘争本能などと思うが、もうちょっと頑張るとか、あと一歩的根性も闘争本能に由来するらしい。で、さっそく焼肉食いに行った。次の日生意気なちっちゃい犬に、なんの落ち度もないのに突然吠えられて腹がたったので吠え返してやったら、近くにいた飼い主のオバちゃんに睨まれた。バツが悪いので黙って退散したが、今度はもっと肉食って、オバちゃんにも吠えてやるからな。肉!



思い出したやうに冷蔵庫唸る もね

 そう言われてみれば、そうだな……と納得させられる。四六時中精一杯冷やしておればさすがに疲れるので、効率よく働いているのだろうか。これをエコ仕様というのかもしれない。最近知り合いのネット句会でみつけた冷蔵庫の句、「氷山の崩れる音や冷蔵庫(三椒)」。これも夜中はっとさせられる。氷ができてケースに落ちる音に注目しているのだ。観察眼が鋭ければこねくり回さなくても優れた句はできる。



かき氷日和なる日和のありにけり 喜多輝女

 有季定型に近い。こういう句をみるとなんとかもっと自由律にならないかと考えてしまうのだが……。たぶん「かき氷日和」という言葉が新鮮でインパクトがあるので、そこに強い要素を加えても衝突するだけなのだろう。「かき氷日和」だけをキーに、発想し直すしかないと思う。

三伏を生き延びて大王具足虫 ポメロ親父

 大王具足虫は、ダイオウイカ、リュウグウノツカイと並んで今どき人気の深海生物。見た目は超巨大ダンゴ虫といったところか。そんな俳句にもなりそうにない生物をぎりぎりで繋ぎとめているのは、たぶん季語の「三伏」。「三伏を生きて大王具足虫」ならすんなり有季定型。「生き延びて」としたところが、大王具足虫に力を与えたと思う。

盂蘭盆会線香は長し豚は太し 七草

 「……線香は長し」まではフツーに納得できる。つぎに「長し」の対比として納得レベルのものを置いたら、この句はただの平凡で終わる。突然「豚は太し」の、なぜ?どうして?の強引さが得体の知れぬ力を与えたのだろう。無視して通りすぎることができない何かがありました。

生温かい月が草叢にいる 多満

 大きな月に誘われるように、その光に照らされた草むらに出てみる。清涼なはずの月光の草むらは、日中の熱気を孕んで予想外に生温かいのだった。初めて知る月の生温かさ……ときには月も裏切ると知った。妙な脱力感がよいと思う。

梅雨明けて煙突のこし銭湯消失 まんぷく

 梅雨明けと銭湯の取り合わせはよいと思うが、「梅雨明けて」→「煙突残して」→「銭湯が消えた」という流れが、段取りに過ぎると思う。その分自由律らしからぬ説明くささがつきまとうのがザンネン。「銭湯消えて梅雨明けの煙突が残った」……もっとよい構成を期待します。



西瓜と共に浸かる泉 のり茶づけ
下の歯は屋根に投げろと炎天の父 台所のキフジン
不動の亀がひよいと片足上げた みちる
「昨日はお疲れ様」だけのメール見つめる 元旦
ドングリ一つ何するでもなく拾った 大阪野旅人
ママ友って捩れたトンネルのこと 松ぼっくり
もうだめだがくちぐせになる炎暑 小市
群青色の絵の具むにゅっと夏の地中海 ヤッチー
紫陽花の枯れきる力 幸
アルファベットだけの病名が痛い ソラト


並選
打水を掛けらるる 杉本とらを
すれ違うヘルパーの笑顔が好きで癒される  ケンケン
青蜥蜴吾にゃ歯無しの盛り時 KIYOAKI FILM
横たはる瞳の奥に砂時計 あらた
暗し音無し昼寝ざめ レモングラス
どこまでもどこまでも波熱砂沸き立つ 富士山
片蔭を帰れと気遣ふ友逝けり 迂叟
令伊の強弁梅雨前線強靭 南亭骨太
夏祭り奥で電卓打ちにけり ゆりかもめ
雨の隙間を夏つばめ 小木さん
犬の舌休みなし極暑 和音
期限切れ非常食でディナー うに子
待ちぼうけて死んでしまった宵の風 緑の手
残り時間考え始める夏 一走人
炎天に不条理の銃を撃つ 一心堂
そうか今日は休肝日であったか花卯木 藍人
鯉どもの口が亡者めく 樫の木
相合傘切り込んで夏休みに入る しんじゅ
話しかけられて風鈴の音消える 北伊作
妻取草ちっちゃくても気品 エノコロちゃん
跫は何処へ原爆忌 ミセスコナン
入院の母の一言あんた誰 坊太郎
稲植へた水番は末つ子 人日子
朝靄の白濁現身の吾と犬 ちろりん
冷酒でいいよ冷酒がいいよ 鯉城
癒されるときゝ海月飼う ひでこ
夜しじま花魁草の灯る尼寺 あおい
ポイントでスイカ買う ザッパー
成りすぎているお隣の苦瓜 青柘榴
晴れ女ひまわりだきてやってくる たま
可愛いだけの犬とオカマ 理酔
セキレイにひなのこと話してはいけない よひら



きむらけんじ
1948年生まれ。第一回尾崎放哉賞他。自由律俳句結社「層雲」同人。写俳エッセイ『きょうも世間はややこしい』(象の森書房)、句集『昼寝の猫を足でつつく』(牧歌舎)、『鳩を蹴る』(プラネットジアース)他。特技 妄想、泥酔。



【100年投句計画】投句方法
 件名を「100年投句計画」とし、投句先(複数可)、俳号(なければ本名の名前のみ)、本名、電話番号、住所を明記してお送り下さい。投句はそれぞれ二句まで、詰め俳句は季語を一つのみお送り下さい。一つのEメールまたは一枚のハガキに各コーナーの投句をまとめて送っていただいても構いません。
ただし、「選者三名による雑詠俳句計画」と「へたうま仙人」は、選択制(どちらか一方のみ投句)となります。また「雑詠俳句計画」は欄へ寄せられた二句を各選者が選ぶ形式です。各選者に個別に投句を行うのではない点にご注意下さい。

それぞれ締切は、9月20日(土)

投稿ページ http://marukobo.com/toukou/
投稿アドレス magazine@marukobo.com
はがきFAXでも投句できます。


さらに多くの投句をしたい方へ
 松山市が運営する『俳句ポスト365』など、無制限に投句を受け付ける場もございます。ぜひご活用下さい。(俳句ポスト365のページ参照)


