100年俳句計画8月号(no.201)


100年俳句計画8月号(no.201)

注意
これは視覚障がい者の100年俳句計画年間購読者のためのテキストファイルです。
通常の著作物と同様、許可無く複製/転載することを禁止します。





目次


表紙リレーエッセー
8月の記憶 西条のユーホふき


特集
句集Styleスペシャル!
「だれもが句集を出版できるかたち」でやってみた!全評文!
その1



好評連載


作品

百年百花
 井上さち/キム チャンヒ/夏井正人/眠


100年俳句計画作品集 100年の旗手
 うに子/竜胆/岩宮鯉城


百年琢磨 平敷武蕉

新100年への軌跡
 俳句/藤田夕加/羽田大佑
 評/瑞木/山澤香奈


選者三名による雑詠俳句計画
関悦史/阪西敦子/加根兼光


へたうま仙人/大塚迷路

自由律俳句計画/きむらけんじ



読み物
Mountain Cabin Dispatch/ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
JAZZ俳句ターンテーブル/蛇頭
ラクゴキゴ/らくさぶろう
クロヌリハイク/黒田マキ
お芝居観ませんか?/猫正宗
百年歳時記/夏井いつき
近代俳句史超入門/青木亮人
もうひとつの俳句のまちづくり/岐阜県大垣市役所 高田雅章
mhm通信/游士

読者のページ
俳句ポスト365
一句一遊情報局
100年俳句計画掲示板
魚のアブク
鮎の友釣り
告知
編集後記
次号予告




8月の記憶
西条のユーホふき

 私は社会人吹奏楽団に所属しています。
 楽団で高齢者生活施設に慰問演奏にたびたび伺います。
 特に女性入所者から「軍歌は戦時中の辛い思い出が甦るから嫌い」という意見があるので演奏しません。
 私の母親はテレビで焼夷弾の音を聞くと当時四歳だったはずなのに、今治大空襲を思い出して、川に逃げ込んだ事や焼け焦げた御遺体を思い出して動悸が激しくなるそうです。
 今年は69回目の終戦記念日です。
 戦争を知らない私たちは世界中で最も平和を愛する国民になる責務があると思います。
合掌


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句集Style スペシャル!
「だれもが句集を出版できるかたち」でやってみた!全評文!
その1



 昨年「だれもが句集を出版できるかたち」として登場した「句集スタイル」。この仕組みを使って、既に20作品を越える句集が出版されました。
 句集は出版するだけで完結ではなく、どう受け取られるかということの方が重要です。
 句集スタイルにて出版され、販売されている句集の評文を、今号と次号にて紹介いたします。



夏井いつきの三点測量的遊戯――句集『蝶語』『龍尾』
関悦史

 夏井いつきの二冊の句集シングル『蝶語』と『龍尾』は、それぞれ蝶と龍をモチーフとする各三十句を収録したものだが、ここでの夏井のモチーフとの距離の取り方は独特のものだ。両書の扉には、以下の文言がつく。《ある日、蝶の言葉が分かる自分に気づいた。/俳句という「聞き耳頭巾」が聴きとった蝶たちの言葉。》《ある日、龍と語っている自分に気づいた。/俳句という「時空間移動」による龍たちとの出会い。》
 だがここから直ちに俳句によるジャンルファンタジーのようなものを想定すると、中味の意外な自在感に翻弄されることになる。しばしば作者の重い思念、観念を担いもする象徴性に富んだ蝶も、俳句ではあまり見かけない龍も、ここではいずれも内面を託すための道具としてばかり使われているわけでもなければ、安定したファンタジーのキャラクターになりおおせているわけでもなく、ときにペットか友人のような半他者として、ときに外から視る以外接するすべのない物件として、虚実の境をおおむね虚の側で浮遊しながらも、その浮遊ぶりは夏井いつき本人の世界感覚を内在させていて、それ外に発するとなりつつ、ふてぶてしく言葉の中に棲み入っているのである。

複眼のひとつは暗し蝶の黙
『蝶語』
 この句などはそうした輻輳性をよくあらわしていて、その「黙」を「暗し」などとやすやすと理解されてしまうかと思えば、それも「複眼のひとつ」に過ぎず、複眼というヒトからすれば奇怪な造形と、共有も想像もしがたい過剰さを孕んだ体内感覚でもって物件性と他者性をちらつかせるという具合である。《蝶臭き指もて絞むる人の首》となると少々蝶に深入りしすぎたか、この作中主体はもはや人の側には立っていない。単なる憎悪による絞首ではなく、「蝶臭き指」とその身に侵食を帯びているのである。

かつて龍でありし山ざくらと聞きぬ
『龍尾』
 一方、龍もアニメのキャラクターじみた扱いの句に中に、ときどきこのようにその姿をくらませて本地となり、山ざくらとして垂迹して見せて、作中主体を生生流転の現場に立ち会わせるような堂々たる潜在性としてあらわれたりもしている。この二著は俳句の形をとったファンタジックな自―他―物の三点測量的遊戯の記録といえよう。



マイマイ句集『翼竜系統樹』を聴く
朗善

 この句集は二つのPARTから成る。 PART1の『守宮』は、亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェルのピアノ曲。パヴァーヌは、葬儀の際に踊られるスローダンス。)を連想させる、亡き母のための連作。追悼句集は亡くなった人になったつもりで読むのがいい。癌と気丈に闘って早逝した五、六十代の女性。花の好きだった母親。庭で過ごす時間の長かった人。

そう、もう鉄線の花がねえ
母笑う腹水レモン色のこと
明け初むる窓に守宮の美しき
百合よ百合よ棺よ百合よ百合よ母よ
十薬や母を愛してやまぬ庭

 作者は全く自己憐憫のかけらもなく、ひたむきに母のいる風景、そして母のいない風景を写生する。そのとき十七音は最上の力を発揮する。われら読者の役割は、これら追悼句の織りなす音楽を、魂で聞いてゆるやかに踊ること。
 PART2の『翼竜系統樹』には、PARTTの「母の死」を挟む前後の世界が切なくも淡々と続いていく、家族にとっては不条理ともいえる日常の一コマ一コマが、とても明るく描かれている。

入梅の重さを移す車椅子
扇風機名残翼竜系統樹
煤払う母の号令無き家に
雪止んだか耳鳴りは音叉のように
末黒野へひときわ黒き我が影を

 「扇風機名残」は、秋になっても残っている扇風機のこと。「翼竜系統樹」は、翼竜(恐竜とは別の、空飛ぶ爬虫類)の進化的関係を樹木状に表した図。どちらも過去を向いている。同じ翼を持つ、遺物の象徴としての扇風機や翼竜への愛惜句であることは間違いない。だから『守宮』と『翼竜系統樹』は、タイトルが爬虫類つながりというだけでなく、愛惜のキーワードによってしっくりと一つの句集の中に納まっているのだと思う。



句集『苺ミルク』/魔湧
大塚めろ

 感受性だけでは表現は出来ない。言葉という厄介なものを媒体にしてそれは危うく成り立つ。
 「夏休み句集を作ろう!コンテスト」の常連入賞者で、圧倒的な句集『八月六日』で2009年度最優秀賞も受賞している彼女の本句集『苺ミルク』は、2011年度優秀賞の『苺ミルク』とは別物である。コンセプトの違い、アプローチの角度とかいろいろな要素はあろうが、本句集はエンターテーメントに潔く徹している。
 彼女とは、彼女が小学生のときから句座を共にしている十年来の句友である。その間、彼女の句と真剣に対峙してきたかと問われればはなはだ心もとないが、彼女の根底にあるテーマはおぼろげながらわかっているつもりだ。
 「虚と実」 本大好きの彼女が発する句は、半分がホントで半分がウソ。読書で得た莫大な語彙という知識は、感受性という器の中でブレンドされていく。あるときは蜘蛛の糸に絡む朝露のように、あるときは暴走するパソコンの息のように紡ぎ出される句は、そして「虚と実」という彼女の中のフィルターで危うく濾過されていく。
 時に、虚と実の分水嶺を越え、実の含有量が多くなった句に戸惑うのは他ならぬ彼女であり、そういったときの句はコレかな?あれかな?と勝手に想像するのも勝手に面白い。
 この句集を恋の句集と捉えるのは簡単だが、どっこい彼女は一筋縄ではいかない俳人である。句集にある「あなた」や「君」は「あなた」や「君」ではないのである。円錐は横から見れば三角形で、下から覗けば丸なのである。
 虚と実を薄紙一枚で行き交う、まるで短編小説のキャッチコピーのような想像膨らむ彼女の句から目が離せない理由は、こんなところかな。
冬りんご続けこのまま赤信号



句集『万華鏡』/三P未悠


 小学生生活六年間というのは身体的にも知的にも目に見えて大きく発達するときです。そういった意味で本句集は著者のその六年間の成長の記録ともいえなくはないのですが、単なる記録を超えた物事の見つめ方、把握の仕方に読者は驚くはずです。

〔一年生〕
たんぽぽのバスにまにあわなかったよ
わりばしのかかしミニトマトまもる

 一句目、この「の」がわかりません。主格なのか所有格なのか軽い切れなのか何なのか。それはわかりませんがこの「の」によって「たんぽぽ」がふわりと見え、「バス」がふわりと見え、ああ「まにあわなかった」んだなあ、と不思議な手触りが残ると言う絶妙の匙加減です。二句目、ミニチュア世界の趣き。この「かかし」の守備能力は低い視座でのみ感じられるのです。

〔二年生〕
せきがえのひまわりちかくなりました

〔三年生〕
木星と水なのタネは同じ色
冬銀河しらない町の地図をかく

 いずれも感覚のみずみずしい句です。「せきがえ」では誰でもなく向日葵が近く感じられ、木星と水菜の種は同列の色として捉えられます。「冬銀河」と取合せられる「しらない町」は冴え冴えと清らかに「地図」に描かれることでしょう。

〔四年生〕
赤線をひいたノートと桜かな
うめられた井戸に木の実が一つかな
文化の日赤い茶わんに白ごはん
春の星生れて消えてまた消えた

 一句目、「赤線」のくっきりとした赤と「ノート」の白。それと並列にされる「桜」はその狭間の色です。それらがぱらぱらとはらはらと動くように感じられるのは抑制された「かな」という詠嘆のせいでしょうか。二句目の枯れた風景。三句目の諧謔。四句目、「春の星」が生まれたあとに「消えてまた消えた」という不思議。春の潤みがちな星にはそういうはかなさがあってもいい、そう思わせる強引さが魅力的です。

〔五年生〕
ポケットにフーセンガムや猫の恋
いっしゅんで春光になるボールかな
歯にくくる糸は夕立雲の色
学校のだれも知らないきのこかな
らせんかいだん裏から見るとつぼみかな

〔六年生〕
革命の終り赤い赤いポピー
緑陰の断面のぞく顕微鏡

 「フーセンガム」も「ボール」も「歯にくくる糸」も「だれも知らないきのこ」も「らせんかいだん」の裏も「革命の終り」も「緑陰の断面」も懐かしいけれど知らない世界。どの句も著者に手を引かれて、ほらほら世界はこんなに面白いよ、と言われている気がする、そんな一冊です。



句集シングル『線路とぶらんこ』/山澤香奈


 ひとりの女性が母になる、ということはなかなか容易ならざる出来事です。ひとりであった人間からめきめきと違う人間が構成され、産む/生れる/育つ。著者の句群はその出来事やその周辺をいきいきと描いています。

陣痛を逃して食べる心太

 じんじんとめぐってくる陣痛をなんとか「逃して」「食べる」。「食べる」という行為は生命の本来的な欲求ですが、こんな緊迫したときにも食欲はあるのです。このような事態に食べる「心太」はさぞさっぱりとした味わいで、さぞ清涼感ある食感でしょう。その姿が必死であるがゆえに切なく、どこか微笑ましい健気さがあります。

立秋や乳房は重し子も重し
胸に子を子宮にも子を抱き暑し
怒りとは夏の風船ばんと打つ

 いずれも熱を帯びた屈託、熱のエネルギーの行きどころを詠んでいます。「重し」「重し」と畳みかけてくる迫力。子宮にも子を「抱く」物理面心理面両方の暑さ。「ばんと打つ」風船の弾力性と怒りの開放。母と子はひととしての境界があいまいで、本来は別個である子の分のエネルギーをも母が引き受けている。その実感がひしひしと伝わってきます。

月光の廊下へ延びるプラレール
お風呂場のアヒルは春を待っている

 その一方でこの「プラレール」や「お風呂場のアヒル」はとても静かな光に包まれて無機質な穏やかさを漂わせています。夜、おそらく子が寝てしまったあとの母の時間は一日の充実と解放を体感できる時間なのかもしれません。

かあさんもりんごのあかもきにいらぬ
春の夜に伏せもう子の飲まぬ乳

 一句目、母と子はそれでもやはり別個のものです。「かあさん」も、その「かあさん」が良かれと思って差し出す「りんごのあか」も子には気に入りません。二句目、子が乳離れしてしまったあとの乳房は自分の乳房として戻って来ました。一抹の寂しさ。しかしここでは寂しさと同時にひとりの女性としての健康的で豊かな姿が艶っぽく浮かび上がります。
 母としての、女性としての、人間としての生命への慈しみが漲るこの一冊は今このときに子育てをしているひとにもそうでないひとにも共感をもって受け入れられることでしょう。



都築まとむ句集「二等辺三角形」の世界に神はいるか
朗善

 ブラックホールの研究で知られる物理学者ホーキング博士が、「神はいない。世界の誕生はすべて神の存在抜きに説明できる」と唱えて以来、頭では博士に賛同しつつも、ではいかにしてこれほど美しい自然界があり得るのか、いぜん心は納得しきれない。俳人はみな、山の神、海の神、風の神、田の神、一匹の蜘蛛や目高や蛙の卵等にもある種の神を感じて、世界の片鱗(俳句)を授かる。
 もしこの世に神がいなければ、俳句はどこから降ってわくの? そんな疑問を、またしても問いかけたくなるのがこの句集だ。