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えっ?日暮屋が句集を出すってよ! 1


文 日暮屋

 100年後、何処かの町の、誰かの本棚に、この句集がありますように……。
 この言葉をスローガンに、句集を出そうと思い立った。子供が居ないことを言い訳に、まるで自分が子供のように、世間様に迷惑をかけない範囲で、これまでの人生の大半を、しっちゃかめっちゃかのやりたい放題で過ごしてきた。生業としてのキャリアは、足がもつれながらも第4コーナーを何とかこけずに回りきり、あとはコムラ返りを、誰にも気づかれぬようひた隠し、バックストレッチをいかに華麗にカッコつけて駆け抜けようかと考えている矢先、ふと気がつけば、まわりの同世代は、孫を抱いて目を細め、その子に自分の未来を託そうとしている。五十五歳になった今、若いころは思いもよらなかった淋しさや、虚しさが一気に押し寄せて来た。これまでのつけがしっかり回って来たのだ。やがて人生を終えるとき、果たして自分はこの世に何をしに生まれ、何を残したのだろう。そう考えると居てもたってもいられなくなった。あれこれ迷いはするものの、これといった打開策が見つからず、いたずらに時間だけが経過する。
 仕事の道すがら、何気に聞いていたカーラジオから、歯切れのよい口調で俳句が評されながら読まれている。俳句かぁ。そういや義務教育の9年間、運動も音痴で、かといって勉強も下位集団にさえ入れなかった自分が、唯一貰った賞状が俳句だったなぁ……。
 何かちょっと面白そうだな。投句してみようか、今週の兼題はパイナップルか。早速、水曜日デビュー。やるぞ日暮屋、スゴイぞ日暮屋。この調子なら金曜日、天もすぐいただき! 俳句なんてチョロイチョロイ。その後、ボツと火曜日のオンパレード。何が良くないのか、どうすればもっと上に行けるのか、全くもってわからない。毎週末、いやというほど聞かされるお馴染みの俳号たちが、金曜句、そして天に居座っている。これまで、仕事はともかく、遊びならどんなカテゴリーにおいても、エースで四番でキャプテンでないと気が済まなかった。多くの敵をつくりながら、力ずくでも強引なまでにそれを手に入れてきた。だがこの世界はそれが通用しない。もう無理、向いてない、ーっ……やめた。そして日暮屋の俳句生活、第一期終了。
 その後、ラジオはわざと聞かないように、俳句を自分から遠ざけていた。かと言って何をするでもなく、悶々とした日々が過ぎて行った。やがて、年を重ねるうちに、自分でも意外なほどの心の変化が現れ始めた。それは、謙虚さ。喧嘩っ早かった気性が穏やかに成り始め、もめ事なんてもう面倒くさくって……。自分が引き下がれば収まる話なら、120%引き下がるようになった。するとある日、偶然にも懐かしいあの俳句番組が聞こえてきて、それが耳に心地よい。すぐに俳句のある生活に引き戻され、もう俳句から逃げることはやめようと、ある意味観念した。そして人の句なんてほとんど興味が無く、読むことも無かった僕が、読むようになっていた。そして今も僕にとってのバイブルに出会った。自分の表現したい事の、あらゆるものがそこにお手本のように載っている。心が震えた。
 そのころから金曜日に読まれる確率がぐんと上がり始め、調子にのってカルチャー通い。しかし、錚々たるメンバーが集う句座で、ついて行くことができない。恥ずかしさでいっぱいになりながらも、何とかしがみついて行くしかなかった。そのころの僕は、ラジオへの投句と違い、カルチャーでは、どこかおどおどしながら、ちぢこまった句を置きに行って、特選はおろか並選さえほとんど入らなかった。やがて転機が訪れた。見かねたのか、かの桜井教人氏が、中年ジャンプ句会に誘ってくれた。酒を酌み交わしながらの句座だから、リラックスしている。カルチャーとは違う雰囲気の中で伸び伸びやれている。さらに飛躍的な出来事が……。俳句マガジンの100年の旗手がめぐってきた。おじけづいて断りかけたところに、先輩句友の大隈みちる氏から、夏井先生の個人指導なんて普通はまず有りえない。こんなチャンス逃しちゃだめだと背中を押され引き受けた。氏には毎回、励ましの寸評をいただき何とかやり終えた。
 そして自信を手に入れた。それはもうどこの句座においても、良く思われたい、上手と思われたいとか、そんなことどうだって良い。誰かの顔色を窺いながら濁ったような句を置きに行くことだけは絶対しない。何が恥ずかしいものか。無点君で上等だ! それが今後のバネになる。本気でそう思えるようになっていた。人に比べてやたら多い不定型句も、有季定型で収まればそれで良し、只、それを気にするあまり、使いたくもない助詞や助動詞で字面を合わせたり、表現したいことを言い切れず、字余りを恐れるなんてそれは、日暮屋の俳句じゃない。今後一切、やりたいようにやるという決意表明だ。



日暮屋 1959年2月生まれの野村町出身。吟行の旅好きで、ギター、自転車、写真、蕎麦等とにかく多趣味。毎日浴びるほどの酒を飲む。


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Mountain Cabin Dispatch


ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
山梨で暮らす世界的チェリスト ナサニエル ローゼンのHAIKUとエッセイ


No.14


our first rose opens
hesitating, deep thinking
windy rain has stopped

ためらひて憂ひて薔薇の今ひらく


(直訳)
我らの薔薇 咲き初める
ためらい 熟考し
風雨が 今止んだ



These are the dog days of summer, as shown by Vivaldi in the slow movement of the Summer Concerto from the Four Seasons. We take our naps with lazy thoughts rolling through our sluggish brains. We stay still as the rain dries on our skin.

夏の盛りだ。まるで「ヴィヴァルディの四季」の夏の楽章の、のろのろした部分みたいだ。怠け心と脳の鈍りが、ゆっくりと我らを昼寝へ誘う。雨に濡れた肌が乾くまで、おとなしくしていよう。
(訳:朗善)



ナサニエル ローゼン
Nathaniel Rosen
1948年カリフォルニア生まれ。
1977年アメリカ、ヌーンバーグコンクール優勝を機に米国内デビュー。ピッツバーグ交響楽団の首席チェリストに就任。
翌年、第6回チャイコフスキー国際コンクールでアメリカ人初のチェリストとして金メダルを受賞、以降世界的名手として広く知られるところとなる。
2013年7月より山梨へ移住。


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JAZZ俳句ターンテーブル


文/白方雅博
(俳号/蛇頭)

第42話
「小島のり子トリオ」in JAZZ BLEND


 二十歳の頃からずっと「ジャズ喫茶の店主(おやじ)」に憧れていた。だが気付くと、まっとうな勤め人歴36年。せめて人生の最終ステージは店主に納まるぞ、と決めた。その覚悟の証として小島のり子トリオ&第76回JAZZ句会を企画した。以降、平成26年7月20日(日)の当日を目標に即席ライヴハウスの設えが始まった。
 松山市内中央2丁目、築40年を超えるビルの1階16坪の床板半分を張り替え窓を二重サッシにした。玄関の扉を電話ボックス風に囲い防音機能を高めた。壁と天井をグレーのペンキでシックに仕上げ、オーディオのクオリティを担保するため電源系統にも手を入れた。
 以前、ここは山水電気の四国営業所で、自社製品だけじゃなく外国製高級機器も含め、所狭しとオーディオ機器が箱積みされていた。特に魅力的だったのは、当時サンスイはJBLと輸入総代理店契約を結んでいて、オーディオマニア垂涎のJBL社製スピーカーが多種揃っていた。僕は社員と親しくしていたので安サラリーマンには高嶺の花のお宝に、手の届きそうな話が度々舞い込んできた。その一つJBL4435が約30年ぶりにこの場所に里帰りした。店の名は「JAZZ BLEND」。

ハンサムな女子の色気や夏ライヴ まこ

 即席ライヴハウスの記念すべき1曲目はデイブ・ブルーベック・カルテットの「トルコ風ブルー・ロンド」。これをバックに、これまでJAZZ句会で詠まれた代表的ジャズ俳句を画像で披露した。キム・チャンヒ作のJAZZ HAIKU アンソロジーである。
 そして「小島のり子トリオ」の登場。ライヴ1曲目はコール・ポーター作曲の「アイ・ラヴ・ユー」。以降スタンダード・ナンバーが3曲続き1stステージの最後の曲が何とフリー・ジャズの始祖ともジャズの革命家とも称されるオーネット・コールマンの「ターンアラウンド」だった。如何にもハンサム・ウーマンたる小島らしい選曲。これを見事に切り取ったJAZZ俳句は決してビギナーズラックじゃないでしょう。

秘め事を刻むフレット秋深し 蛇頭

 ネタにされたギターの田口悌治は嫌がっていたが「田口さんならあるはず」と開き直った僕の返しに、その眼は穏やかだった?ような気がする。2ndステージ1曲目は、その田口の新作アルバム「ゼファー」の中からの1曲「ノース・ウイング・ディパーチャー」。

星涼しベースヘッドにある螺旋 正人

 ベーシストの鈴木克人は今回も堅実なバッキングと、その人柄と同様に暖かい音色のソロで観客を酔わせてくれた。準備から終宴まで裏方役に徹してくれ、仕上げにライヴの写真データを短時間で編集し映像で僕たちを楽しませてくれた正人さん。彼もまたこのライヴの根底を支えてくれたベーシストだった。彼の「螺旋」を句材にするセンスに砥部の酒「初雪盃純米吟醸生原酒」で乾杯!!
 このステージは、小島が父の思い出とともに綴る「最上川舟唄」から、初雪盃をイメージして彼女が昨年作曲してくれた「ルッキン・アップ・トゥ・ザ・スカイ」で頂点を迎えアンコールナンバー、コール・ポーターの「オール・オブ・ユー」で終演。



http://www.baribari789.com/

「JAZZ俳句ターンテーブル」は、筆者がナビゲーターを務めるFMラヂオバリバリ(今治78.9MHz)の番組「JAZZ BLEND」の第2週に特集します。放送は毎週水曜日の深夜23時〜24時。再放送は日曜日の25時〜26時。