海恋し恋しと蜻蛉の翅の鳴る
鬼の子と住んで子守唄を知らぬ
むくの群れ空の一点より崩る
オルゴールの最後の一音蜷ころぶ
きーるりきーるり蛙の夜を自転車は
発光の苦しそうなる蛍来る 
優曇華やものくれし人の目の哀し
蛾の死美し二等辺三角形
海鵜の目深きは再生の色や
天牛の首もがれつつ軍手噛む

 小さな蜷が岩の上で風に吹かれ、ころんだ瞬間の微かな妙音。それをこの句は、螺子巻きオルゴールの鳴り終わる「最後の一音」に例えている。いわばオルゴールの死す音。
 蝶のようにその美しさを詠まれることの少ない蛾。その蛾が、死んで完璧な美しさを得た、という句。白い翅の形作る二等辺三角形。これぞ自然の摂理。 
 天牛は髪切虫のこと。軍手を脱ぎかけてふと見ると、カミキリが首をもがれながら、なおしぶとく軍手を噛んでいる。これもまたあっぱれ美しい死。
 作者は、生き物たちの生き様と死に様を見つめながら、神の存在しない(かもしれない)世界を精いっぱい美しくする仕事に、日々精を出している。それこそが俳人のなすべき仕事、と私は思う。



COSMOS?
いいえCHAOSです
――キム チャンヒ句集『COSMOS』を読む
わたなべじゅんこ

 『COSMOS』。コスモスだろうか、コスモスだろうか。失礼。秋桜だろうか宇宙だろうか。
 そんなことを思いながらページを開く。最初に開いたのが「冬の季語」という章だったので全体は「春の季語」「夏の季語」という仕立かしら、と目次を繰ると「T蜂の星」「U金魚」「V夏の月」……となっているから決してそういうわけではないらしい。これでは「コスモス‐理論 体系」ではなくて「カオス‐混沌 不調和」ではないかと頭を抱える。困った、これでは題名との整合性が既に目次から崩れているではないか。まあいい、とりあえず順番に読もう。第一章「蜂の星」一句目

ハロー、コスモス、ぼくはギターを弾いている

 なんだ、ここで謎が解けてしまった。軽く脱力しつつ、今度は句自体の整合性(?)に悩まされることになる。

月光にパンダを増やす試験管
黄落の先にサーカスが来たよ

 情景そのものはわかりやすくてシンプル。それほど悩まずに作品を理解出来る。だが、「俳句」として考えたら途端に難しく感じる。いや、まずその前に「俳句」として考えるその原理は一体どこから来るんだろう?……またもやここでカオスに突き落とされるような気がする……

螢が小さく固く真昼
水面には子の首ばかりであるプール
夏の月親に気遣い過ぎる子に

 螢句。螢は夕方と思っていたのに、と思う。同時に、その黒い小さな筐体を思う。あの箱の中にはほのかに誰かを慕う火が押し込められているのだ、と。水面句。たしかにそうだ。夏の楽しい風景が一変する。ぎょっとするような切り口。この現世をどこか違和をもって眺める目。だから夏の月句のように哀しみと同情と、支えてやりたいのだという優しさを描けるのかもしれない。
 句集を出すというのは作家にとっては挑戦である。時に集大成であることも、時に野心的な試みであることも。この句集シリーズはまさに後者を目指すものにとって福音となるのかもしれない。そしてそれらはおそらくはカオスの世界を提示し続け、それは「俳句」というものへの原理的な挑戦――もしくは自問自答――であり続けるような気がする。

わたなべじゅんこ
1966年生まれ、神戸市出身。船団の会会員。句集『junk_words@』(創風社出版)、『母屋のひさしー俳句史の風景』(創風社出版)など。



句集『COSMOS』
/キム チャンヒ


 俳句と一行詩はどこが違うのでしょうか。そんな堅苦しい分け隔てなど気にならないポップさが本句集にはあります。

ハロー、コスモス、僕はギターを弾いている

「ハロー、コスモス」はこの世界への軽やかな挨拶でしょう。とりあえず「ハロー」。コスモスにもあなたにも「ハロー」。ギターの音がこの世界を包みます。

首夏にとろりとセロ弾きとなる過程
ブレーキのない乗り物のように薔薇
白鳥の領域たもちつつ眠る
一斉に芽吹く木の影影の鳥

 「とろりと」流動体が少しずつ「セロ弾きになっていくかのような不思議さ。「薔薇」を狂乱的なスピードでとらえる比喩。「白鳥」のパーソナルスペースを思わせる「領域」。「木の影」からうまれたような「影の鳥」。読んでいると気分がわさわさしてきます。

一人なら排水口も冬の季語
クリスマスツリーが全部段ボール
水垢のある浮人形はバーバラ
A「残暑」B「犬の臭い」どちらか選べ
別れたい女と夕焼けを見てる

 露悪的ともいえる世界の表出。しかし、そこに嫌味はありません。唐突にカテゴライズされてしまう「排水口」、身も蓋もない「クリスマスツリー」、「浮人形」のいかにもな名前、選びようのない選択肢、恋愛から別離へ向かうさなかの一場面、そのどれもがいまこの世で解かれ得る命題であるかのようです。

夕暮れの兎を抱いた子を撫でる
冬雲を汚さぬように鳩が飛ぶ
フラフープなんて春野の輪でしょうが
ヒヤシンスさえ牢獄と気づかない
蝋梅が散りそうな崖かも家族かも
うつ伏せに椿が落ちただけのこと
末黒野の明日はとても怖い夜

 露悪はするりと裏返り、繊細な感性が詩として立ち上がります。その描写は叙情に凭れ過ぎないように保たれ、すこし乾いた印象を与えます。

月夜のワルツは誰のためなの、ガール

 「ガール」とは誰でしょう。永遠の少女のような響きをもつ「ガール」。問いかけの形式をとることで、その答えは「ガール」にまかせて私たちはワルツを踊りましょうと読者に手を差し伸べているかのようです。
 本句集は八章で構成されていて、各章がそれぞれ独立しつつ有機的なつながりをもっています。現代の口語体による俳句の楽しさが溢れる一冊です。



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百年百花


大人コン選考会員4名による4ヶ月間競詠
2014年度 第二期 第一回


「とんすうとん」井上さち

暗闇坂登り切るなり入梅す
権妻の棲む十薬の実家なり
正露丸は蛇の匂いや虎が雨
筆先はだんだん獣めくや夏
邂逅や喫水線へ半夏雨
青葦の尖った先の柔らかき
鳥の人に語りかけられたる夏野
緑陰や白き蛹に透ける翅
朱夏の草へと純白の除草剤
預言者の如く熱帯夜の鸚鵡
農薬と汗の軍手を搾りけり
夏の霜とんすうとんと運ぶ筆


「いつき組」「街」俳人
季語の宝庫日土に暮らす。




「線描の街」キム チャンヒ

歩き出す。梅雨の香りの明るさに
どんな影にも十薬の過去がある
詩は色を失う梅雨の別れなら
絵本から抜け出た象に夏の月
線描の街に猫だけ黒く夏
薔薇の散り積もる底こそ未来都市
夏の木はおしゃべりそしてデマばかり
鉄道の跡を蜥蜴らがギラリ
女の匂いに形があれば夏蝶
平凡は困難こんな金魚でも
新聞が灰色めいて、またメロン
人を浸して生ぬるく夏の海


1968年生まれ、愛媛県出身。ハイクライフマガジン『100年俳句計画』編集長。句集『COSMOS』(マルコボ.コム)。




「ナポリ」夏井正人

びやういんの壁にこするる蛇苺
石垣の穴より水迸る薄暑
夏浅き肌 音 瞑目のまぶた
シナプスの分化に冷酒がふるふ
蚊遣火の火や我どの地獄へと行くか
半夏群るケルトの神の槍の列
仙人掌にやるフルートの音の粒
よく逃げて転がるシチリアンレモン
蜜豆を吸ひ割礼の過日談
星涼しベースヘッドにある螺旋
ナポリから戻る終戦記念の日
ドーナツの粉糖初秋のひかり


1986年愛媛県出身。第5回俳句甲子園予選リーグ三戦三敗敗退。「いつき組」。2012年第3回北斗賞佳作。各地の句会を転戦し武者修行中。




「人形町祭近景」眠

神輿くる隣の傘に脚が触れ
裏町の昼間のネオン油蝉
幼生をかなしむ蛇の死後なりき
入口のダチュラ出口のダチュラかな
夕立に水輪咲くころ男と寝る
花になる過程たのしき花氷
眠い沼を汽車とほりたる扇風機
地衣類の樹表にふゆる夕焼かな
噴水の水清らかに乱暴に
夏服の胸ポケットの点滅す
ほほゑみの固まつてゐる夜店の面
誘蛾灯乾いた音の続きけり


「本当のことは半分くらいです」
と言ったらその言葉の四分の一くらいが本当ということなのでしょうか




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読者が選ぶ人気俳人!

100年俳句計画作品集 100年の旗手


(2014年8月号 〜 2014年9月号 2/3回目)


 日傘 うに子

湯あがりに召しませ伊予のあまき鮨
浴衣着てエレナ綺麗な箸づかひ
かたことの日本語眩し緋のダリア
能面をつければ遠きしぐれ
葛餅や嘘と蜜との黄金比
影絵見てふたり涼しくはぐれけり
逆光を浴びて色づくサングラス
新入りに緑陰ゆずり測量士
はたらくといふこと日傘ささぬこと
あらがふを許さず蒼き夏怒涛


木曜カルチャーに飛び込み2年半。車で2時間離れた松山へ出向き笑って習って顧みることが生活の一部に……。花の名前も知らないし鳥や虫は苦手だけど俳句は楽しい! 錆びた五感を目覚めさせ一生かけ季語覚えていくつもり。



 蜩 竜胆

浜風の強しバス待つ夏帽子
踝の涼しと思ふ朝かな
蝉落つる脆く儚く潔く
田の神と向き合ふ社秋立てり
初秋に会ふ熊笹を分け入つて
故紙結はふ麻細引にある残暑
朝靄の舳先秋めく船溜り
流星は天の大斜面を墜ちる
揺るる揺るる釣舟草の螺旋
何の色ならんや蜩の翆は


団塊世代の66歳。木曜カルチャーの4年生。退職後、福祉の仕事と共に俳句甲子園実行委員会のメンバーを務める。山歩き ゴルフ 卓球 写真等、俳句以外の趣味も多く、予定表が埋まってくると安心する回遊魚系。



 生きる 岩宮鯉城

洗はれて切られてシャイな胡瓜かな
人間も擂鉢虫も無事を待つ
少女らの捩れて笑ふ捩れ花
柿若葉青きが愉し雨しづく
梵鐘のひびきに惑ふ蚊喰鳥
二匹共大きでで虫無位無冠
鰹焼く煙は昼の月かくし
毛虫にもあたるわれにもあたる雨
淡白に生きて金婚日輪草
大夕焼空が扉を閉ぢるまで


平成八年愛媛新聞カルチャー教室で組長に俳句を習い、平成九年から愛媛新聞へ投句開始し、年間優秀賞を十四回受賞。また平成二十二年に瀬戸内海俳句大会で大賞受賞したのが俳句人生での大きな財産と言えようか。



読者が選ぶ人気俳人!
「100年の旗手」連載者推薦募集

 今求められているのは、読者が読みたいと思う俳句作家。「100年の旗手」は、連載する俳人を、編集室ではなく、読者が選ぶコーナーです。
 「この人の作品集を読んでみたい」と気になる俳人を、1人3名まで推薦してください。その中から、推薦の多かった方に、編集室より原稿依頼を行います。
 あなたのお勧めの俳人を是非推薦してください。

 推薦の方法

「この人の作品集を読んでみたい」という人を3名まで選んで(自薦は不可)、その俳号と活動場所(句会、誌面等)、推薦者ご自身の俳号(本名)、住所、電話番号を明記して、100年俳句計画編集室「作品集推薦」係へ送ってください。ハガキ、FAX、Eメールで受け付けています。Eメールの場合は件名を「作品集推薦」としてください。また、専用のインターネット投稿フォーム(http://www.marukobo.com/100kishu/)でも受け付けています。※投稿フォーム利用の場合を除き、推薦は他の投稿等とは分けてください。

締切 毎月末日

 現在連載している3名の方以外なら、一度連載された方も含め、どなたでも推薦できます。
 今回連載を行った3名の作品集の感想もお待ちしています!


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百年琢磨
 ノーモア福島 平敷武蕉

「白牡丹」 岩宮鯉城

白牡丹に呼び止められし以後余白
出目金魚ふはりふはりと人待つ間
広島に強き引力甲虫

 牡丹は花の女王とされるほど美しく気品あふれる花。その牡丹に見とれていると、花以外の記憶は消えて空白になってしまうほどだ。白牡丹とは、妖艶な女性のことかもしれない。
 二句目。人待つ間の、なんとなく宙に浮いたような落ちつきのない様子を出目金で表現。出目金は、ふわりふわりと落ち着きなく動いているが、どこか剽軽でユーモラスな雰囲気をまとっている。
 夏になると、広島が強く意識されてしまう。原発爆発事故を起こし、放射能汚染に晒されているこの国には、今なお、広島を意識させる現実がある。


「未来」 うに子

夕焼けを切り裂きブルーインパルス
疎まれてくすぶる炉心蛇苺
例文で済ます弔電ジギタリス

 ブルーインパルスとは航空自衛隊の曲芸飛行チームの名称。航空祭等で曲技飛行を披露する。その飛行隊が夕焼けの空を引き裂き、突然轟音を吐いて現れる。映像鮮やかな光景だが、作者には平和が引き裂かれたように映ったのである。
 二句目。未曾有の原発爆発事故を起こした福島第一原発。今なお、放射性物質を放出し続け、疑惑に包まれている。疎まれて当然。蛇苺にも、毒がある、蛇を呼び寄せるなど様々な疑惑がつきまとう。
 ジギタリスは、どこかのほほんとすました雰囲気がある。その姿形で、人間のちゃっかりした処世を風刺した。


「週末」 竜胆

山頂の大蟻無口なる強さ
夏山やドナーカードの自筆欄
向日葵の硬き産毛や十五歳

 山男は山頂を踏破しても初心者のように狂喜などしない。山頂の大蟻のごと、黙して登頂の達成感をじっくり味わうのである。山男の誇りと貫録が漂う。
 二句目。夏山を登るとき、いささかでもいい加減な気持ちでがあってはだめ。山への覚悟が必要だ。
 向日葵のごとすくすく育った孫(?)も、早や十五歳。口元に目をやると髭かと見まがうほどに産毛も硬くなっている。逞しく成長した子への愛情が溢れている。


平敷武蕉
1945年、沖縄県生。著書『沖縄からの文学批評』。俳句評論集『文学批評は成り立つか』で第三回銀河系俳句大賞を受賞。俳句誌『天荒』編集委員。文学同人誌『非世界』編集責任者。


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新 100年の軌跡


2014年度 第二期
第一回


 塔の上のラプンツェル 藤田夕加

夏の夜閉じ込められぬ好奇心
尋ね人生死は問わず夜光虫
本物の悪は誰?原爆忌
アイスコーヒー時にシロップ一つ
言の葉をすべて知りたき熱帯魚
長き髪結わえてもなお短夜
向日葵や時を戻せば過去の夢
自由への扉を開けようラプンツェル
天使と悪魔の囁き夏薊
滴りや決断へのカウントダウン
薔薇の香りに染めたる身体眠る
正しく読まれない名瑰の花
天の川願いは紡ぐためにあり
婚約指輪の報告青林檎
ランタンを空に飛ばして夏の夕


藤田夕加
1987年2月生まれ。愛媛県新居浜市出身。愛媛新聞「ヘンデス俳談」において注目される。週活句会句集『WHAT』vol.1、vol.2に参加。




 後輩 羽田大佑

ことごとく後輩は女子夕薄暑
逆手にてつかむ鉄棒麦の秋
夕涼や路地を一瞥したる猫
うつくしき縮緬のしぼ梅雨明くる
歴々と駿馬の血筋南風吹く
夕立やさかなのはらわたも食べる
朱門あり酒家あり夕立来たりけり
夕焼や車掌の代はる駅に着く
歌う曲似通つてゐる桜桃忌
梅干や俳句をしないはうが姉
剥落の続きし空や黒揚羽
紫陽花や海抜低き丘のあり
青ぶだう知識を使ひこなす知恵
けしかけてしまひたき仲罌粟ひらく
睡蓮やいつから夜の挨拶に


羽田大佑
1988年生まれ。吹田東高校にて俳句を始め、第7回、第8回俳句甲子園に出場。4ヶ月間よろしくお願いします。




主人公 瑞木

「塔の上のラプンツェル」は同名のアニメ映画をイメージして作った十五句であろう。主人公の大人になる一歩手前の初々しさがあふれている。破調 自由律もその表現の一つの手段であると思うが、多い。

アイスコーヒー時にシロップ一つ 藤田夕加
薔薇の香りに染めたる身体眠る 藤田夕加

これらの句を五七五のリズムに整えたら、作者の表現したいことと違ってしまうのだろうが、日本語を詩にする際、五七五は最強の手段だ。使わないのはもったいないと思う。しょっちゅう破調の句を作る私が言っても説得力がないけれど。

ことごとく後輩は女子夕薄暑 羽田大佑

「ことごとく」という固い言い回しによって、後輩が女子ばかりという状況を、作者が持て余している感じが表れている。夕薄暑に甘い制汗剤の匂いが充満している感じだ。

歌う曲似通つてゐる桜桃忌 羽田大佑

カラオケでの感慨か。どんな曲を選んで歌うかということは相手の内面を知るよい手がかりとなるのだろう。似通った曲を歌う相手とは、心が通じあえる予感がする。季語が「桜桃忌」だから相手は異性と読んだ。


1963年生まれ。愛媛県八幡浜市日土町在住。第2回選評大賞最優秀賞。



刺激いろいろ 山澤香奈

 「塔の上のラプンツェル」はファンタジー色の強い作品だと感じました。

滴りや決断へのカウントダウン 藤田夕加

 少々カウントダウンと滴りのイメージの近さも気になりつつも、決断という言葉の潔さがよいと思います。

婚約指輪の報告青林檎 藤田夕加

 「結婚」でも「婚約」でもなく、「婚約指輪」の「報告」。婚約指輪について事細かに報告されたのか、指に光る指輪が黙って主張しているのに気がついたのか。青林檎の硬さや酸っぱさが、作者の思いを代弁しているようです。
 空想的、感覚的な内容が多い作品だと思いました。機会があれば、夕加さんの実景句も多く読んでみたいです。

 かたや「後輩」は、実景句が多いように思いました。

夕立やさかなのはらわたも食べる 羽田大佑

 夕立による気温や湿度の変化。食卓に漂う夕餉の香。はらわたまできっちり食べられて、骨しか残らない魚。おいしそうで、少しレトロな気持ちになるのは夕立と魚の成せる効果でしょうか。五感をとても豊かに刺激されました。

歴々と駿馬の血筋南風吹く 羽田大佑

 競走馬か、地元にだけ伝わる馬でも素敵。受け継がれていく血筋、凛と立つ馬の姿、そこに吹く南風、広大な景を思い起こさせてくれる一句です。


1983年生まれ。愛媛県松山市在住。第3回俳句甲子園出場。句集シングル「線路とブランコ」。


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超初心者から中上級者まで楽しめる
100年投句計画

 「100年投句計画」は、読者の投句コーナーです。

 「選者三名による雑詠俳句計画」は、雑詠句の選句欄です。投句の中から先選者二名が、それぞれ天地人の句を選び、先選より漏れた句の中から、後選者が特選、並選を選んでいます。今回の先選者は、阪西敦子さんと加根兼光さん。後選者は、関悦史さんです。

 「へたうま仙人」は、ヘタな句を褒め、巧い句を追放する、世の選句欄とは真逆のコーナーです。どんなにヘタな句でも褒めてくれるので、自分の俳句に自信のない方、何はともあれ褒めて欲しい方に最適(?)。担当は大塚迷路さんです。

 「自由律俳句計画」は自由律俳句の選句欄です。自由律俳句に挑戦することで、自由律俳句ならではの楽しさを味わうと共に、有季定型の俳句との思わぬ共通点も見えてきます。選者は、きむらけんじさん。
(投句方法は「100年投句計画」コーナー末尾参照)
写真:白鯨


選者三名による雑詠俳句計画


先選者 加根兼光

 二十年来の知合いのバンドのライブを聴きに行った。松山でやることは滅多にない。関西ブルース歌謡の真骨頂だと本人たち。知合ったきっかけは阪神大震災の春、自分達の業界のみんなだけでも元気にと神社の境内で二十バンドが出るコンサートをやった。五百人も集まった。白血病から復活したカメラマンも舞台に上がった。それから三年連続で花の下でやった。「おい元気か。」とまたみんなに言いたい気持ちになった昨夜。


石蹴りの石は何処へ風灼くる あい

 さっきまで蹴り合っていた石はふとした拍子に行方知れずに。炎天に負けず遊んでいた子供たちも一瞬の静寂に包まれる。失った石を探すでもない、新しい石を置くのでもない静寂。「風灼くる」としたことで地も天も風さえも焼き付く夏が表現された。子供たちもやがて遊びに飽き散ってゆくのだろう。ひと夏の思い出と言っては微かすぎる光景。ひょっとするとこれは作者の遥かな記憶のプレビューかもしれない。



梅雨の雷遅れて固き雨の音 樹朋
 突然の雷に飛び上がらんばかりに驚いた。遠のいた雷にふっと息を抜く。今まで気が付かなかったが雨の音がし始めている。「固き」雨の音であるから地を激しく打っている。梅雨はまだ続きそうだ、と。

母さんは女の匂い蛍籠 しんじゆ
 母と蛍を追う暗闇。蛍籠に捕らえた蛍を入れる。瞬間、今まで出会ったことのない母の匂い。風呂上がりだからなのだろうか。いやこれは母の匂い。でも母ではない女の匂い。己の成長と母の成熟を感じるひと時。

廃屋の紫陽花外へ外へ咲く あらた
 長く打ち捨てられている家。普段はその暗さを通り過ぎるだけなのだがこの時期だけは紫陽花が日に日に咲き誇り外界と隔てられている塀を越え咲き出す。明るさに包まれる廃屋。人を内に誘うかの如く。

緑陰や妖精の翅たたむ音 緑の手
 心地よさに誘われて入った木陰。鳥や風の声。ふと音に振り向くと妖精が降り立ち翅を畳むところ。木漏れ日はさらに輝く。「緑蔭」が初めて登場する「纂修歳時記」には「初夏の頃の緑なせる樹陰をいふ」とだけ。大正には妖精はまだ緑蔭に来なかったか。

水牛の涼しき眼島の昼哲白
 平和の象徴とも言われる水牛。その巨体に比べ食生活は質素らしい。「涼しき」瞳は水面の静けさを湛えているのだろう。佇むのは暑さに包まれる南の島の昼。静かな時間とともに島の複雑な歴史も思われる。



房咲きの薔薇濃く撓む雨の朝 小雪
夏椿朝の湿りを拾ひけり 蓼蟲
残像の川面一閃の翡翠 ほろよい
犬の名で呼び合ふ散歩花茨 ゆりかもめ
屋上の遊具と空とソーダ水 あらた
あぢさゐや長女は恋をしてるらし 妙
赤ちゃんは丸顔がすきアマリリス うに子
一滴の涙一匹蛍かな まこち
夏落葉払えば石に郎の文字 ひでやん
雲の峰犬に話してやった事 ミセスコナン
営門の跡やほろほろ花樗 哲白


先選者 関悦史

 昨日(六月三十日)、解釈改憲反対の官邸前デモに行ってきました。四万人集まったそうで、歩道全体が満員電車状態、夜更けまで激しい抗議の声が続きました。民放の中には報道したテレビ局もあったようです。「民放の中には」というのが大事な点です。つまり民放でないところはそうではなかった。無力感を誘いますが、若い参加者が多かったのは救い。憲法は暴政を防ぐための政府への軛なのですが、今日七月一日、それが壊されます。


あじさいの青一族の通りかな ミセスコナン

 白や赤紫などさまざまの色に咲く紫陽花のうち、青い花がかたまり咲いた通りを「青一族」としたのが絶妙。視覚的にもイメージがすっきり立ちあがり、ふざけ過ぎ(作者一人が興じ過ぎ)でもなく、擬人化し過ぎでもない俳諧味があります。
 「青一族」という捉え方が出来たことで、それ以外の色の多様性が背後に感じられ、結果的に紫陽花の本義を突いてもいます。「一族」に生々しい生命感あり。



冷麦をおやつと笊に盛る女将 レモングラス
 食べ物の佳句の要件はおいしそうに見えるということで、この句はそれを満たしています。おやつと言われて不意に出てきた冷麦への軽い驚きが、女将の心配りや手際に対する賞賛と味への期待に転じているからです。

罵倒するいつもの私更衣 ざいこ
 罵倒という強いマイナスの言葉を使っていながら後味はさほど悪くない。更衣「しても」欠点が直らないという理屈にせず、「いつもの私」の欠点を強烈に打ち出し、それを季語に成仏させてもらっているからです。

残業のことなど語る帰省の夜 瀬戸 薫
 いかにも今の暮らしを捉えた感のある「帰省」の句で、おだやかな物言いながら類想感はさほどない。「など」の効果が絶大で、風のように飄然と時代のリアリティに触れながら、親密な語り合いの場を絡め取っています。

夏落葉払えば石に郎の文字 ひでやん
 石碑か墓石であった石から不意にのぞく人名の一部らしき字が、亡霊のようでも自然への回帰のようでもありますが、さほど不気味ではないのは「夏」のためでしょう。縁遠い人の生とは斯様なものと得心させられます。

麦刈て首塚すつとありにけり 人日子
 刈られた麦畑の向こうから、それまでよく見えなかった首塚があらわれる。一見ただ事のようでもありますが、「すつと」が写生的ながら微妙に怪しく、首塚そのものが別の生き物になったような俳味が呼び込まれています。



ひきがえる世界征服あきらめよ 藍人
葉ざくらの顔かおかおの目が光る 迂叟
えぐれた川辺の無数の蛍かな ふーみん
坂上ることも楽しみ夏館 ほろよい
夏雲をはべらしている山目指す のり茶づけ
梅雨晴間みどりの影をまとひけり 未貫
青葉木菟の森に同化する両手 妙
夏虫の耳より出づる狂気かな 空
滴りの崖に彫られし仏かな あい
捩花や貨物列車のねじれ行く 人日子


後選者 阪西敦子

 窓の景色を眺めながら選句して、評を書いてきたのだけれど、そんな生活も終わりがやって来た。通勤の電車乗車時間は35分と三分の一に短縮され、人は多く、座ることもあまりなく、通るのは地下。あまりに違う通勤環境にまだ慣れず、あの過酷な通勤に案外慣れていたことに気づく。


特選句
ビワ熟れて路面電車に触るるやも 青蛙
 家の庭にも植えることの多い枇杷がなった。突然あかるい色を放ち、収穫が間に合わないほどだ。その重さに枝がしなって、路面電車に触れんとしている。目立つ実が近づくスリルやスピード感、また日常との近さも良い。