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ラクゴキゴ


第42話
『目薬』〜 ギリギリの「バレ噺」 〜


あらすじ
 男の仕事は大工。職人なので読み書きは出来なくても、腕があれば何にも困らないという職人気質。
 その男が目を患ってしまい、仕事にならない。嫁は「あんたが仕事に行ってくれんと、ご飯が食べれんやないか。ここんとこ芋ばっかり食べてるさかい、お腹パンパンやで。」と、医者に行くようにすすめるが、だんなは医者嫌い。せめて薬屋に行ってこいと、なけなしのお金を渡して、男は薬屋へ。
 目薬を調合してもらって帰ってきたものの、「めじりにつけるべし。」と能書きに書いてある文字を間違えて読んでしまう。「め」という平仮名がちょっと崩して書いてあったものを「女」という漢字と勘違いして「おなごしりにつけるべし」と読んでしまう。
 嫁をこっちへ呼び、尻を出してみろと言うと、当たり前だが嫁はびっくりして「何考えてんねん、まだ明るいうちから。」
 男「ちがうがな、能書きにそう書いてあるからしゃあないがな。女いうたらお前しかおらんやないか。」
 嫁も早く目が治ってほしいものだから言われるとおり着物をまくり尻を見せる。
 粉の薬を尻に全部ぶっかけたものだから、嫁はこそばくてこそばくてがまん出来ず大きなおならを一発。
 粉薬が飛び散ってしまい、男の目の中にも入ってしまう。
 男「やっぱりこの薬、こうやって使うんや。」



 「バレ噺」とは「破礼噺」と書き、艶笑落語とも言います。ま、いわゆる下ネタの噺ですね。
 この「目薬」はまだ序の口で、あまり下ネタの感じは強くありませんが、中には到底ここには書けそうもない超下ネタの落語もたくさんあります。
 この噺も、やりようによってはいやらしく聴こえるようにも出来ますが、普通のお客さんの前だとさらりとギリギリの線でいやらしさ感を押さえるのが腕のみせどころ。
 春風亭小朝師なども持ちネタにされてます。
 さて、俳句の世界では「芋」というと里芋のことを指しますが、落語では里芋よりさつま芋が登場することが多いです。
 この噺もさつま芋ばかり食べて腹がふくらみ、おならをしてしまう嫁さんが出ますし、「芋俵」や「大工調べ」などにもさつま芋が出て来ます。
 昔話の「桃太郎」も落語になるとおばあさんは川で桃ではなくさつま芋を拾って家に帰り、一人で大きな芋をふかして食べてしまう。腹が張って大きなおならをブウー!!
 おじいさん、山で芝をからずに、くさかった(草かった)……
 おあとがよろしいようで。

 目薬の捨てどき悩む秋の夜


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ホンヤクサイホンヤク


翻田 訳蔵

 俳句初心者、翻田訳蔵がネット上の翻訳ソフトを使って名句を翻訳、再翻訳し、そこからインスパイアされた(パクッた)句を発表していこうという馬鹿馬鹿しくも実験的で図々しいコラムです。


今回の俳句
 飛入の力者あやしき角力かな 与謝蕪村

 力者とかいて「りきし」と読むんですね。「飛」とか「力」とか「角」とか、なんかスーパーロボットアニメを感じさせる句です。
 では、エキサイト翻訳(日→英)

It comes. An adventitious player power-person-soothes, and isn't it sumo?

 再翻訳

それは来ます。
偶発的なプレーヤーは力人和らげます。
また、それは相撲ではありませんか。

 スーパーロボットがやってくる感じですよ。「力」で「人類」を「平和」にするということでしょうか?
 続いてGoogle翻訳(日→英)

Kana Sumo Ayashiki force's flight input

 再翻訳

カナ相撲Ayashiki力の飛行入力

 カナ相撲とは? 敵か? 味方か? そして、Ayashiki力とは? 飛行入力とは? 謎だらけです。もしや、空中でロボットが変形合体するのか!?

 最後に、今回はNifty翻訳を試してみました。

Is it [chikarasha] Aya morale corner power of participation?

 再翻訳

それは参加のchikarashaアヤ士気の角のパワーですか?

 怪しき飛行物体は角を身に着けているようです!

 それでは、この3つを受けて一句。


スモウトリあやしき角のパワー持ち 翻田訳蔵


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お芝居観ませんか?


文&俳句 猫正宗

第23回 「風と共に来たる」

 (テアトル・エコー公演、作:ロン・ハッチンソン、訳・演出:酒井洋子、出演:安原義人、後藤敦、多田野曜平、吉田しおり、2014年7月16日、ひめぎんホール(県民文化会館)サブホール)

 超大作「風と共に去りぬ」を手掛ける、聖林(ハリウッド)でも名うての制作者(プロデューサー)セルズニック。思う様にならない作品に業を煮やすと、監督をクビにし、脚本も全面的に書き直すことを決意。「オズの魔法使」撮影中の監督ヴィクター・フレミングと早書きの天才脚本家ベン・ヘクトを呼び寄せる。しかしベンが自由になるのは5日のみ。しかも世界的ベストセラーの原作をほとん殆ど読んでない! かくして、千三十七ページを百三ページにするため、互いの誇り(プライド)と意地をかけた不眠不休の5日間が幕を開ける。

月光が像を映しマグノリア

 現場に出ればなんとかできると、早くこの茶番を終わらせたい監督。原作を「くだらないメロドラマ」「古き南部へのエレジー」と断じ、作家として何もかも受け入れ難い脚本家(映画にはノンクレジット)。主人公(スカーレット)に魅かれ、大衆が求める映画こそが映画と疑わない制作者(プロデューサー)。衝突を繰り返しながら、制作者(プロデューサー)の偉大な映画を作るという強烈な意志に引きずられるようにして脚本作りは続いていきます。台詞、科白、セリフの応酬。ぶつかり合う過程でその端々に浮かび上がってくる三人の人生や当時の米国(アメリカ)の状況。観劇中、特に心に残ったのは、独裁者とも暴君とも呼ばれていた制作者(プロデューサー)の孤独と栄光。彼は言います。本当の権力者は大衆一人々々だ。五十セントのチケットが自分への投票用紙。制作者(プロデューサー)なんてアイデアがあるだけのただの男だと。けれど、そんなただの男の着想(妄想?)が世界を変えてしまうような作品に結実してしまう。ということも、また言えるのではないでしょうか。
 脚本が完成し一人残る制作者(セルズニック)。彼の背後に、かの序曲(オーヴァチュア)が流れ、映画のラストシーンが浮かび上がります。それは「ただの男」が世界と等価になった瞬間だったのかもしれません。

死せる人銀幕で会う盆休み

 9月の市民劇場は劇団朋友公演『女たちのジハード』(9月19日(金))篠田節子著のベストセラーの舞台化です。ぜひ、ご一緒に。



このコーナーでは、松山市民劇場例会にて公演された芝居を紹介します。


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百年歳時記


第16回 夏井いつき

 有名俳人の一句を紹介鑑賞するページは世に数々あれど、「市井の逸品」とも呼べる一句を取り上げ鑑賞する記事はそんなに多くありません。
 百年先に残したい佳句秀句奇々怪々句を見いだし、皆さんと共に味わおうという連載は、名づけて「百年歳時記」。夏井いつきの目に触れた様々な作品を毎月ご紹介していきます。

壺のごとき村に青田の溢れけり 初蒸気
 なんといっても「壺のごとき村」という比喩の面白さですね。「壺」みたいな「村」だというのですから、切り立った山に囲まれた小さな盆地なのでしょう。このような比喩を思いつくということは、作者は、山の峠から眼下に「村」を眺めているに違いありません。「壺」の底に小さな集落があり、それを取り囲むように幾百の棚田が上へ上へとせりのぼってくる光景です。
 小さな棚田の一つ一つは、今、美しい「青田」となって、風にそよぎ風に光っています。その様子を「溢れ」という動詞で描いた点も見事。「けり」の詠嘆がどっしりと一句を支え、小さな「村」の豊かな光景が、青田の光と共に匂やかに立ち上がってきます。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』7月18日掲載分)

緑の冬かつて祖父母に赤い夏 牛後
 宮沢賢治作『雨ニモマケズ』の中に「サムサノナツハオロオロアルキ」という一節がありますが、「緑の冬」とはまさにこの冷夏を意味する季語です。拙著『絶滅寸前季語辞典』にも取り上げましたが、扱いの難しい、難易度の高い季語だといえましょう。
 かつてこの地に旱魃の夏があり冷たい夏があったという時代の困難を、「かつて祖父母に赤い夏」という言葉で表現し得ることに、軽い驚きを覚えました。この措辞から開拓民の歴史、開拓されてきた大地の姿も見えてくるような心地がします。「緑の冬」という季語に「赤い夏」をぶつけることによって生じる言葉の火花が、「祖父母」の生きた時代を鮮やかに表出させる意欲作でありました。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』8月1日放送分)