名は知らず小さく白く梅雨に咲く 空
 梅雨の存在感が年々増しているような気がする。雨が降るだけではなく、日中を薄暗く、ものを湿らせ腐らせ、現代人の生活を脅かす。その暗さに紛れることなく咲く白い花。名さえ知られないその姿は毎年と変らない。

どくだみや寝てばかりなる白い犬 北伊作
 ずっと寝てる犬として思い出すのはなぜか白い犬ばかり。その着目に驚いたのであるけれど、しゃがみこんでその犬を眺めると同じ低さにどくだみが見えることもあるだろう。その白い花は犬と視線を分け合っている様だ。


並選句
香水を誉めて帰りしセールスマン 杉本とらを
山襞に草刈りの音甲高く 富士山
梅雨晴間なく水薬深き赤 幸
浜昼顔風にあらがい砂にあらがう はまゆう
夏の雲駆け出す犬の一直線 小市
青梅の小さく漏らす息の泡 和音
女伊達男伊達とやビール酌む ヤッチー
ライバルと二言三言街薄暑 一走人
守宮鳴く蹴らねば開かぬ玻璃の戸に 空見屋
そして皆無口になりてほうたるや のり茶づけ
毒だみに憑かれし庭よ毒だみ生やせ みちる
蜘蛛の糸寝癖の頭とらへけり てん点
炎天や捩れつつ伸ぶビルの窓 雨月
碧の矢となり翡翠飛び立てり 七草
白百合を抱え隣家を訪問す ぴーす
仕分けする手と目ちぐはぐ更衣 おせろ
夕闇の蛍袋に雫かな もね
どくだみの花は十字をかがやかし お手玉
水菓子の中に金魚の泳ぎをり 喜多輝女
真っ黒の野球少年ソーダ水 八十八
窓白し朝日を返す田水かな 八木ふみ
西日べっとり千鳥橋は渋滞 一心堂
合歓の花雨なき朝を揺れにけり まんぷく
花菖蒲みな雨男雨女 ポメロ親父
丁寧に煮梅を供し姉老いぬ 松ぼっくり
咲き初めを知らずに愛でる水中花 春告草
流灯の落ち合うごとく寄り合えり 大阪野旅人
葉から葉へ飽きもしないでかたつむり 青柘榴
サングラス視線は何処へそそぐやら カシオペア
自らのアンテナをたて五月闇 アンリルカ
朝刊を待ちて搾りし小夏かな ちろりん
県境い愛媛に入れば朝曇り エノコロちゃん
そこはかとなく気怠し六月の稿 むらさき
日輪のゆるりと渡る朴の花 省三



関悦史(せきえつし)
1969年茨城県生。「豈」同人。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。第11回俳句界評論賞。2011年第一句集『六十億本の回転する曲がつた棒』刊行。翌年、第3回田中裕明賞。共著『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(以上、邑書林)、『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(以上、草思社)他。雑誌「現代詩手帖」俳句時評欄担当(2012年1月〜)

阪西敦子(さかにしあつこ)
1977年神奈川生まれ。1985年より作句、および『ホトトギス』生徒児童の部へ投句、2008年より同人。「円虹」所属。 2010年、第21回日本伝統俳句協会新人賞受賞。共著に『ホトトギスの俳人101』『俳コレ』など。

加根兼光(かねけんこう)
1949年大阪生。俳句集団「いつき組」組員。第9回俳句界賞受賞。



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へたうま仙人


文 大塚迷路

 梅雨のある地方は梅雨明けぢゃな。今年もいろいろな災害が起きてしもうたが、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
 さて、本格的夏ぢゃ! 世の中何かと騒がしいが、とにかく夏ぢゃ! 海ぢゃ、山ぢゃ、迎火ぢゃ! 夏と秋が同居する八月を「へたうま」で先取りしてくだされ。
 今月も手ごわいぞ。


気がつけばあの人すでに影もなく ケンケン

 食い逃げ、乗り逃げ、○○逃げ……切ないのう。あの人は出会った時から影だったんぢゃ。間違いなく夕立に流されていったんぢゃ。次現れたときは「影消しスプレー」でシュぢゃ。

汗かいて黙する荒れた肌に父 KIYOAKI FILM

 なんだか禁断の園にいざなうような面妖さがいい味を出しておるのう。反面、草田男の「妻抱かな」のアンサー句みたいで楽しくなったぞ。表現というものは、わかるわからないはその辺に置いといて、先に言ったもんの勝ち的要素があるが、これからはこの句の周辺には近付けなくなるのう。

梅雨晴れ間俳句出来たと孫の声 柊つばき

 久しぶりの晴間の爽快さと孫の声は相性ぴったりぢゃ。それも「俳句が出来た」というのが泣かせるのう。家族の風景がくっきり浮かび上がり、まさに感動の坩堝ぢゃ。
 これからも俳句の種蒔きよろしく頼みますぞ。

花畑ソーラーで飛ぶ蝶の昼 真帆

 なんとも長閑でほのぼのぢゃ。ソーラーで飛ぶというのがちょうど良い速さで、おまけにちょうど良い高さで、とても気持ちのよい按配ぢゃ。「蝶の昼」が効いておるぞ。
ところで、「お花畑」だと夏の季語ぢゃが、ただの「花畑」は季語にはならんのかのう?誰か教えてくだされ。

紫陽花や雨の匂いを向いて咲く 台所のキフジン

 向日葵が太陽を向いて咲くように、紫陽花も雨の匂いを感じて雨に向いて咲く、と感じるところなんぞ実に俳人魂満載ぢゃ。雨の色や湿度感もほのかに匂わす技巧は職人域ぢゃ。
 言葉の過積載がちと勿体無いぞ。

零れんと唇寄する冷し酒 未々
川端の風が涼しと馴染客 未々

 おお!なんとも旨そうぢゃ!! 唇を寄せる前に冷し酒のほうが勝手に寄ってくる、あの感覚を微妙に感じさせる所がなかなかの曲者ぢゃ。こんな旨い酒があるところには、馴染客がひっきりなしぢゃろう。うんうん。

五月雨や手ブレ写真のごとく降り 元旦

 浮世絵の五月雨を彷彿とさせる句ぢゃ。最近のカメラは賢くなって手振れさえ起こさせないように絶えず見張っているそうぢゃが、この句のように、モノクロチックにアナログチックにいきたいものぢゃのう。

炎天の影はポエジーキリコの絵 ひでこ

 そういえば、キリコの絵に「街の神秘と憂鬱」があったのう。炎天下の白日夢のような、なんとも不可思議な絵と記憶しておるが、あの影絵のような無機質な風景を全身に感じた作者はキリコに同化して、ポエジーと真摯に対峙しておると言わざるを得んのう。

桜桃忌ビル陰つたい登る坂 南亭骨太

 措辞が昆布茶に垂らす三滴の抹茶のように喉奥に染み入るのう。上り坂の帰りは必ず下り坂だ、という不思議さにいつも首を傾げるワシぢゃが、作者の坂は永遠に太宰に続いておるのぢゃろうか?
 こんなビル陰が恋しくなる句は富士山は活火山的追放!!

重くなる寸前に飛ぶ糸とんぼ  小木さん
尾の長きままや札所の瑠璃蜥蜴 小木さん

 尻尾が切れていないというのは、この瑠璃蜥蜴が平和な場所で、平和な時間を過ごしているという証拠ぢゃ。夏の陽をきらきら反射させ、控えめながら泰然と佇んでおるのぢゃろうなあ。おっと、いかんいかん。こういった世界観を思い起こさせる句は言語道断ぢゃ。
 とっとと青田の中で捕まえて的追放!!

夏野ゆく男無防備なる姿 坊太郎

 夏野に分け入る時には、構えたらいかん。構えたら夏野も構えてしまう。かと言って、開けっぴろげでもいかん。夏野になめられてしまう。そう、無防備がちょうど良いのであるのぢゃ。細心の無防備の男には夏野も無防備で繊細に応えるのぢゃ。夏野の気持ちを深く理解したこんな句は、河童の川流れを見ている河童的追放!!

 今月も追放者を出してしもうた。やれやれぢゃわい。この厳しいへたうまの道を途中で踏み外すとは、まったくもって無粋な奴らぢゃ。
 堂々と残った精鋭のへたうまの方々よ、次回もくれぐれも油断召されるなよ。



へたうま仙人
 年齢 卑弥呼がおっぱいを飲んでいた頃、ワシは青春真っ只中ぢゃった。
 好きなもの 霞のシャーベット(PM2.5抜き)
 嫌いなもの 上手な俳句
 将来の夢 大器晩成


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自由律俳句計画


選者 きむらけんじ

 永く勤めた会社と縁が切れてから、ここ二年ほどは自冶体が案内してくれる健康診断を年一回受けている。会社勤めの時の人間ドックと比べてなんと簡素なことか。まあほとんど税金でまかなってる以上当たり前と言えばそれまでだが、特に納得いかないのが肺がん検診。五月十二日にレントゲン撮影して、結果を訊きにいくのが七月十四日、なんと二ヶ月も開いている。気の早いがん細胞なら全身に行きわたってしまうぞ!とブツブツ言ってたら、友人が、それが国の狙いだと言う。年寄りが早めにクタバレば国の負担は軽くなる……と解説してくれた。なるほど、国はやっぱり賢いな……とか言ってる場合かな……。



毛虫の親の行くあとをゆく子ら 松ぼっくり

 なんとも微笑ましい映像……と思わず騙されかけた。だいたい毛虫の親は、蛾とか蝶とふつうは決まっている。毛虫自体が幼虫で、その子供の毛虫などあるはずがない(間違えてたらスミマセン)。そんなこと百も承知で、堂々とウソついてほんとうのような句に仕立てあげた……ここまであっけらかんと句にしてしまえば、それはそれで立派というしかありません。まさか、蝶の行くあとをゆく子ら、という解釈ではないと思いますが……。



蛍とまりて静脈の光る 七草

 蛍の儚いような青白い光。その光にかすかに照らされる手の青白い静脈。暗闇のなかに浮きあがる幻想的なモノトーンの世界が美しい。と同時に、蛍をとまらせている、おそらくは女性の色の白さが想われます。

髪切って点滴台と白昼をゆく 台所のキフジン

 点滴台を、ごろごろ押しながら歩いている患者さんでしょうか。「白昼をゆく」という強いフレーズで、病気に負けないという意思が感じられます。できれば「髪切って」より「刈り上げて」くらいの潔さがあれば、なお強い句になるのではと思います。

郵便ポストに胡瓜 のり茶づけ

 不条理というか不可思議というか、そこをこれ以上逸脱すれば話にならないというところのギリギリで立っている句。妙なインパクトがあります。誰かが留守中に胡瓜を持って来たのでしょう。名乗らなくても誰かわかる……そういうことだと思います。

キャミソールの娘湧いて来た夏の来た たま

 ふつうの娘ではなく、キャミソールの娘なら湧いて来そうな気がします。そのあとへ「夏の来た」とたたみかけることで、より躍動感がでています。単純明快、こういう句はつくれそうで、なかなかむつかしい……。

牛乳に濡れた朝の口髭を剃る みちる

 「朝の」が効いていると思う。「朝の」がなくても句は成立するが、句としての心棒がなくなるように思う。「牛乳」「口髭」「剃る」は、すべて一日の始まり、爽やかな「朝」への道具立てとして無駄がない。



苔はえて庭石生きている 多満
シンクのなかで泳ぐ 小市
地の果てに行っただろうか轢死の白蝶 一走人
灯を点けてゴキブリが飛んだ のり茶づけ
新内流しの後つけてみる もね
あめんぼうのうしろ足 小木さん
黒人を売って産業革命す ざいこ
鎌は腰にて研げ父の汗 松ぼっくり
なぜなぜ?黄色い箱食む蝸牛 カシオペア
両手で包む螢 エノコロちゃん


並選
噴水のスイッチを切る 杉本とらを
思い切りよき剪定の向こうに夏 ケンケン
友と喰うすき焼き一つ一つ KIYOAKI FILM
五月晴れの青に毒がまぎれてしまった 多満
ソーダ水楽観的を良しとする 小雪
アイスクリームの内蓋なめる派なめない派 藍人
散れない紫陽花の悲しみ 幸
蛙の目借り時午後の教室 迂叟
雨男晴れ女と契るとき はまゆう
梅の実透けるプルプル揺れる レモングラス
何者でもなくなる真夏日 小市
一夜明け醜い苺となる 和音
ラジオ体操第1第2夏の早朝 ヤッチー
全身豹柄で二足歩行 しんじゅ
万緑を抜け万緑へランナー ほろよい
吾が家へ不法侵入の蓑虫 ゆりかもめ
モノクロの父はステテコ母はシミーズ あらた
茸型の雲を抱いた虹が明るい 緑の手
からっぽの頭籠さげて螢 お手玉
薔薇の陰より微笑んでをり父の写真 喜多輝女
泣けますという映画を見てる人は幸せ うに子
切妻にも寄棟にも入母屋にもさみだるる 元旦
濁り水に映りし柘榴の花の影 まんぷく
鳴かぬまま花鳥去ってしまう ポメロ親父
睡蓮採り損ねて早過ぎる水泳 ザッパ―
梅雨前線を黄色い傘の列 青柘榴
考えることやめた夏 柊つばき
四年毎の夏奇妙な国境線 ちろりん
風は南南西猫は急ぎ足 北伊作
舞え舞え蝸牛一人ぽっちも悪くない ミセスコナン
わんぐりの口夏の昼 人日子



きむらけんじ
1948年生まれ。第一回尾崎放哉賞他。自由律俳句結社「層雲」同人。写俳エッセイ『きょうも世間はややこしい』(象の森書房)、句集『昼寝の猫を足でつつく』(牧歌舎)、『鳩を蹴る』(プラネットジアース)他。特技 妄想、泥酔。



【100年投句計画】投句方法
 件名を「100年投句計画」とし、投句先(複数可)、俳号(なければ本名の名前のみ)、本名、電話番号、住所を明記してお送り下さい。投句はそれぞれ二句まで、詰め俳句は季語を一つのみお送り下さい。一つのEメールまたは一枚のハガキに各コーナーの投句をまとめて送っていただいても構いません。
ただし、「選者三名による雑詠俳句計画」と「へたうま仙人」は、選択制(どちらか一方のみ投句)となります。また「雑詠俳句計画」は欄へ寄せられた二句を各選者が選ぶ形式です。各選者に個別に投句を行うのではない点にご注意下さい。

それぞれ締切は、8月20日(水)

投稿ページ http://marukobo.com/toukou/
投稿アドレス magazine@marukobo.com
はがきFAXでも投句できます。


さらに多くの投句をしたい方へ
 松山市が運営する『俳句ポスト365』など、無制限に投句を受け付ける場もございます。ぜひご活用下さい。(俳句ポスト365のページ参照)


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Mountain Cabin Dispatch


ナサニエル ローゼン(訳:朗善)
山梨で暮らす世界的チェリスト ナサニエル ローゼンのHAIKUとエッセイ


No.13


rainy quiet woods
rhythm asleep watching for us
practicing etudes

眠りつつリズムを刻む梅雨の森


(直訳)
静かな雨の森の
リズムは眠りながら 我々を見守っている
エチュードを弾いている



We have postponed our Mt. Fuji summit attempt. Small nagging injuries and sore muscles have interrupted our training.
I have musical responsibilities with concerts and recordings approaching, and these preparations require a different kind of training, uninterrupted and healing.

僕らは富士山登頂の試みを延期した。ささいな怪我と筋肉痛に、僕らの訓練が邪魔されてね。
僕には間近に迫ったコンサートやレコーディングという音楽家としての責任がある。その準備には別の訓練が要求される、すなわち(筋肉痛などに)邪魔されず、むしろ癒される訓練がね。
(訳:朗善)



ナサニエル ローゼン
Nathaniel Rosen
1948年カリフォルニア生まれ。
1977年アメリカ、ヌーンバーグコンクール優勝を機に米国内デビュー。ピッツバーグ交響楽団の首席チェリストに就任。
翌年、第6回チャイコフスキー国際コンクールでアメリカ人初のチェリストとして金メダルを受賞、以降世界的名手として広く知られるところとなる。
2013年7月より山梨へ移住。


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JAZZ俳句ターンテーブル


文/白方雅博
(俳号/蛇頭)

第41話
「レッド クレイ」 フレディ ハバード


夏波光(なつはこう)どこか哀しいハイノート 蛇頭

 「波光」とは水面の波に反射する光のことである。これに「夏」をくっ付け無理やり季語とした。最初に使ったのは前シリーズ「JAZZ者俳句ノート」の第2話だった。ハービー ハンコックの名盤というよりジャズ界の大傑作、とブルーノート レコードの「処女航海」を紹介しておいて、麦藁帽子の縁越しに広がる夕日と海の波光という蛇頭少年の思い出を引き合いに出した。ハンコックの名曲「Maiden Voyage」の煌びやかだが、どこか憂いを含んだフレディ ハバードのトランペット ソロに波光を重ねた。
 う〜ん、「夏波光」いいんじゃない!? しかし、今回のJAZZ句会の際に選者の猫正宗さんが「かはこう?」って発したのでルビは振っておこう。

晩夏の叫びビバップは新生す 光海

 50年代半ばから60年代初頭にかけてクリフォード ブラウン、ブッカー リトルという二人の天才肌トランペッターが相次いで夭折。高まるハバードへの期待。という図式の中で彼のジャズ ミュージシャンとしてのキャリアが始まった。その期待に応え、60年録音の初リーダー作「オープン セサミ」(blue note)を皮切りに、彼は数々の人気盤を世に送り出した。一方、サイドマンでは62年録音のビル エヴァンス名義「インタープレイ」(riverside)でのプレイに、その才能が存分に発揮されている。A面3曲目のルース ローウェ作曲「アイル ネバー スマイル アゲイン」は、今治の「FMラヂオバリバリ」で僕が担当する番組「JAZZ BLEND」のオープニング テーマとしている。60年代半ば以降数年間にハバードの傑出したリーダー作は見当たらないが、サイドマンとしての活躍は相変わらずで、特にエリック ドルフィーの「アウト トゥ ランチ」(blue note)における彼のソロの評判は「処女航海」と同様に高かった。そして、ハバードは70年代初頭にCTIレコードから「レッド クレイ」を発表。ハービー ハンコックとの再演が大成功を収め、後の伝説のユニット「VSOP」へとつながって行く。その間、ビバッパーとしてのハバードのスピリットは揺ぎ無きものだった。が、ハンコック等共演者の良い意味でのサウンドの変貌ぶりが新生ハバードを演出した。

晩夏へとひたすら高く吹くラッパ チャンヒ

 あるトランペット奏者がハバードに、どうすればハイノートが上手く出せるのか尋ねた時、彼は「ラッパを上向きにしてごらん」とあっさり答えたそうだ。上向きにすることでマウスピースにぶつける息の角度が鋭角になり高域の音が出るという理屈なのだが、それにしても屈託がない。

この街に幾重も埋め立てられた夏 猫正宗

 今回の一番人気句にサブテーマ アルバム「ファースト ライト」を重ねてみたら、とてもしっくりと来た。大編成を粋に操るドン セベスキーの編曲には、人知れず幾重にも重ねられた都会の熱きエピソードが潜んでいるようである。



http://www.baribari789.com/

「JAZZ俳句ターンテーブル」は、筆者がナビゲーターを務めるFMラヂオバリバリ(今治78.9MHz)の番組「JAZZ BLEND」の第2週に特集します。放送は毎週水曜日の深夜23時〜24時。再放送は日曜日の25時〜26時。


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ラクゴキゴ


第41話
『足上り』
〜 クライマックスで登場するお岩さん 〜


あらすじ
 あるお店の番頭さん、この人無類の芝居好き。丁稚の定吉を連れて芝居見物。定吉を先に帰し「旦那には、うかがった店で碁のお相手がはずんでおりますので、もうしばらくかかりますと伝えとけ。」と言う。
 帰った定吉の嘘は旦那には通用するはずもなく、じきにバレてしまう。白状してしまうと、芝居小屋の桟敷を借り切り、芸者まで一緒に連れていきごちそうを……と散財していたことまで分かってしまうことになる。
旦那、「どうも最近様子がおかしいと思ってたが、飼い犬に手をかまれるとはこういうこっちゃ。よし、明日請人を呼んで話をつけよ。」
 すなわち、番頭はクビになってしまったのだ。
 何も知らず帰った番頭、定吉を自分の部屋に呼び出し、今日の感想をきいたり場面を振り返ったり。
 芝居は「四谷怪談」。途中まで見た定吉に、番頭「あの後がよかったんやで。「夢の場」。それから「蛇山の庵室」。そら暗い陰惨な場やったなあ。」
 そのうち、気持ちが高ぶり、番頭は芝居の真似ごとをやり始める。
 伊右衛門の前にお岩が現れ、赤ん坊を手渡すとそれが石の地蔵さんに変わる。びっくりする伊右衛門を見てお岩の幽霊があざ笑いながら消えていく……このシーンを芝居さながら上手に怖く番頭が演じるものだから、定吉も本気で怖がり、「あ〜こんな怖い話初めて聴いた。せやけど番頭はん、あんた芝居の話お上手でんなあ。」
番頭「どや、定吉、わしが今蚊帳のうしろへスッと消えこむ時、体が宙に浮いたように見えたやろ?」
定吉「宙に浮くはずや、最前(さっき)に足が上がってまんがな。」



 オチを読んだだけでは、何のこっちゃさっぱり分からんと思います。「足が上がる」というのは、当時「おひまが出される」すなわち「クビになる」という意味の言葉なのです。
 この噺、人間国宝桂米朝師の持ちネタで、お弟子さんにも受け継がれています。噺の途中で旦那が定吉に番頭のクビを告げる際、「番頭はん、おひまが出まんのん? 足が上がりまんのん?」と仕込んでおくのです。この一言が大事で、それがオチにつながるわけです。
 噺に入る前に「足が上がるとは、クビになることで……」なんて説明してしまうのはダサイでしょ? 聴いてる方も「あー、これオチに関係あるんじゃないの?」とかんぐってしまいそうですしね。
 さて、番頭が芝居の真似ごとを始める際には上方落語特有の「ハメモノ」が入ります。三味線と太鼓でドロドロドロ……と幽霊がいかにも出てきそうな音楽。
 太鼓を大きく叩くので、観客は一瞬ビクッ!!とし、身体が席から浮き上がるように見えます。
 四谷怪談の中のほんのワンシーンですが、暑い暑い夏をひんやりさせてくれる佳品だと思います。

 お化けなんて呼ぶな幽霊と呼べ


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新聞記事に隠された俳句を発掘する
クロヌリハイク


黒田マキ


「雲海」で「看護政策懇話会」
(愛媛新聞より)

夏本番!あぶない次男戻りケり
(愛媛新聞より)

三日月ゃ投票率は15%
(2014年7月14日朝日新聞より)


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お芝居観ませんか?


文&俳句 猫正宗

第22回 「並置」

 (承前)どちらかというと、ダンスや舞踏といった身体表現が苦手な方なのですが、「道後宝厳寺俳句フォトライブ」では、そのダンスが俳句やジャズとコラボされたことによって、興味深く観ることができました。三組のダンスを観ながら、私が魅かれるのは、自分の想像力を刺激してくれるような、想像のための余白があるような、そんな身体表現なのかなあ、と思ったりもしていたのでした。
 前号でも触れた『並置』(250km圏内公演、作 演出 小嶋一郎、出演 岸本昌也、黒田真史、'14年5月31日、6月1日、シアターねこ)という作品も、そんな芝居だったのです。
 本作は、CTTという、ある種の試演会(30分以内、簡素な照明 舞台装置、終演後、観客からの講評と投票を受ける)で上演されました。
 二人の男女が、台詞も音楽もないまま(文章では説明しにくいのですが)二人でないとできない身体表現 運動(例えば、背中合わせで互いに体重を預けたまま立ち上がるとか)を、時間いっぱい続けるといったものでした。

溽暑なり溶けたバターになる二人

 舞台上の二つの肉体が生み出す緊張感と、それを固唾を飲んで見守る客席の緊張感が増幅しあい、数少ない舞台装置である扇風機と風鈴の微かな音が、沈黙をさらなる静寂へと導きます。遂には、舞台を、客席を、それらを含む空間そのものを一つの表現として飲み込んでゆくのです。さらにその二つの道具立てと照明の変化を縁に、私の中で、目前の表現がその意味する風景や物語に轟音立てて変わっていく快感。舞台と脳内の光景が二重露光していく酩酊感。
 それは、自分という矮小な枠組みを、揺さぶり、かき混ぜ、侵犯されるということ。
 きっと、ある種の表現には、そういう力、毒、あるいは役割があるのでしょう。

ベクトルの方向肉体(からだ)精神(こころ)夏



このコーナーでは、松山市民劇場例会にて公演された芝居を紹介します。


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百年歳時記


第15回 夏井いつき

 有名俳人の一句を紹介鑑賞するページは世に数々あれど、「市井の逸品」とも呼べる一句を取り上げ鑑賞する記事はそんなに多くありません。
 百年先に残したい佳句秀句奇々怪々句を見いだし、皆さんと共に味わおうという連載は、名づけて「百年歳時記」。夏井いつきの目に触れた様々な作品を毎月ご紹介していきます。

峠より順に植田の澄んでいく 不知火
 「峠より順に」 ですから、棚田の光景でしょう。「峠」から見下ろす千枚田は、光の鏡のように水を蓄え、夏の太陽を弾いています。
 前半の措辞によって、田植えの作業は「峠」に近いところから始まったことも分かります。千枚田全てに苗を植え終わった光景の中、一句の視点は「峠」から「順に」下っていきます。「峠」の一番上の一番小さな田の水はすっかり「澄んで」いますが、下の方の「田」は田植えの泥が沈殿しておらずまだ濁ったままです。毎年見るその光景もまた、「植田」を眺める充実感。農夫の視点と一緒に、読者である私たちも、その充実感を味わいつつ「峠」を下っているかのような追体験をさせてくれる作品です。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』 6月13日掲載分)

あじさいへ孔雀は威嚇するかたち もね 
 「孔雀」が羽を広げるのは求愛の行為であって「威嚇」ではありません。事実を尊重し、「あじさいへ孔雀は求愛のかたち」と変えてみると、「孔雀」が「あじさい」をメスだと勘違いしたという句意になり、作品の底が浅くなってしまいます。
 「孔雀」が求愛として羽を広げている行為が「あじさい」への「威嚇」のように見えたと読むことで、作品は新しい詩的真実を手に入れます。「孔雀は威嚇するかたち」という措辞は、「あじさい」の美しさに対する嫉妬や警戒という意味を持ち始めます。作者から手渡される詩的真実は、「孔雀」の羽を活写しつつも、季語「あじさい」の美しさを表現する力となっているのです。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』 6月27日掲載分)

水神に火の粉浴びせよ川開 中原久遠 
 「川開」は元々「水難にあった人の鎮魂の行事」「水辺の安全を祈願する行事」でしたが、現在では「花火大会」を意味するようになってきたというなかなか曲者の季語です。
 季語「川開」の現場にあるのは真っ暗な水。そこには人間の傲慢を罰しようとする「水神」もいるに違い有りません。そんな「水神」へむかって浴びせる「火の粉」は贖罪であり、鎮魂であり、祈りであり、また生きてある喜びでもあります。さらに中七「浴びせよ」は、様々な思いを凝縮した一語。暗い水面を迸る「火の粉」の映像だけでなく、季語「川開」の持つ複雑な思いも表現し、「水神」「火の粉」「川開」の三語を繋ぐ働きもしています。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』 7月11日掲載分)