蓮眩し輪廻を外れると決めた 鞠月
 それにしても「輪廻を外れると決めた」とは、なんたる決意でしょう。自分はもう生き死にを繰り返す「輪廻」からは外れよう。生まれたり死んだりを繰り返す「生」に飽き飽きしたよ。こんなに「蓮」の眩しい朝に、「輪廻を外れると決めた」と宣言する作者の心にあるのは、それなりによく生きてきたよという充足感でしょうか、それとも清々しい諦めでしょうか。
 辞書によると、「輪廻」は【執着の深いこと】も意味するらしく、そうなると、この執着深き性を捨てよう!という決意と読むことも可能です。いずれの読みを取るにしても、上五「蓮眩し」の光景は、鮮烈な印象をもって読み手の脳裏にゆらりゆらりと光を弾きます。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』7月25日掲載分)

幾度も炎天を落ち棒高跳 樫の木
 「幾度も炎天を落ち」という不思議な措辞が、下五「棒高跳」によって一気に景を手に入れたとたん、なんとまあ美しい落下だろう!と、うっとりしてしまいました。読者の脳裏には「棒」から手を離し、バーを越え、落下し始めるまでの、時間が止まったかのような瞬間がありありと想起されます。「炎天」に近づき「炎天」から落ちる。繰り返される「落下」は、「炎天」という季語が持つパワーであり、炎帝に我が身を捧げる生贄のような落下であり、落ち続ける寂しさであり、死に似た匂いも微かに感知されます。「幾度も」幾度も眩しい「炎天」の中を「落ち」てゆく跳躍は、自分の「影」という一点に向かって落ちていく美しい恍惚でもあるのです。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』8月1日掲載分)

破られる平和はじまりはカンナ マイマイ
 「カンナ」は好き嫌いの分かれる花のようです。美しい花だという人がいれば、不穏な気持ちになるという人もいて、各々の印象には隔たりがありますが、好きにしても嫌いにしても、見た者の心に強い印象を残す花であることは間違いのない事実です。
 昨今のきな臭い状況を心配する人も多いかと思いますが、「破られる平和」の最初の火種は「カンナ」であるよ、という詩的直感が一句の発想の核。カンナのような小さなひとつの火種が、世界の平和をあっという間にひっくり返すのではないかという、不安が渦巻きます。国家を思う心は美しくもあるが、同時に不穏でもあるという作者の危惧が、季語「カンナ」に象徴された作品です。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』7月25日放送分)


*百年歳時記は、南海放送ラジオ『夏井いつきの一句一遊』や
 松山市公式サイト『俳句ポスト365』(http://haikutown.jp/post/
 などに投句された俳句を紹介します。


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会話形式でわかる
近代俳句史超入門


その2
文・構成 青木亮人

 大学で俳句を研究する青木先生と、その教え子で俳句甲子園の出場経験もある大学生の俳子さんが雑談を交えながらの近代俳句史超入門。

正岡子規はいかにして俳人となったか・その2

 前回、道後温泉本館前で偶然出会った二人は、そのまま正岡子規について立ち話をしています。

明治日本の志士、子規
青木先生(以下青) ……と、そういうわけで子規さんは結核、大学中退、小説家断念、従軍記者失敗、俳壇の無視、愛弟子の虚子に断られる、カリエスで足腰が立たず余命数年、漱石から借りたお金を返さない(この辺り蛇足)等々、八方塞がりの中で「俳人子規」が否応なく誕生したといえます。
俳子(以下俳) スター街道まっしぐらじゃなかったのねえ。(しみじみ)
青 そうです。「小生はいよいよやけなり。文学と討死の覚悟に御座候」。「われ程の大望を抱きて地下に逝く者はあらじ」。
俳 えっ。先生も逝ってしまうんですか。南無阿弥陀。
青 違いますよ、子規の書簡の一節です。あの過激な俳句論の裏には、彼のこのような悲壮感があったのかもしれません。もはや余命数年の彼には失うものなど何もなかったし、とにかく必死でした。だからこそ人気宗匠や俳壇全体を否定して、「明治の新時代にお前達は何をやっているんだ、俺たちこそ『俳句』だ!」と激しい論を展開できたように感じますね。
俳 ふと思ったんですけど、子規さんの時代に文学にそこまで賭けちゃった人って、いたんでしょうか?
青 いなかったんじゃないかな。同時代でいえば美術の岡倉天心だったり、他でいえば幕末の高杉晋作あたりが近いかもしれない。
俳 ……何だか日本刀が似合いそうな、怖い感じね。
青 実際、子規は日清戦争従軍の時に旧藩主拝領の刀を握り記念撮影をしましたし、そして子規が就職した日本新聞社は硬派の愛国者軍団ですから、幕末の志士に近い気分だったと思いますよ。だからこそ、西欧に植民地にされるかもしれないこの緊迫した時代に、お前たち宗匠は江戸後期以来の俳諧をのんきにひねって一体何をやっているんだ!となるわけです。子規は何としてでも「俳諧」を西欧文化に負けないように「文学(literature)」として再生させねば、とヒリヒリするような焦りと使命感を抱いていたと思いますよ。
俳 もしかして、『俳諧大要』((解説1))冒頭の「俳句は文学の一部なり」はそういうことなんでしょうか?
青 そうです。では、ここでクイズ。子規が俳句を「文学」に変革しようとした時、どういう発想を中心に据えたでしょうか?
俳 私を誰と思っているのかしら? 「写生」よ。
青 お見事、賞品は石手寺フリーパス券です!(拍手)
俳 やったあ、って、石手寺はいつもフリーパスやないですか!
青 そう、そのノリを保ちながらいきましょう。子規が俳句や短歌、文章等で革命を起こした時、最も軸となったのが「写生」でした。
俳 一体どんなノリですか。「写生」は、「ありのままを詠む、書く」という発想ですよね。


「写生」とは?
青 その通り。ただ、子規はなぜ「ありのまま」を重視したのか、そこを考えなければいけません。
俳 自分で見ることが大事だ、ということですよね?
青 そうです。というのも、私たちは意外に「現実」を見ずに、すでに出来上がったイメージや先入観で世界を切り取っていることが多い。「松山といえば○○」「○○さんといえば○○」という風に自分の知っている知識や思いこみを当てはめて「現実」を見がちです。俳子さんはローマ帝国のカエサルをご存じでしょうか?
俳 もちろん。ローマも梅雨になると多いとか。
青 いや、蛙じゃなくて「カエサル」。彼はこんな一言を遺しています。「人は自分の見たいものしか見ない」。
俳 蛙のクセに……深いわ。
青 だからカエサル。これは俳句も同じで、多くの人は自分がこれまで学んだ俳句群から「俳句らしさ」を抽出し、それを「現実」に当てはめつつ、いかにも俳句らしい「現実」だけを見ようとしがちです。そのイメージに沿っていれば「良い俳句」、そこからはみ出ると「悪い俳句」となる。あるいは、「いかにも俳句らしい」先入観をひっくり返すのが俳句なんだ、と新奇な表現や内容ばかり追い求めるのも、すでに一種のイメージに捕らわれている。
俳 「イメージ」から逃れるのは不可能……?
青 だから子規は「現実」を見ることに意識的であれ、と述べるわけです。固定観念や先入観で「○○は○○だろう」と思いこむのでなく、そこからこぼれ落ちた「現実」に敏感であること、つまり自分の肌で感じ、見つめ、聞きとろうとした「現実」には、思いこみやイメージだけでは捉えられない何かが必ずある、それを捕まえるんだ、ということ。
俳 「百聞は一見にしかず」ということ?
青 そう。通り一遍のイメージに沿った俳句など面白くもない、むしろそのイメージを揺るがすようなヘンなずれや不可解なもの、理不尽に近い「現実」の多様さや強烈さに目をこらすのだ、その「リアル」な感触を手にした時、頭の中の常識や先入観は崩れ落ち、新鮮な「現実」が姿を現すはずだ……というのが「写生」だったはずです。
俳 ふむふむ。(メモ)
青 こう言えるかもしれません。「写生」とは「現実のありのままを見る認識」というより、「現実のありのままを見つめることで頭の中の先入観やイメージを崩壊させる認識」なのだ、と。(遠くを見つめる)
俳 ……キマッたという表情で目を細めておられますが、ここ、道後の本館前ですよ。
青 たまにはシリアスもいいかなと思いまして。話を戻すと、子規は句作でも「写生」を実践しました。「春風にこぼれて赤し歯磨粉」((解説2))、当時は俳句らしくないと思われた俗な素材の「歯磨粉」を詠んだり、または「畦道の尽きて溝あり蓼の花」((解説3))という風に、人によっては平凡で地味な、無風流な景色としても、自分には生き生きとした「現実」だったことを告げる句を発表し始めます。
俳 さすが子規さん、有言実行! 実践の人よねえ。