蛍火やキトラ古墳に獣の絵 桜井教人
 「キトラ古墳」は奈良県明日香村の古墳。亀虎古墳とも書くのだそうです。現在私たちが入っていくことは出来ない「キトラ古墳」ですが、かつて「キトラ古墳」が封印される前、この古墳に絵を描いた人物がいたはずです。古墳の中に灯された松明に、描きかけの「獣の絵」がゆらりゆらりと揺れていたはずです。一日の作業が終わり、静けさを取り戻した古墳内の闇に、「蛍火」が一つ二つと点滅する光景が、作者の脳内でありありと再生されていてこそ、生まれた一句。生きて在る「蛍」の「火」と、壁画に描かれた「獣」たち。黴臭い古墳の匂いと、生臭い蛍の匂い。虚の「蛍」と実の「蛍」。そんな断片がコラージュのように浮かんでは消える作品です。
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』 6月20日掲載分)

竹取の翁の憂い泉殿 あおい
 「泉殿」は、拙著『絶滅寸前季語辞典』にも取り上げた季語で、【寝殿造りの南庭の泉水に突き出した、納涼 観月のための小建物】を意味します。『竹取物語』の世界にこの季語を見いだし、季語の本意をこのような形で表現し得るとは思ってもいませんでした。
 毎夜毎夜、月から迎えが来ると嘆き悲しむかぐや姫をかき抱き、「竹取の翁」の心にも深い憂いが渦巻きます。一体どうすればかぐや姫を守れるのか、尽きぬ悩みに苛まれます。「竹取の翁の憂い」と述べているだけなのに、眠れぬまま「泉殿」に涼を求める「翁」の姿がありありと想像され、さらに季語「泉殿」の本意が物語の後ろにリアリティをもって立ち上がってくる、見事な発想の一句です。
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』7月11日放送分)


*百年歳時記は、南海放送ラジオ『夏井いつきの一句一遊』や
 松山市公式サイト『俳句ポスト365』(http://haikutown.jp/post/
 などに投句された俳句を紹介します。


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会話形式でわかる
近代俳句史超入門


その2
文 構成 青木亮人

 大学で俳句を研究する青木先生と、その教え子で俳句甲子園の出場経験もある大学生の俳子さんが雑談を交えながらの近代俳句史超入門。

正岡子規はいかにして俳人となったか その1

子規の生涯

青木先生(以下青) おや、こんにちは。人力車に乗って何をしているんですか?
俳子(以下俳) あら、こんにちは。「車上所見」(解説1)をご存じなくて? 先生が次の勉強会で子規さんを取り上げると仰ったから、彼の随筆の追体験をしていたのよ。(人力車から降りる)先生こそ赤手拭いをぶら下げて何を……まさか「坊っちゃん」ごっこ?
青 当たり。そちらは子規、こちらは漱石、お互い文豪調査の最中にお会いしたのも何かの縁ということで、ここで俳句史の続きをしましょうか。
俳 ええ、今日は休日ですし、人力車に乗って子規さんの気持ちも少し分かったので、お願いします。それにしても先生、ここまで分かりやすい赤手拭いを一体どこで……。
青 フフ。さて、今日は正岡子規の話になるわけですが、確かに彼は一代の傑物としても、その人生を誰もが知っているわけではない、というところから始めましょうか。
俳 (「で、赤手拭いは?」という心の声を抑えつつ)そう、前回も仰っていましたよね。そこをじっくり聞かせてもらおうと思っていたのよ。(怒り気味)
青 まあ、そう言わずに聞いて下さい。そもそも、子規は最初から俳人になろうと生きたわけでないのはご存じですか?
俳 えっ。
青 彼は東京帝国大学に進学した超エリートで、「末は博士か大臣か」と謳われた立身出世を歩む士族階級の人でした。父が早世したために一家を背負う長男だったことに加え、幕末動乱で賊軍とされた松山藩出身というのもあり、「薩長閥に負けてなるか」という風潮の中で勉学に励む彼は、間違っても文学のような遊芸にハマるのは許されず、大学を卒業して地位や定収入を手に入れねばならなかった。少なくとも周囲や親戚はそれを望んだはずです。
俳 うっそおー。
青 ところが、二十代初めに結核になってしまう。悠長に勉強している場合でないと焦り、文学者になろうと小説を一生懸命書き上げた後、尊敬する幸田露伴に見せたところ「出版は止めた方がいい」と言われ、小説家をあえなく断念します。
俳 ガーン。子規さん、小説は下手だったんだ……。
青 大学の授業もサボりがちだったので友人の漱石が「試験だけは受けろ」と奔走したにも関わらず、子規は大学を中退して日本新聞社員になってしまう。当時は文学者もそうですが、新聞社員は地位や名誉から程遠く、後に漱石が帝国大学教員から新聞社に転職して小説を書いたのは異例中の異例。堅実な常識人はまず選ばないコースでした。
俳 でも、芥川龍之介も東大だったり、今の新聞社は大学卒業者じゃないと就職はムリですよね。
青 明治期は事情が全く違います。大正期の芥川は漱石のような先人のおかげで小説家の道を歩めたところがありますし、経済的に余裕があったわけでもありません。今もそうですけど、文学を本業とするなんてイバラの道ですよ。新聞社員もそうで、当時の世間の目は必ずしも優しくなかった。
俳 今も文学者はイバラの道……(やや白目)
青 意識が遠のいているようですけど、大丈夫ですか。子規の話を続けると、彼は新聞社員になったものの、取柄は俳句や文学等に詳しいだけで政治経済に通じているわけでもない。折しも日清戦争が勃発、戦時報道が連日のように紙面を飾るようになる。社員が大陸に渡って従軍記事を載せる中、何もできない子規は悶々とし、ついに死を覚悟して従軍を決意します。
俳 あっ、知ってる。弟分の河東碧梧桐や高浜虚子に遺書を渡して旅立ったんですよね。
青 そう。そこまで思いつめて大陸に渡ったんですが、戦争が早々と終結した上に帰国途中の船で大喀血し、危篤状態で神戸の病院に搬送されてしまった。

挫折続きの半生

俳 その後、療養も兼ねて松山に帰省して漱石と一緒に暮らすんですよね。このあたりはよく知ってるわ。
青 松山中学の教員だった漱石の下宿に子規も同居したのがこの頃ですよね。その後、子規の体調は良くなり、東京に戻るんですが、すぐ後に脊髄カリエスと診断されてしまいます。
俳 結核菌が脊髄に入って骨が……という病気ですよね。ゾッとするわ。
青 それは足腰が立たなくなる上に余命数年を意味していました。この前後から、子規は「自分にはもはや俳句等の文学しか残されていないのか」と諦めや開き直りに近い悲愴な決意を固めたように感じます。プライドも人一倍高かった彼からすると、自分の半生は挫折と失意の連続だったと感じたのではないでしょうか。
俳 かわいそうになってきた……子規さんっ(嗚咽)
青 あらら、気を落ち着けて下さい。(やや慌てる)
俳 ……嘘泣きですよ。浴衣姿の皆さん、何で口を開けてこちらを見ているの?
青 そりゃ見ますよ、道後温泉で髪を振り乱して「子規さんっ」とか泣き叫ぶんだから……浮霊したイタコじゃないんだから、びっくりさせないで下さい。
俳 私、浮霊したことなんてありません。
青 そこに引っかからなくても。話を戻すと、失意続きの子規をさらに絶望的にさせたのが、俳句界は自分を無視し、ほぼ誰も「文学」の俳句を目指そうとしなかった点です。
俳 あれ? その頃の子規さんは「獺祭書屋俳話」((解説2))をすでに発表して俳句革新を始めていたのでは?
青 ……と、今の私たちは思いますが、考えてみて下さい。二十代の新聞社員が突然、「今後の俳句はこうあらねばならない!」と宣言したところで、俳壇の大御所が「仰せのままに」と従うと思いますか?
俳 うーん。まあ、ムリよね。「口は達者なようだけど、まだ若いね」とか軽くあしらわれそう。
青 しかも子規は、「芭蕉雑談」((解説3))で俳壇の重鎮が神と崇めた芭蕉を「大したことない」とバッサリ批判し、「句をよく読みもしないで芭蕉を崇拝する宗匠はバカだ」と公言しました。その道何十年と頑張ってきた宗匠が、自分たちをいきなり全否定する二十代の若者に良い顔をするでしょうか?
俳 でも、俳壇に居座る宗匠の俳句観がダメだったから子規さんは「それはダメだ」と主張したんですよね。正しいことを言った子規さんのどこがいけないの?
青 仮にそうだとしても、否定された宗匠はたまったものではないですよね。だから彼らは子規を存在しないものと見なしたわけです。
俳 ひどい! のけ者にするなんて。
青 子規からすれば、余命数年を宣告された上に俳壇が耳を貸さないのが我慢ならない。ついに癇癪を爆発させ、「お前達こそ存在しないんだ、俺が俳壇だ!」という勢いで大物宗匠を名指しで「月並」「二流以下」と批判しました((解説4))。それが明治二九年頃です。(続く)


青木亮人(あおき まこと) 1974年、北海道生まれ。現在、愛媛大学准教授。著書に『その眼、俳人につき』(邑書林)など。



解説

正岡子規(明治元年〔1867〕〜同35年〔1902〕)
 松山藩士族出身。近代俳句の創始者で、「写生」を提唱した。早世したが、弟子格だった高浜虚子や河東碧梧桐が後に俳句界を牽引したこともあり、近代俳句の祖と位置付けられた。


解説1
「車上所見」 明治31年。病臥の子規が久々に人力車に乗って外出し、その時の嬉しさを綴った随筆。
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解説2
「獺祭書屋俳話」 明治25年。俳句革新の端緒とされるが、まだ穏健な内容。江戸俳諧の豊富な知識が散りばめられた論で、子規がすでに俳諧をかなり研究していた形跡がうかがえる。
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解説3
「芭蕉雑談」 明治27年。当時、タブーに近かった俳聖芭蕉を激しく批判した過激な論で、実質的な俳句革新はここから始まった。
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解説4
「俳句問答」(明治29年)というQ&A形式の論の中で、東京の二大宗匠について聞かれた子規は「月並」と答えた。発表直後に一人の宗匠から反論があり、「新聞記者に俳諧は分からない」と批判された。
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もうひとつの俳句のまちづくり


岐阜県大垣市役所俳句文化推進グループリーダー 高田雅章(俳号:がしょう)
第1回

 私は岐阜県大垣市役所で俳句文化推進グループのリーダーをしています、高田雅章(俳号:がしょう)です。今月から来年三月までの八回にわたり、大垣市の俳句推進の取り組みを紹介したいと思います。
 大垣市は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた「奥の細道むすびの地」であることから、子どもの頃から俳句に親しむ街づくりを行っています。
 第一回目にご紹介する取り組みは「三尺(さんせき)俳句教室」です。この言葉は、芭蕉の「俳諧は三尺の童にさせよ」から命名したもので、初心者の俳句教室です。
 三尺俳句教室は、市内の何処へでも講師を派遣して、いつでもどこでも俳句ができるよう、自治会、企業、婦人会、老人会などに働きかけ、少しずつですが反響が有り、一年間で十三団体延べ千人に俳句を学んでいただきました。その中でも、印象に残る依頼が、大垣市民病院の「がんサロン」からの依頼でした。
 がんサロンでは、がん患者やその家族の生きていく糧になればと、いろいろな催しが計画されています。その一つとして俳句教室を開催したいと依頼を受けました。はたして、がん患者が俳句を詠んでくれるのか、一抹の不安があるなかで俳句教室を行いました。初めは景色の俳句ばかりでした。しかし回数を重ねるごとに、俳句に「自分自身の闘病の様子」を詠み込む人が出てきました。ある人は「病気に勝ちたい」「早く元気になりたい」という自分の思いが俳句に表現できるようになり、笑顔が増えました。この様子を目の当たりにし、私は改めて、俳句の力を感じることが出来ました。一年間「がんサロン」で俳句教室を行うなかで、参加者から「俳句のお陰で病状が回復に向かってます。」「退院したけど俳句教室へ参加します。俳句が生きがいなの。」など、嬉しいご意見を数多くいただきました。
 最後に一年間の集大成として「がんサロン」で出来た優秀な俳句が大垣市民病院の一階通路に展示され、新聞でも取り上げていただけたので記事をご紹介します。
 では、第二回目をお楽しみに!!


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まつやま俳句でまちづくりの会通信


第41回 文 游士

松山城歳時記化計画 六月調査報告

 六月七日土曜日に行われた松山城歳時記化計画調査について報告します。なお本稿では、松山城での現地調査についてのみ報告させていただきます。実際には本調査の後に、プロジェクターによる俳句、写真及び音楽の素敵なコラボレーション並びに句会が実施されましたので、その旨をあらかじめここに申し上げます。

 天候は、曇りのち晴れ。前日の雨のためか少々蒸し暑い一日になりましたが、ぬかるみに足を取られることもなく、絶好の調査日和となりました。
 午前十時にロープウェイ乗り場に集合した後、私たちはmhmメンバー含め八名の参加で、東雲口を出発しました。
 石段を登り始めると早速、大粒の梅の実がなっているのを目にしました。なかには少し熟し始めた黄色の実もちらほらとあり、梅雨の若葉が茂るなかひっそりとたたずむ様子が印象的でした。
 それから石段を登りきり、砂利を固めて舗装された平坦な道を進むと、程なくして右手に、筍の根元に竹の皮がめくれているのを発見しました。それらはめくれているばかりでなく、大きな鱗のような皮を至るところに脱ぎ散らかしているようでした。また道を挟んだその左手近辺には、大車前や蒲公英など数種の植物が群生しているのを観測しました。ほかには団子虫や蟻が絶え間なく這っているところも見かけることができました。
 そのまま急勾配の坂道を上ると、道は右手の方で東雲神社から延びる階段と交わりました。その階段の手すりには、山葡萄の一種だと思われる直径五〜十mm程のブドウ科の球体が、房になってあちこちに点在していました。そこからもう少し上ると、道は空中を移動するロープウェイと交差し、ようやく平坦な道にたどり着きました。そこでは生い茂る木々の葉が陰となって涼しい緑道をかたちづくり、その道をすすむ私たちは大いに癒されました。
 そして石造りの長い階段を抜けると、とうとう城山の石垣を眼の前にしました。それからぐんぐん登る途中、枇杷に目をやったり筒井門上の石垣に万年草の黄色を確認したりしながら、太鼓門の前の緑陰で少しの休憩を挟んだ後、ついに本丸に辿り着きました。
 そうして本丸を渡りきり、乾門からぐるっと回って東雲口へ降りる途中、板張りの道の上で一匹の蜥蜴を見つけました。近づくとそれは非常にすばしこく、青色の尻尾を小刻みに振りながら滑るように走ります。そしてそれをカメラに収めようとする正人さんも、腰を屈めて必死に追いかけます。結局撮影をすることは叶いませんでしたが、(個人的には)これからも、一匹の蜥蜴にも目を注ぐような姿勢で引き続き、この歳時記化計画事業に取り組みたいものです。


mhmでは、ひきつづき松山市内外問わず会員および役員を募集中です。原則、毎月最終週の火曜日19時からマルコボ.コムにて会議がおこなわれます。偶数月は懇親会も開催! 興味のある方は事務局(mhm_info@e-mhm.com)またはFacebook(http://www.facebook.com/mhmhaiku)まで。


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俳句の街 まつやま
俳句ポスト365


協力 松山市

「俳句ポスト365」は松山市が運営する俳句の投稿サイトです。
毎週新しい兼題が発表されます!

http://haikutown.jp/post/


優秀句
平成26年6月度


【植田】
《地》
一日にして八方の植田かな 八十八
何事も無かったようにある植田 笑松
浮くものもあらん二日目の植田  大塚迷路
差し入れる指に植田の生ぬるし  やのたかこ
爪の泥濯ぐ倅の植田澄む 関屋
近在の寺の護符立つ植田かな あい
相伝の植田の臍は古墳なり 森ぱふ
風止みて死海の如き植田かな  クズウジュンイチ
月光の火山灰に静もる植田かな  田中憂馬

《天》 
峠より順に植田の澄んでいく  不知火


【紫陽花】
《地》 
あぢさゐや利休鼠といふ湿り 江戸人
あぢさゐはまだ緑児の爪の色 三重丸
ロープウェイは紫陽花の尾根を越え  ポメロ親父
あぢさゐや炎のやうに古代土器  松本だりあ
紫陽花の墳墓のごとき果ての村 天玲
あぢさゐや亡き姉だけがものしづか  空見屋
風吼えてあぢさゐ乱る崖の家 Muse
日ざらしのあぢさゐ魚は煮詰まりぬ  中原久遠
宿す子と紫陽花の丘遠く海 理子

《天》 
あじさいへ孔雀は威嚇するかたち  もね


【蛍】
《地》 
濡れ髪にほうたる付けてゐて正気  とおと
獸めく雨の残り香蛍の夜 やのたかこ
その骨は恐らくタロー蛍散る 理酔
鎮守てふ巨石に風と蛍火と 田中憂馬
戦争の終つた年の蛍かな あつちやん
山姥の蛍食ろうた口が光る 可不可
象の見る夢にもきつと蛍飛ぶ ヤッチー

《天》 
蛍火やキトラ古墳に獣の絵  桜井教人



愛媛県《吟行ナビえひめ》のご案内
 俳句と旅行を組み合わせたホームページ「吟行ナビえひめ」では、観光をテーマに皆様からの「俳句」と「写真」を募集。 投稿された「俳句」は夏井いつきが、「写真」はキム チャンヒが審査。優秀作品を「吟行ナビえひめ」にて発表します!

【募集期間】 毎月1日〜25日前後締切 

【入選作品について】
 俳句は、毎月の応募締切後、審査により、優秀作5句、佳作23〜26句を選句します。
 優秀作又は佳作に入選した俳句は、 翌月からサイトにて1日1作品づつ掲載されます。優秀作には、選者からのコメントが添えられます。
  季節ごと(3ヶ月)の優秀作品15句の中から、上位4句(年間16句)を選考し、「愛媛県の旬な贈り物」をプレゼントします。
※写真についても、審査により俳句と同様に優秀作品を選定し、サイトで紹介する予定です。
※審査の結果、優秀作、佳作が選定されない場合があります。

【テーマ(兼題)】
しまなみの夏(7月)、秋(8〜10月)、
冬(11〜1月)、春(2〜4月)

【問い合わせ】 愛媛県観光物産課 
電話 089(912)2491

《吟行ナビえひめ》
http://www.iyokannet.jp/ginkou/


8月の兼題

投句期間:7月31日〜8月6日
猿の腰掛【三秋/植物】
サルノコシカケ科、マンネンタケ科、キコブタケ科の菌類のうち、特に木質で多年生となるきのこの一般的な総称。立ち木や枯れ木に棚状に生え、年々成長して厚さと幅を増す。

投句期間:8月7日〜8月13日
秋草【三秋/植物】
よく知られた草から無名とされる草まで、秋に花を付ける草全般を指していう。一種類ずつ、一本ずつをいう場合も、複数を指していう場合もある。

投句期間:8月14日〜8月20日
名月【仲秋/天文】
陰暦8月15日の月。行事としてこの日のをめでる風習は中国から伝わってきたものだが、それ以前より月は暦として生活に、とりわけ農耕に、深く関わっていた。


8月25日(月)〜8月29日(金)の週は、「俳句ポスト365」の更新をお休みさせていただきます。この週における新たな結果の発表、ならびに8月27日(水)の投句締切や、その翌日の募集兼題の切り替わりはございません。


《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


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一句一遊情報局


有谷まほろ & 一句一遊聞き書き隊
協力 南海放送


金曜日優秀句
平成26年6月度


【煮梅】
煮梅炊く匂いの中に妻の椅子 風
煮梅ことことラジオからはイマジン 伊佐
配給の話幾度目やら煮梅 鞠月
煮梅の香防空頭巾の母若し 菜々枝
梅煮るや校歌の歌詞のおぼろげに てん点
驚きは煮梅の太き種のこと 松ぼっくり
頬張って煮梅の種の如何にせん はまゆう
懐石を煮梅に終わる鄙の風 野風
望郷の煮梅を子規も食べたろか 野薊
煮梅つまみて放浪記は終章 妙
煮梅瓶抱え手荷物検査場 更紗

《天》
学僧の煮梅差し出す高野山 ターナー島


【夏服】
空色の空と帽子と夏服と 太郎
青空に負けぬ夏服選びけり 青柘榴
夏服の整列まぶし朝の会 こでまり
バスを待つ夏服多し磯匂う ターナー島
夏服に替えて京都へ上りけり 蓼虫
夏服のひしめき合うて阿修羅展 更紗
博物館や彼の人の夏服を嗅ぐ さち
夏服の憂い窓越しの太陽 痛快
婦人公論パサと閉じ夏服の鼻梁 日暮屋
夏服を纏う女王の小さき嘘 笑松
原爆の碑に夏服の子等言葉無く 紫水晶
夏服の少女よ水兵はあの日海に沈んだ 樫の木

《天》
扉放たれ夏服の女工たち のり茶づけ


【腐草蛍となる】
腐草蛍となる打ち抜き水の甘き川 もろり川
腐草蛍となりて吊橋のよく撓む てんきゅう
闇ひん剥いて腐草蛍となる 笑吉
排水溝に生まれる渦腐草蛍となる マーペー
腐草蛍となりて水晶体の清らなり 鞠月
腐草蛍にフラスコで溶かす星 樫の木
腐草蛍となりてコンビナートは煌々と ねこ端石
腐草蛍となる仏師いまだ彫らず 四万十のおいさん
腐草火垂るとなるも戦争を知らない子どもたちが戦争を始めようとしている 逆ベッカム
黙祷の影千腐草蛍となる 菜々枝
薄い瞼に闇深し腐草蛍となる 日暮屋

《天》
猿猴に踏まれて腐草蛍となる 蓼虫


【研】
上澄みを乱し芒種の鍬を研ぐ ほろよい
研磨機の唸りをあげて夕立来る もも
研磨機の轟く夜や蚊喰虫 今野うきはか
研ぐ石の生まれはどこぞ夏近し アンパンマン
雲海の怒涛霊山研ぐ如く ドクトルバンブー
米を研ぐ水のぬるさや芙美子の忌 ねこ端石
蝿叩提げて研究開発部 だんご虫
蘭鋳の深夜を泳ぐ研究室 マーペー
蛾が窓を叩く研修医の当直 鞠月
掏摸が指研いでいる帝都は祭 青花

《天》
灯取虫レコードからは研ナオコ 妙



※ 掲載の俳句は、有志によって朧庵(http://575sns.aritani-mahoro.com/)の掲示板「落書き俳句ノート」に書き込まれたラジオの聞き書きをもとに活字化したものです。俳句ならびに俳号が実際の表記とは異なっていたり、同音異義語や類音語などで表記されてしまっている場合がありますのでご了承ください。



※ 「落書き俳句ノート」を除く、朧庵(SNS)の利用、閲覧には登録が必要です。パソコン用のメールアドレスがあれば、無料で簡単に登録できます。


夏井いつきの一句一遊
南海放送ラジオ(愛媛県 AM1116kHz)
毎週月〜金曜 午前10時放送
週替わりの季語を兼題に、要努力の月曜日から優秀句の金曜日へと、紹介される俳句のレベルが上がっていきます。最優秀句「天」を目指せ!

投句の宛先は
〒790-8510 南海放送ラジオ 「夏井いつきの一句一遊」係
Eメール ku@rnb.co.jp

こちらからも番組へ投句できます!
http://www.marukobo.com/media/


投句募集中の兼題

8月3日
盆路【初秋/人事】
盆に祖先の魂を迎えるため、家や墓の前の道を掃除して清めること。

俳句甲子園【初秋/人事】
高校生が同校5人一組のチームで、俳句の作句力と鑑賞力を競い合う大会。8月に愛媛県松山市で全国大会が開催される。

8月17日

 季語ではない兼題です。「硬」という字が詠み込まれていれば、読み方は問いません。また、季語は当季を原則として自由に選んでください。

別れ烏【初秋/動物】
 烏は巣立ちの後も親子一緒に暮らす期間が長く、秋になって別れるとされる。

8月31日
菊の酒【晩秋/人事】
菊の節句である9月9日に、長寿を願って飲む酒。中国の故事が由来の風習であるといわれる。

敬老の日【仲秋/人事】
かつては9月15日だったが、祝日法の改正により9月第3月曜日となった。老人福祉の充実と敬老精神の啓発のための行事が様々行われる。



《参考文献》『カラー版 新日本大歳時記』(講談社)


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100年俳句計画 掲示板



NHK総合テレビ(愛媛ローカル)
 「えひめ おひるのたまご」内
 『みんなで挑戦!MOVIE俳句』
  8月26日(火)11時40分〜

あいテレビ(TBS系列、全国)
 『プレバト!!』
   隔週木曜 19時〜20時49分
  8月7日&8月21日予定
※組長がゲストの俳句ランキングづけで出演! 放送日番組欄を要チェック!

南海放送
ラジオ「夏井いつきの一句一遊」
 毎週月〜金曜日 10時〜10時10分
※ 投句募集中の兼題や投句宛先は、「一句一遊情報局」のページをご参照下さい。

FM愛媛
 バニラビーンズの俳句っちゃお〜!
 毎週日曜日深夜0時〜0時30分
※夏井いつきが俳句指南で出演
※FM大分でも毎週月曜21時〜放送中

FMラジオバリバリ俳句チャンネル
放送時間 … 月曜 17時15分〜17時30分
再放送 … 火曜 7時15分〜8時
 兼題「木槿 初秋」8月3日〆
   「猿の腰掛 秋夕焼」8月17日〆
   「九月 きりぎりす」8月31日〆
 インターネットでも配信中。詳しくは番組webサイトへ。
  HP http://www.baribari789.com/
  mail fmbari@dokidoki.ne.jp
  FAX 0898-33-0789
※必ずお名前(本名)、住所をお忘れなく!
※各兼題の「天」句にはキム チャンヒのイラストポストカードが贈られます。


執筆
松山市の俳句サイト「俳句ポスト365」
http://haikutown.jp/post/
 毎週水曜締切/翌週金曜結果発表

テレビ大阪俳句クラブ選句
http://www.tv-osaka.co.jp/haiku_club/

ジュニア愛媛新聞スマイル!ピント
 「集まれ俳句キッズ」
※ 毎週日曜発刊タブロイド判8ページ


句会ライブ、講演など

思いのままに5☆7☆5「ミュージカルを観劇して俳句を作ろう」 in 坊っちゃん劇場
 8月3日(日)12時〜16時
 ※ミュージカル「道後湯の里」を観劇後句会ライブ。親子450名を無料ご招待。
 ※定員到達につき申込受付停止中。

全国高校俳句選手権大会 俳句甲子園
 8月23日(土)/24日(日)
  23日 大街道商店街特設会場12ヶ所
  24日 松山市コミュニティセンター

第17回俳句甲子園記念シンポジウム『俳都松山宣言』十七音が世界を変える
 8月25日(月)13時30分〜
  子規記念博物館 4階講堂
 出演 ラーシュ ヴァリエ駐日スウェーデン大使、夏井いつき、高野ムツオ、岸本尚毅、神野紗希、久保田牡丹、片野瑞木
 定員 600人 先着 無料(記念品有)
 申込締切 8月15日(金)必着
 ※詳しくは本誌裏面広告をご覧下さい。
 ※松山市政番組『大好き!まつやま〜たから咲かせ隊〜』に夏井いつきが出演、シンポジウムの紹介をしています。8月2日(土)20時54分〜南海放送にて。