子規の凄さ
青 重要なのは、子規の句が傑作かどうかというより、ABを「俳句」として発表したことに周りの人々が驚いたわけです。「『歯磨粉』が俳句になるのか!」とか、「こんな平凡な風景を俳句で詠んでもいいんだ!」という風に。梅や桜などの風流な景色や、今までの「俳句らしい」表現や趣向に沿って詠む必要はない、畦道の尽きた先の溝に咲く蓼の花などという、人が気にも留めない地味な風景を堂々と「俳句」として発表した子規に、周囲の俳人は衝撃を受けたんですよね。
俳 子規さん、格好いい……。
青 何より彼が凄かったのは、新聞「日本」等で選句をした際、江戸後期以来の「俳句らしさ」を全く気に留めない価値観で句を選んだという揺るぎない批評眼でした。従来の宗匠が注目しなかったタイプの句や、「そういう詠み方はダメ」と添削されかねない作品を、子規は「これぞ俳句!」と謳ったわけです。それは単なる「アンチ宗匠」という目線でただ変わった句を選んだのでなく、どこかに「現実」のずれや奇妙さのある句、またはいわく説明しがたい何かが垣間見える作品をあまたの句群からズバリ抜き出し、「今後の時代を担う俳句はこれだ!」と宣言した鮮やかさは、誰もがあ然とする凄さでした。
俳 あ、分かった! その時に見出されたのが虚子や碧梧桐だったんですね。
青 その通り。「赤い椿白い椿と落ちにけり 碧梧桐」((解説4))「住まばやと思ふ廃寺に月を見つ 虚子」((解説4))等の句は、おそらく子規以外は「優れた俳句」とは思わなかった、そういう作品でした。この点、子規は当時最強の「批評家」だったといえます。(続く)


青木亮人(あおき まこと) 1974年、北海道生まれ。現在、愛媛大学准教授。著書に『その眼、俳人につき』(邑書林)など。



解説

正岡子規(明治元年〔1867〕〜同35年〔1902〕)
 松山藩士族出身。近代俳句の創始者で、「写生」を提唱した。早世したが、弟子格だった高浜虚子や河東碧梧桐が後に俳句界を牽引したこともあり、近代俳句の祖と位置付けられた。

解説1
俳句入門書の体裁をとった俳論で、冒頭は「俳句は文学の一部なり、文学は美術の一部なり、(略)絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説もみな同一の標準をもって評論し得べし」と始まる。子規が「俳人」として自覚的に発表した文学論にして俳句論。
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解説その2
明治29年作。「歯磨粉」が「俳句」として成立すること自体に当時の虚子や碧梧桐は驚いたという。
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解説その3
明治28年作。何気ない、地味な風景を詠んだ句だが、心情の陰翳がにじみ出ている。子規はこのタイプの句に佳作が多い。
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解説その4
4、5ともに子規が「明治二十九年の俳諧」(明治30年)で「明治の新調」と絶賛した句。
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もうひとつの俳句のまちづくり


岐阜県大垣市役所俳句文化推進グループリーダー 高木 美保
第2回

 第2回目に「奥の細道むすびの地記念館」小学生見学事業についてご紹介します。
 「先生、また、この記念館に来てもいい?」「先生は、今度いつ記念館にいるの?」
 これは、大垣市にある「奥の細道むすびの地記念館」に訪れた市内の6年生の子どもたちが、帰り際に私に言ってくれた言葉です。芭蕉についてもっと知りたい、俳句作り楽しかったなという思いが目の輝きに表れているようでした。
 大垣市の「奥の細道むすびの地記念館」は、川湊の面影を残す大垣市船町に平成24年4月にオープンしました。
 「奥の細道むすびの地記念館」は、『奥の細道』のおもしろさを関連資料や映像を交えながら読み進め、芭蕉の人物像や旅に生きた人生について紹介した「芭蕉館」、「文教のまち・大垣」の礎を築いた大垣藩主戸田公の文教政策や江戸時代後期から幕末にかけて活躍した5人の先賢の偉業を紹介した「先賢館」、全国の芭蕉関連情報や西美濃の観光情報などが集められた「観光・交流館」を中心に運営されています。
 大垣市では、この記念館を子どもたちにも身近に感じてもらうために市内すべての小学校(22校)の6年生の見学事業を行っています。
 「芭蕉館」見学では、AVシアターを見た後、子ども図録ノートを使いながら館内を説明しています。芭蕉がたどった一日の道のりについて計算したり、小さな芭蕉さんになってもらえるように小道具を付けてもらったりして楽しく見学できるようにしています。展示している原文の解釈は6年生にとっては難しいものばかりですが、彼らが成長していく過程の中で、何度もこの記念館に訪れて展示に触れてもらうことを意識しながら説明をしています。
 「先賢館」の見学は、プリントを使って大垣の歴史を簡単に説明し、展示品には、どんどん触ってもらい当時の人々の研究の成果や作品を見学しています。
 「俳句作り」では、「取り合わせ」を使った5分でつくる俳句作りに挑戦しています。ここでは、俳句作りの一つの方法を提案し、少しでも楽しいと思ってもらえるように心がけています。俳句作りというと敬遠してしまう子が多いのが現実ですが、「俳句の種」を見つけて12音のお話を作り、その後に季節の言葉を付ける方法で、「できた!」「もっと作りたい!」という声を聞くことができました。また、先生方からも「子どもがとても集中していた」という言葉を聞き、俳句の力を改めて知ることとなりました。
 この記念館見学事業を通して、未来の大垣市を担う子どもたちが芭蕉や俳句に触れるきっかけとなり、いつか大人になった時に俳句のことを思い出してまたやってみようかなと思ってもらえるように今後も活動していきたいと思います。


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まつやま俳句でまちづくりの会通信


第42回 文 暇人

台風11号におわれて〜mhmからのお知らせ

 2014年8月9日10時からmhmでは松山城歳時記化計画〜猛暑〜と題して暑い中での吟行会を予定していた。この日の1週間前頃より四国地方の天候は台風12号の影響でかなり荒れ模様だった。そんな天候不順のなか、今度は遅れて日本に近づいた台風11号がどうも松山に上陸しそうな予想進路の報道。台風がそれる事を期待しつつ前日金曜日を迎えた。
 8月8日金曜日、一日休暇だった私は天気予報を眺めていた。会員からは「台風11号が近づいていますが明日の吟行会はどうなりますか」という問い合わせ。松山まつりも翌日の開催は中止の報道も。夕方あねご代表、キム・チャンヒ氏と協議をした結果、開催を中止する事となった。ブログ、facebook、朧庵、そして口コミと対応した。
 結果的には松山でも一部木が倒れる等の被害も見かけたが、やはり万が一のことを考えて今回はこの対応で良かったのではないかと思う。
 さてmhmでは9月にも一昨年から開催している「白石の鼻吟行会」を、今年も開催する。これは「松山・白石の鼻巨石群調査委員会主催」の「2014白石の鼻フェスティバル」に参加し、滅多に見られない神秘的な景色を堪能できるかもしれない吟行会となっている。現地およびFacebookにて吟行句を募り、応募者の中から優秀句をスライドショーで紹介する。
 日時は9月13日(土)17時10分から、場所は松山市高浜6丁目にある白石の鼻。詳しい場所はfacebookかブログにて紹介する。
 最後に俳句甲子園の参加者の皆様、観覧された皆様、そして関係者の皆様お疲れ様でした。
 そして冬にあるもう一つの俳句甲子園のご準備をそろそろ宜しくお願いしたい。そう、「まる裏俳句甲子園」だ。今回も例年通り成人の日の前日(*1月11日・日曜日)開催となる予定。その翌日には昨年同様に吟行会を開催。今回は今までとは違う吟行会になりそうな感じ。ご期待あれ。


mhmでは、ひきつづき松山市内外問わず会員および役員を募集中です。原則、毎月最終週の火曜日19時からマルコボ.コムにて会議がおこなわれます。偶数月は懇親会も開催! 興味のある方は事務局(mhm_info@e-mhm.com)またはFacebook(http://www.facebook.com/mhmhaiku)まで。