NHK「俳句王国がゆく」公開収録
 8月30日(日)
  13時開場〜15時30分終演予定
  松山市民会館 中ホール(堀之内)
 主宰 夏井いつき / ゲスト 杉山愛
 申込締切 8月5日(火)【必着】
 申込方法 公式ホームページ
 https://pid.nhk.or.jp/event/PPG0245863/index.html
 問合先 NHKプラネット四国 
 電話 089ー921ー1163
   (10時〜18時/土 日 祝日を除く)



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魚のアブク


読者から寄せられたお便りをご紹介
お便りお待ちしています!
100年俳句計画編集室「魚のアブク」宛、もしくは互選や雑詠欄への投句に添えてお寄せください。

編=編集スタッフ

お詫び
 先月号の100年投句計画内 「自由律俳句計画」(31ページ)において、表記の誤りがありました。

鯉城さん

誤 まっすぐて田舎は遠き薄暑かな
正 まつすぐで田舎は遠き薄暑かな

正しくは左側の表記「まつすぐで田舎は遠き薄暑かな」となります。大変失礼いたしました。


『俳句王国』と共に生きた男
瑞木 蕃さんの特集、良かったです。松山の気さくなおじさんとしての蕃さんしか知らなかったから。バカ笑いしたり、しんみりしたりして読みました。
編 それもまた村重蕃さんの姿の一つでありました。表舞台にこそ立ちませんが「俳句王国」のみならず俳句甲子園の発展などにも大きな役割を果たされていたのです。

笑松 7月号の蕃さん追悼座談会。出色の企画でした。蕃さんは何とかっこいい方なのでしょう。何とすばらしい方なのでしょう。蕃さんとは、忘年会やお花見大会でひとことふたことしかお話しする機会がありませんでしたが、こんな生き方をされた方と、少しでも同じ時間を持てたことを、また、蕃さんの生き様をこうして少しでも知ることができたことを、とても幸せに感じています。ありがとうございました。
編 こういうコメントを頂けるのがなによりお人柄ですなあ……。2014年のお花見では、ほんの少しの時間ではありましたが、車椅子で会場に来て下さいました。あの場で言葉を交したのが最後になった方も多いのではないでしょうか。思い出すと泣けてくる。

俳句甲子園開幕
うに子 俳句甲子園予選始まりましたね。瑞々しい俳句楽しみです。
編 予選&投句審査で勝ち残ったチームのリストが俳句甲子園公式HPにて公開されています。本戦は8月23日(土) 24日(日)の二日間。ぜひ会場でご覧下さい!

元旦 俳句甲子園の予選も終わったようですね。さて、今年はどんな高校生たちが活躍してくれるか楽しみにしています。今年は松山に行ってみたいんだけどな〜。
編 毎年俳句甲子園のために来松して下さる方が多いのですが、今年は特に宿泊の方が多いらしく、市内中心部の多くのホテルが既に22日〜24日にかけて満室状態なのだとか。遠地から観戦を考えている方はお早めの対策を!

句会の効能
ゆりかもめ 4年ぶりに地元の句会に参加するようになり、日々俳句のことを考えています。
編 いいですねえ〜。俳句を考えると脳の血流も活発になるし、健康な日々が過ごせそう。

ぎっくり腰の恐怖
喜多輝女 いつもお世話になっております。只今わたくしぎっくり腰で毎日を寝て暮らしております。年は取りたくないものですね〜。
編 ドイツ語では「魔女の一撃」と呼ばれることもあるんだとか。未経験の人、笑うなかれ。ホントに身悶えするほど痛いんだから……お大事にして下さい。

歯? 骨?
KIYOAKI FILM 前歯を骨折した。転倒した。痛かった。幸いにも抜かずに済んだ。ふと、歯がなくなる、俳句翁を想った。
編 歯って骨の一種? 気になって調べたところ歯が折れるのは「破折」というそうです。へぇ〜。なにはともあれご愁傷様です&お大事に。

長生きの秘訣?
柊つばき 自分ではどうすることも出来ないことはできるだけ考えないことにしました。長生きしたいのでストレスはためない。
編 次の方が見本(?)。

自然に生きる
エノコロちゃん いつもいつもたのしいでぇ〜す、ありがとうございます。梅雨最中ですので、スタッフみなさま、どうぞくれぐれもご自愛下さいね。本当に、こちら高知桧谷が晴れていても、ひと山越えて伊予に入ると突然の朝曇りなのです。
編 どうだろう一行目から溢れる自然体の魅力。編集スタッフひそかにエノコロちゃんハガキのファンであります。「朝曇り」という季語の現場が出てくるのもいい味出してます!

自然を歩く
ひでやん 雑詠に出した「夏落葉〜」の句は「それ行け俳句キッズ」本選の収録で鹿島に渡ったとき、まこちたちに付いて回りながら吟行したものです。
編 愛媛 北条の鹿島吟行ですね。「それいけ俳句キッズ」大いに盛り上がった番組となりました。なお投句の結果は雑詠俳句計画を参照。さすが大人、ただ歩いてるだけではないのです。

沖縄人の夏
ケンケン 生粋の琉球人ですので、猛暑になればなるほど調子が良くなるタイプです。ハイビスカスのように日差しが強くなればなるほど輝きを増すタイプです。今年もドラマティックな夏を迎えたいと思います。
編 「飲めば飲むほど強くなる」的な? ハイビスカスのように、っていう比喩がなんとも詩人です。そして今月のへたうま仙人(28ページ)ですでにドラマティックの片鱗が。有言実行ぢゃ!


100年俳句計画誌上編集会議

編 本誌も十年目を迎え、様々なご意見を参考にしながらリニューアルをはかっていきたいと思っています。このコーナーでは、皆様のお便りを紹介しながら、さらにご意見を集めつつ、誌面に反映させてゆきます。
 沢山のご意見をお待ちしております。


 この欄への提案、質問、要望、その他は、100年投句計画投稿時のフォームに書き添えてお送り下さい。また、メールでの投稿も可能です。メールで送る際は件名を「魚のアブクへ」としてお送り下さい。
メールアドレス magazine@marukobo.com(編集室)



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鮎の友釣り

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俳号 七草

てん点さんへ お姉さんの様なてん点さん。すっかりお世話になってます。俳句で繋がるご縁に感謝です。

俳号 七月七日生まれの草子で「七草」です。

俳句との出会い 長崎から松山に来て初めて「夏井いつき」さんという元気な俳人を知り、敷居の高かった俳句が「案外楽しいものかも」と思ったのがきっかけで、後日、初対面のいつき組長より「俳人にぴったりの名前」と本名をほめられ、その気になって木曜カルチャーへと。現在、「東京ロマンチカ」にて、俳句人生三年目突入中です。

写真 趣味の染色(型染 手描 絞り 草木染等)作品で、松山での思い出となる「手描長崎更紗」です。

次回…喜多輝女さんへ 松山では、大花見大会、俳句甲子園等お世話になりました。ふんわり柔らかな伊予弁が懐かしいです。


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告知


俳句新聞いつき組が装いも新たに復活します。
この秋、0号発行
正式版第1号は2015年1月発行予定

予定仕様
A4サイズ、8ページ、全ページカラー印刷
参加登録料 1,000円(税込)
年間購読料 3,500円(税込)
年4回発行(季刊)
*年1回、句集シングルの付録あり。



HAIKU LIFE 100年俳句計画
第4回
大人のための句集を作ろうコンテスト
作品募集

主催 マルコボ.コム 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

 第四回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」(通称「大人コン」)の作品募集がスタートしました。
 「大人コン」は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』が開催する俳句コンテストです。
 共催 朝日新聞社 松山市教育委員会(予定)

「受賞作品が句集になるってホントですか」
 最優秀賞作品は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』の付録冊子として読者諸氏に広く読んで頂きます。付録とはいえ、お洒落なデザインの句集だと評判です。
 受賞者には一切の金銭的負担をかけず、読者にとっても安価な句集をどんどん生み出していきたいという志を一つの形にしたのが、この企画なのです。

「俳句マガジンを購読してないんですが、コンテストへの応募はできますか」
 どなたでも応募できます。購読の有無は一切関係ありません。勿論、応募は無料です。

「審査は誰がするのですか」
 本コンテストの受賞者は、「大人コン」選考会員の投票によって決まります。「大人コン」選考会員は、月刊俳句マガジン『100年俳句計画』購読者の内、各総合誌等の俳句賞受賞者あるいは最終選考に残った実績のある人たち等によって構成されます。第二回の有資格者は三十二名。年々選考会員数は増えていくことになります。
 多くの目利きの力を借りて「百年先の未来に残したい作品と作家」を見い出し顕彰していくことが「大人コン」の目的。我こそは!という皆さんのご応募を、心からお待ちしております。

既作新作を問わず81句の作品集を募集。
最優秀賞作品は句集にし、本誌付録として配布します。

募集要項

応募資格
15才以上(高校生以上)の方なら、本誌購読の有無に関係なく、どなたでも応募できます。

応募方法
1:Eメールでの応募の場合
応募用のエクセルファイルに必要事項を全て入力し、Eメールの添付ファイルにして、応募して下さい。
応募用ファイルのダウンロード先
http://81ku.marukobo.com/

2:郵送の場合
B4判四百字詰め原稿用紙に81句とその表題、俳号、本名、年齢、住所、電話番号を必ず明記して応募して下さい。

締め切り 2014年12月10日(水)必着

賞 賞状および応募作品による句集20冊
*賞品句集は縦横135ミリメートル 36ページとなります。句集は本誌付録として配布します。

発表 本誌2015年4月号誌上(予定)

送り先
〒790-0022 愛媛県松山市永代町16ー1
有限会社マルコボ.コム
月刊俳句マガジン『100年俳句計画』編集室Eメール:81ku@marukobo.com



ボリュームが倍になりました
句集Style-W 登場

*オリジナルデザイン仕様の3点
句集『COSMOS』
キム チャンヒ

句群 op. 1 半過去と直説法現在として、あること
加根兼光

俳優勝村政信×俳人夏井いつき
付句のある往復Eメール書簡集

2014年 9月10日 申し込み締切
(原稿締切9/16、10月末納品)

句集制作費:25冊セット 50,000円(税別)〜 *完全デジタル入稿の場合
仕様:135mm×135mm、72ページ、オンデマンド印刷、カバー付

オプション料金 *全て税別
 オリジナルデザイン料:50,000円〜
 増刷費:24,000円(25冊ごと)


句集Style
仕様:135mm×135mm、36ページ、オンデマンド印刷、表紙PP加工
2014年 第3期 9月10日 申し込み締切
(原稿締切9/16、10月末納品)

詳しくは http://marukobo.com/style/



NHK「俳句王国がゆく」観覧申込募集のお知らせ

 NHK松山放送局と松山市では、Eテレの番組「俳句王国がゆく」の公開収録を行います。この番組では、全国各地のホールなどをまわりながら、地元の方々と一緒に、俳句を通してその土地の魅力を再発見していきます。
 主宰 夏井いつき(俳句集団「いつき組」組長)
 ゲスト 杉山愛(スポーツキャスター)

日時 8月30日(土)
    開場 午後1時
    開演 午後1時30分
    終演予定 午後3時30分

場所 松山市民会館 中ホール
    (愛媛県松山市堀之内)

申込締切 8月5日(火)【必着】

申込方法
 公式ホームページをご覧下さい。
 URL:https://pid.nhk.or.jp/event/PPG0245863/index.html

問合先 NHKプラネット四国
    電話 089(921)1163
   (午前10時〜午後6時/土 日 祝日を除く)



100年俳句計画投稿締切カレンダー

8/20(水)
 100年投句計画
http://marukobo.com/toukou/
 魚のアブク
 100年の旗手推薦募集

 応募先
  〒790-0022 松山市永代町16-1
  (有)マルコボ.コム内
    100年俳句計画編集室
  FAX 089(906)0695
  E-mail magazine@marukobo.com
 宛先/件名に、どこのコーナー宛かお書き添え下さい。俳号/ご本名/住所/電話番号もお忘れ無きよう、よろしくお願いいたします。
 ※ページの都合上お便りを全て掲載できない場合がございます。ご了承下さい。


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編集後記


 昨年企画した句集スタイルによって、この一年で100年俳句計画に集う俳人達から、続々特集が出版された。昨年末から、それら句集をちゃんと評価し誌面に掲載しなければと思いつつ、ようやく形になったのが今号の特集である。
 6ページにわたって掲載した評文は、非常に読み応えがあり、俳句に対する様々な読み方を教えてくれる。そして、俳句を発表し、それが読まれ、そして評価されることで、句集を出版することの意味や価値が完結するという、当たり前のことに改めて気づかされた。
 本当に目指すべき姿は、句集スタイルによって生まれた句集らが、本誌を飛び越えもっと大きな世界で評価される仕組みを作ること。
 誰もが自由に句集を作り、それらがちゃんと評価され、価値のある作品をきちんと残してゆく。そういうことに関われる仕事であることに喜びを感じる。
 また、俳句作家を目指す方々には、是非とも怖じ気づかずに句集制作を試みて欲しい。句集スタイルは、誰もが簡単に句集を出版し、失敗も許される仕組みでもあるのだから。
(キム)


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次号予告 (202号 9月1日発行予定)


次回特集
俳句のまちのJAZZ LIVE

句集Style! 全評文 その2


HAIKU LIFE 100年俳句計画
2014年8月号(No.201)
2014年8月1日発行
価格 617円(税込)

編集人 キム チャンヒ
発行人 三瀬明子