「白石の鼻」へのアクセス方法
 公共交通機関による移動が困難なため、お車での移動を推奨します。
 【所在地】
 松山市高浜6丁目 白石龍神社
※カーナビをご利用の方は目的地を「白石龍神社」に設定すると楽です。

お問い合わせは左記事務局まで
 事務局:050-3693-7105(18:30〜)
 松山 白石の鼻巨石群調査委員会
メール:shiraishinohana.labo@gmail.com



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俳句の街 まつやま
俳句ポスト365


協力 松山市

「俳句ポスト365」は松山市が運営する俳句の投稿サイトです。
毎週新しい兼題が発表されます!

http://haikutown.jp/post/


優秀句
平成26年7月度


【ソーダ水】
《地》
ソーダ水二十の勇気がわき上がる 空清
沈みたる桜桃黒しソーダ水 小野あらた
カナリヤのような人座すソーダ水 あい
老婦人ソーダ水召す一部始終 三重丸
幕間の犯人さがし曹達水 あつちやん
白亜紀の大きな骨だソーダ水 ポメロ親父
梅田地下友とはぐれてソーダ水 このはる
いつまでもメロンソーダの子でゐたし はまゆう
買い物の好きなお財布ソーダ水 ミル

《天》
ソーダ水浮かぶ島から制覇せよ 福熊猫


【川開】
《地》
川開風の臭いの変わる宵 雪花
舟すべて静止して待つ川開 じろ
男振佳き橋の名よ川開 ハラミータ
橋が人で出来てゐるやう川開 ウルトラのはとこ
船頭もきこしめしおる川開き 軌一
川開き岸辺に治水完成図 夢堂
川開水の匂へる供花のあり 内藤羊皐
濡れた眼の河童はあの子川開 雪うさぎ
幾万の耳たぶ垂れて川開 塔山音絵

《天》
水神に火の粉浴びせよ川開 中原久遠


【青田】
《地》
金星は冷まし難きよ青田風 ハラミータ
青田凪ぐ北斗が水を溢す頃 鞠月
青田より来る風城を吹き上がる じろ
米つくづく白く研ぎ青田そよいでいる 日暮屋
亀がいる青田揺れおるひとところ 軌一
稗頭一つ抜けたる青田かな 天宮風牙
右に青田左に青田ある遅刻 牛後
あをによし奈良の青田の息蒼し ちびつぶぶどう
どうと風来てのち青田獣臭し 可不可

《天》
壺のごとき村に青田の溢れけり 初蒸気


【蓮】
《地》
水上に日々の暮らしや蓮の花 雨月
蓮の華夜明け息つぐうをのおと 旧重信のタイガース
姫君の悩み白蓮咲かぬ池 ぐわ
王国の悲鳴を聞いて蓮開く ゴマ四郎
蓮を見て先ゆく舟を見失ふ やにほ
蓮にほふ草冠を脱ぐ如く 今野浮儚
くおんたむくおんたむ蓮ひらく 樫の木
白蓮この手汚れていると思う 空
戦争のできる日本蓮揺れる 小木さん

《天》
蓮眩し輪廻を外れると決めた 鞠月



9月の兼題

投句期間:8月21日〜9月3日
秋燕【仲秋/動物】
「しゅうえん」とも読む。南へ帰っていく燕が、夏の終わりから秋にかけて大群を成して人里近くなどに集まる景が見られるが、やがて秋の涼しさが増すと、その姿を見かけなくなる。「燕帰る」。

投句期間:9月4日〜9月10日
落し水【仲秋/地理】
稲が実ってきた田んぼで、稲刈りの準備として、ひと月ほど前から田水を抜いて用水路などへ流す。これによってよく熟した稲穂となり、また田んぼも乾いて稲刈り作業がしやすくなる。

投句期間:9月11日〜9月17日
不知火【仲秋/地理】
陰暦8月1日頃の夜中に、九州の八代海に見られるという怪火。火の正体が分からなかったことからの呼び名といわれるが、実際には海上の温度差によって漁火などが屈折して見える現象である。

投句期間:9月18日〜9月24日
後の月【晩秋/天文】
陰暦9月13日(十三夜)の月。陰暦8月15日(十五夜)の名月とあわせて、少し欠けた月を賞美した。名月の一ヶ月後の月であることからの呼び名。名月と同様、各地に様々な風習がある。


《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


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一句一遊情報局


有谷まほろ & 一句一遊聞き書き隊
協力 南海放送


金曜日優秀句
平成26年7月度


【間八】
間八を妻が一尾や太っ腹 宇和島風花会・さつき
間八をひとふね選ぶ佳き日哉 黄金のあひる
間八や結納終えて座の緩む 鞠月
間八を二本担ぎてちゃんこ番 烏天狗
この程度の間八なら一応は褒めておく 日暮屋
間八泳ぐ深き眠りの覚めし海 てん点
間八の銀河の如き身をさばく 更紗
間八の出刃に吸いつく身の締まり のり茶づけ
間八の目玉の裏に散らす塩 マイマイ
かんぱちや呑むほどに酒すきとおり 牛後

《天》
鬼を呼べこの潮間八の潮ぞ 殻嵩はるお


【泉殿】
泉殿へ水の面の風は縹色 ひめばあちゃん
望月は欠けるが定め泉殿 逆ベッカム
月色の屋根もしとどに泉殿 伊佐
紫の彼はたれぞ行く泉殿 ほろよい
六波羅に風通り抜け泉殿 若草俳句会・カンナ
泉殿応天門に変事の火 太郎
竜笛に波立つ湖面泉殿 妙
片脚で眠りたる鳥泉殿 七草
緋鯉まで髭立派なり泉殿 日暮屋
お接待役下見にお越し泉殿 ポメロ親父
泉殿芳名録に墨青し 野風
帷子に渦の文様泉殿 亜桜みかり

《天》
竹取の翁の憂い泉殿 あおい


【ベゴニア】
ベゴニアやインターホンにご挨拶 花芙蓉
ベゴニアを増やして静かスギル日々 若草俳句会・風
古りし石柱ベゴニアの滾る赤 菜々枝
ベゴニアの聞き耳立てているかたち 唐平
ベゴニアから支所長の日課粛々 不知火
ベゴニアに水やるママの出勤前 鞠月
禁煙できぬ教師おり裏庭にベゴニア 日暮屋
ベゴニアや男娼にこそ喉仏 ねこ端石
衝突の垣根ベゴニア揺れやまず 理酔

《天》
住人は老いベゴニア増えてゆく団地 ふづき


【破】
炎昼の沈黙破るシュレッダー 宇和島風花会・はなみづき
孑の食い破る灰色の空 バラのささやき
炎天や発破点火の五秒前 雪花
貫通の発破のあとの生ビール 小市
判決を破棄す裁判長の汗 ひでやん
二審破棄され原告の頭上を蚊 ふづき
大南風廃工場の破線めき 樫の木
点線より破線涼しく鶴を折る 牛後
合歓の花土器の破片の焦げし跡 空海菩薩
アタックは砂へ破顔のサングラス 野風
繰り返す小さな破壊旱星 ちいち
旱星燃えて伴天連追放令 みいみ
国破れてラジオを叩く終戦日 青花

《天》
破られる平和はじまりはカンナ マイマイ



※ 掲載の俳句は、有志によって朧庵(http://575sns.aritani-mahoro.com/)の掲示板「落書き俳句ノート」に書き込まれたラジオの聞き書きをもとに活字化したものです。俳句ならびに俳号が実際の表記とは異なっていたり、同音異義語や類音語などで表記されてしまっている場合がありますのでご了承ください。



※ 「落書き俳句ノート」を除く、朧庵(SNS)の利用、閲覧には登録が必要です。パソコン用のメールアドレスがあれば、無料で簡単に登録できます。


夏井いつきの一句一遊
南海放送ラジオ(愛媛県 AM1116kHz)
毎週月〜金曜 午前10時放送
週替わりの季語を兼題に、要努力の月曜日から優秀句の金曜日へと、紹介される俳句のレベルが上がっていきます。最優秀句「天」を目指せ!

投句の宛先は
〒790-8510 南海放送ラジオ 「夏井いつきの一句一遊」係
Eメール ku@rnb.co.jp

こちらからも番組へ投句できます!
http://www.marukobo.com/media/


投句募集中の兼題

9月14日

季語ではない兼題です。「岩」の字が詠み込まれていれば、読み方は問いません。季語は当季を原則として自由に選んでください。

戻り鰹【三秋/動物】
鰹はサバ科の魚で、暖水域に生息する。春の海水温の上昇とともに北上するが、秋から冬にかけて海水温が低下すると南下する。脂がのって濃厚な味となる。

9月28日
杉の実【晩秋/植物】
杉は高さ50mにもなるスギ科の常緑高木。晩秋に鱗のある15〜20mm程度の丸い実を結ぶ。初めは緑色で目立たないが、後に焦げ茶色になって目立つ。

うそ寒【晩秋/時候】
なんとなくうっすらと感じられてくる寒さのこと。「うそ」は「薄」から転じた接頭語で、「薄寒」や「うすら寒」ともいう。



《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


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100年俳句計画 掲示板



NHK総合テレビ(愛媛ローカル)
 「えひめ おひるのたまご」内
 『みんなで挑戦!MOVIE俳句』
  9月9日(火)11時40分〜

あいテレビ(TBS系列、全国)
 『プレバト!!』
   隔週木曜 19時〜20時49分
  9月4日&9月18日予定
※組長がゲストの俳句ランキングづけで出演! 放送日番組欄を要チェック!

南海放送
ラジオ「夏井いつきの一句一遊」
 毎週月〜金曜日 10時〜10時10分
※ 投句募集中の兼題や投句宛先は、「一句一遊情報局」のページをご参照下さい。

FM愛媛
 バニラビーンズの俳句っちゃお〜!
 毎週日曜日深夜0時〜0時30分
※夏井いつきが俳句指南で出演
※FM大分でも毎週月曜21時〜放送中

FMラジオバリバリ俳句チャンネル
放送時間 … 月曜 17時15分〜17時30分
再放送 … 火曜 7時15分〜8時
 兼題「後の月・芋虫」9月28日〆
   「敗荷・鯔」10月12日〆
 インターネットでも配信中。詳しくは番組webサイトへ。
  HP http://www.baribari789.com/
  mail fmbari@dokidoki.ne.jp
  FAX 0898-33-0789
※必ずお名前(本名)、住所をお忘れなく!
※各兼題の「天」句にはキム チャンヒのイラストポストカードが贈られます。


執筆
松山市の俳句サイト「俳句ポスト365」
http://haikutown.jp/post/
 毎週水曜締切/翌週金曜結果発表

テレビ大阪俳句クラブ選句
http://www.tv-osaka.co.jp/haiku_club/

ジュニア愛媛新聞スマイル!ピント
 「集まれ俳句キッズ」
※ 毎週日曜発刊タブロイド判8ページ


句会ライブ、講演など

愛媛新聞主催「俳句の月」審査会
 9月5日(日)

宇田喜代子・黒田杏子の道後俳句塾
 9月14日(土)・15日(日)
  松山市立子規記念博物館
※俳句指導・吟行会・懇親会と盛りだくさんの二日間!
 お問合せ 089ー931ー5566

済美平成4年生句会ライブ
 9月19日(日)14時30分〜

宮崎県NAギャラリートークショー&句会ライブ
 9月21日(日)

須崎南小中学校防災句会ライブ
 9月28日(日)



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魚のアブク


読者から寄せられたお便りをご紹介
お便りお待ちしています!
100年俳句計画編集室「魚のアブク」宛、もしくは互選や雑詠欄への投句に添えてお寄せください。

編=編集スタッフ

百年の旗手を終えて
うに子 自然界に疎いし日記俳句しか詠めないのでお話をいただいた時は「百年早いわ」と気がひけたのですが、この三カ月は心と脳がフル回転していました。機会を与えていただいたこと感謝いたします。組長さまはじめ関わってくださった皆様ほんとうにありがとうございました。
編 連載お疲れ様でした! 次号より連載を担当する三名の方への応援もお待ちしています!

へたうま道
坊太郎 先日「夏野ゆく……」の句をはじめてへたうま仙人へ投句しましたが、あろうことかいきなりの追放にビックリしています。句作に四苦八苦が正直なところです。マイペースで続けられたらナーと思っています。
編 へたうまの都はマイペースの都であります。

どちらに行くか。それが問題。
元旦 俳句甲子園に行くか、俳句王国に行くか悩みました。両方行くのがベストなのですが、結局宿が取れず甲子園は断念。一日だけでも観戦すれば良いのでしょうが、やはり予選、敗者復活、決勝と観たいものです。という訳で、今回もゴメンなさい。王国のほうには、何とか行くつもりですのでお許しを。プレバトファンの配偶者を連れて行きたいです。あ、いやもちろん俳句王国も(汗) そして、甲子園の熱戦繰り広げられている頃は、芭蕉の足跡を訪ねる旅に出たいと思っています。来年こそは夏の甲子園を目指します……。
編 宿、やはり満室でしたか……。俳句甲子園はテレビ放送で楽しんで、俳句王国を目一杯楽しむ!ということでひとつ。

台風禍
柊つばき 台風は直接の被害はありませんでしたがたつまきの被害がご近所でありました。わが家は高い木が2〜3本折れました。
編 お怪我は大丈夫でした? 木だけで済んだのは不幸中の幸い(?)。

企画提案! 「天の句いろはカルタ」
北伊作 今皆さんの天の句でいろはカルタを作っています。「ん」「ぬ」「る」「を」「ゐ」「ゑ」が出来ません。皆さんで考えて頂けないでしょうか。年末にキムさんの絵でカルタを作りませんか。
編 なるほど、面白いですね。ここで募集しちゃいましょうか。(しかしそうすると“天の句”いろはカルタにならないような気も……。)
 しかし難題に挑むのは俳人根性が騒ぎます。ってことで、急遽このコーナーで募集。
 第1回のお題は「ん」で始まる句。応募はメールまたはハガキにて。メールはmagazine@marukobo.comまで。通常の投句と共に「天の句いろはカルタ」と添え書きをしてお送り下さい。投稿フォームからの投稿はお便り欄にでもお書き下さい。(しかしホントに応募来るのかなあ。)

久々の「実録エノコロちゃん」
エノコロちゃん スタッフみなさあ〜ん。いつもたのしいでぇ〜す。ありがとうございます。「残暑おみまい申し上げます。」そして、降り通しの「大雨お見舞い申し上げます。」そちらは、大丈夫でしょうか? こちら高知県桧谷は、8月に入ってから、ずぃ〜っと大雨の降り通しです。一日じゅう晴れたのは8月13日(水)のたった一日だけです。(8月17日(日)現在)台風12号を追っかけてやってきた11号で都合2000ミリほどの記録的な大雨となっています。まだしばらく、大雨の心配が……。幸いにもこちらは地盤が堅く「孤立」しなくて済んでいます。これからも残暑と大雨にはどうぞくれぐれもお気をつけ下さいね。そして、8月号では私の「エノコロちゃんハガキ」のファン(ひそかに)であります。」とのコメント、恐縮しつつも、とってもうれしく光栄です。これからも末ながぁ〜〜くヨロシクです。では。
編 いつもアブクへのお葉書ありがとうございます! おー。花火の絵柄と相まって文字が雨か柳か火花のようだ。金色で色つけて下さってるあたり、カラーで見せたいですねえ。



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鮎の友釣り

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俳号 喜多輝女

七草さんへ 釣ってくれてありがとうございます。またお会いしたいですねえ。

俳号 父が俳句をしていて女のお友達の俳号にはみんな「女」がついていたので子供の頃から女をつけるものだと思い込んでいて自分でつけた俳号が輝く女で輝女。最近俳号に名字をつけて喜多輝女としました。父が亡くなってから俳句をはじめようかと思い立ち愛媛新聞カルチャー教室で組長に出会い良き俳縁にも恵まれて俳句のある生活を楽しんでおります。

写真 松山城で土産物屋をしています。「俳句ポスト365」でおなじみのよしあきくんのソフトクリームを新発売! 松山城においでの節は是非お立ち寄り下さいませ。

次回…てんきゅうさんへ いつき組の中で真似のできない魅力的な個性の持主、てんきゅうさん、これからもよろしく。


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告知


夏井いつきとあなたも一句!
俳句新聞いつき組
復刻創刊
2015年1月発刊!

A4サイズ8ページフルカラー仕様
参加登録料(※初回のみ)1,000円(税込)
年間購読料 3,500円(税込)/年4回発行
*年1回、夏井いつきの句集シングル付録あり。

2015年1月の発刊に先駆けて
俳句新聞いつき組0号を無料でお届けします!

無料の創刊準備号でひと足先に『俳句新聞いつき組』に参加しよう!!

俳句新聞いつき組0号(創刊準備号)
A4サイズ1枚両面フルカラー仕様

0号はこんな内容
1 番組プロデューサーが語る「プレバト!!」の裏も面白い!
2 夏井いつきの俳句とエッセイ「放歌高吟」
3 1号に向けて読者から「雪」の俳句を募集 「雪の座」投句募集
……などなど、お楽しみ満載!

「0号」お申し込み方法

0号申し込みの旨、本名(ふりがな)、俳号(無ければ不要)、郵便番号、住所、電話番号を明記して、下記のいずれかの方法で申し込んでください。また、『俳句新聞いつき組』へのメッセージ等ございましたら、ぜひ書き添えてください。(メッセージは紙面上で紹介させていただく場合があります。ご了承ください。)

 ハガキで申し込む
  790-0022 愛媛県松山市永代町16-1
  有限会社マルコボ.コム
  「『俳句新聞いつき組』0号申込」係

 FAXで申し込む
 FAX番号:089−906−0695

 メールで申し込む
 kumi@marukobo.com
 (件名を「いつき組0号申込」としてください。)

※『俳句新聞いつき組』1号以降をご購読いただくには別途のお申し込みが必要です。お申し込み方法についての詳細は0号ならびに今後の俳句マガジン『100年俳句計画』誌上でご案内いたします。



HAIKU LIFE 100年俳句計画
第4回
大人のための句集を作ろうコンテスト
作品募集

主催 マルコボ.コム 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

 第四回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」(通称「大人コン」)の作品募集がスタートしました。
 「大人コン」は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』が開催する俳句コンテストです。
 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

「受賞作品が句集になるってホントですか」
 最優秀賞作品は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』の付録冊子として読者諸氏に広く読んで頂きます。付録とはいえ、お洒落なデザインの句集だと評判です。
 受賞者には一切の金銭的負担をかけず、読者にとっても安価な句集をどんどん生み出していきたいという志を一つの形にしたのが、この企画なのです。

「俳句マガジンを購読してないんですが、コンテストへの応募はできますか」
 どなたでも応募できます。購読の有無は一切関係ありません。勿論、応募は無料です。

「審査は誰がするのですか」
 本コンテストの受賞者は、「大人コン」選考会員の投票によって決まります。「大人コン」選考会員は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』購読者の内、各総合誌等の俳句賞受賞者あるいは最終選考に残った実績のある人たち等によって構成されます。第二回の有資格者は三十二名。年々選考会員数は増えていくことになります。
 多くの目利きの力を借りて「百年先の未来に残したい作品と作家」を見い出し顕彰していくことが「大人コン」の目的。我こそは!という皆さんのご応募を、心からお待ちしております。

既作新作を問わず81句の作品集を募集。
最優秀賞作品は句集にし、本誌付録として配布します。

募集要項

応募資格
15才以上(高校生以上)の方なら、本誌購読の有無に関係なく、どなたでも応募できます。

応募方法
1:Eメールでの応募の場合
応募用のエクセルファイルに必要事項を全て入力し、Eメールの添付ファイルにして、応募して下さい。
応募用ファイルのダウンロード先
http://81ku.marukobo.com/

2:郵送の場合
B4判四百字詰め原稿用紙に81句とその表題、俳号、本名、年齢、住所、電話番号を必ず明記して応募して下さい。

締め切り 2014年12月10日(水)必着

賞 賞状および応募作品による句集20冊
*賞品句集は縦横135ミリメートル 36ページとなります。句集は本誌付録として配布します。

発表 本誌2015年4月号誌上(予定)

送り先
〒790-0022 愛媛県松山市永代町16ー1
有限会社マルコボ.コム
月刊俳句マガジン『100年俳句計画』編集室Eメール:81ku@marukobo.com



ボリュームが倍になりました
句集Style-W 登場

*オリジナルデザイン仕様の3点
句集『COSMOS』
キム チャンヒ

句群 op. 1 半過去と直説法現在として、あること
加根兼光

俳優勝村政信×俳人夏井いつき
付句のある往復Eメール書簡集

2014年 9月10日 申し込み締切
(原稿締切9/16、10月末納品)

句集制作費:25冊セット 50,000円(税別)〜 *完全デジタル入稿の場合
仕様:135mm×135mm、72ページ、オンデマンド印刷、カバー付

オプション料金 *全て税別
 オリジナルデザイン料:50,000円〜
 増刷費:24,000円(25冊ごと)


句集Style
仕様:135mm×135mm、36ページ、オンデマンド印刷、表紙PP加工
2014年 第3期 9月10日 申し込み締切
(原稿締切9/16、10月末納品)

詳しくは http://marukobo.com/style/



俳句対局
第三回「龍淵王決定戦」

日時:11月1日(土)
場所:子規記念博物館 四階和室

出場・観覧共に受付中
申込はinfo@marukobo.comまで



100年俳句計画 マラソン部からのお知らせ
マツヤマお城下リレーマラソン2014

10月4日(土)9時受付開始 11時スタート
場所:城山公園

毎年の愛媛マラソンで力走を披露する100年俳句計画 マラソン部。
ランナーだけでなく応援の方の参加もお待ちしています。
当日は大会終了後、打ち上げを予定しています。
観戦・打ち上げ共に、参加をご希望の方は以下の連絡先まで。
changhee@marukobo.com
070-5513-0575(WILLCOM)

100年俳句計画マラソン部練習会&親睦会開催
 日時:2014年9月13日(土)午後2時〜
 場所:愛媛県美術館 南館 入口前
 *参加される方は、changhee@marukobo.comまでご連絡下さい。
 *練習終了後、16:00〜ミュンヘンにて懇親会を行います。



サイクルトレインしまなみ号吟行イベント開催!

 お気に入りの自転車をそのまま列車に載せられるサイクルトレイン。
 しまなみサイクリングに村上海賊の拠点 能島上陸&潮流体験クルーズ体験。そして、句会ライブ!
 村上海賊に思いを馳せ、俳句を考えてみませんか。

日時 9月14日(日)
 7時10分 松山駅集合
      サイクルトレイン
 9時04分 波止浜駅着
 9時15分 サイクリング(19km)
 11時15分 能島水軍着
      昼食
 村上水軍記念博物館 見学
 13時00分 能島上陸&潮流クルーズ
  ※クルーズ終了後、投句
 14時00分 サイクリング(16km)
 15時45分 サンライズ糸山
 16時00分 句会ライブ
 16時45分 句会ライブ終了
 17時56分 波止浜駅発
      サイクルトレイン
 18時50分 松山駅着

講師 キム・チャンヒほか

参加費
※それぞれの施設等にお支払いいただきます。
・サイクルトレイン
 片道 900円
 往復 1,800円
・村上水軍記念博物館 300円
・能島上陸&潮流クルーズ
 2,000円
・昼食は自己負担です。

募集人員 20名

募集締切 9月12日(金)まで

申込・問い合わせ
 愛媛県観光物産課
 電話 089(912)2492



100年俳句計画投稿締切カレンダー

9/20(土)
 100年投句計画
http://marukobo.com/toukou/
 魚のアブク
 100年の旗手推薦募集

 応募先
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編集後記


 1980年代、僕が十代の頃は、音楽やマンガや映画などの情報は雑誌や新聞から得ていた。それらの情報は、地方都市の松山には、数日から一週間以上遅れて届くのが当たり前。そしてその記事の中身は、東京などの大都市でのことばかり。地方に住んでいると、文化そのものがないように錯覚してしまう状況だった。経済的な面ばかりではなく、文化に憧れて地方から都会に出て行く若者が沢山いたし、今でもそうなのだろう。
 しかし、インターネットの時代は、情報の格差はどこに住んでいようとほぼ無くなった。例えばストーンズのライブを観に行くには、都会に出て行かなければならないけれど、そんな日は滅多にない。
 文化は人が作るので、沢山人が住んでいる場所で生まれやすい。しかし、沢山人がいるということが、文化ではない。文化を創る志を持ち、新しい試みをし続けることが重要であり、そうすれば、何処にだって魅力的な文化は生まれ育つのだと僕は思う。
 俳句甲子園がその一番の例であり、今月号の特集や大垣市の取り組みなど、次々と俳句にとって面白い文化が、地方から生まれている。ようやくそんな時代になったのだとも思う。
(キム)


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次号予告 (203号 10月1日発行予定)


次回特集
第17回 俳句甲子園!


句集Style! 全評文 その3


HAIKU LIFE 100年俳句計画
2014年9月号(No.202)
2014年9月1日発行
価格 617円(税込)

編集人 キム チャンヒ
発行人 三瀬明子